ダウナーな感情

なぜ動物は寝るのだろう? 寝るのは人間だけではない。他の動物でも寝る。しかし、なぜ寝るのだろう? おそらくそれは、

  • 人間は動物であり、<機械>だから

と言っておけばいいのではないだろうか。つまり、人間の「人間性」、回りの人を思いやり、協調行動をして、この人間社会を積極的に維持するための行動に参加するわけだが、それが可能になっているのは、「寝ているから」と言うことはできないか?
つまり、人間の本能的な「道徳」性は、人間が「寝る」ことによって、始めて実現できているのではないか?
人間が人間としてあるためには、寝なければならない。
この構造は言うまでもないが、「寝る」「寝ない」の二分法に意味があるわけじゃない。そんなところに、この問題の境界はない。
このことの含意は、人間は必ず、ある程度の「鬱感情」を避けられない。人間は誰でも、ある程度において

なのだw
声優の楠木ともりに、「MAYBLUES」という歌がある。

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この曲がおもしろいのは、その歌詞の内容がずっと、「鬱状態」「ひきこもり」「陰キャ」だと言っていることだ。
こういった曲は、めずらしい。なぜなら、今の日本社会では、そもそも自分が「陰キャ」だということを、なんの言い訳もなしに言うことが難しいからだ。この日本社会の抑圧的雰囲気は、なんだろう? ある種の、天皇制の抑圧なのかもしれない。日本人は、天皇の「子ども」として、一切の言い訳なしに、天皇のために、自らの命を捧げなければならない。鬱だから、戦えないというのを「許さない」。鬱だろうがなんだろうが、カミカゼ特攻隊をやらなければならない。
日本のサラリーマンには、どこかそういった「鬱」であることを隠して生きなければならない、といったような、隠微な暴力がある。
しかし、である。
そもそも人間であれば、だれでも、こういった「ダウナー」な感情になることがあるんじゃないか? それは、その人は「今すぐに寝なければならない」というメッセージなのかもしれない。
人間は、たんなる「機械」だ。その機械がなぜ、「人間性」を表現できるのは、こういった、一定周期で訪れる「鬱感情」や「睡眠」を、きちんと繰り返しているから、と言うことはできないのか...。