そもそも、「大ガールズバンド時代」という言葉を使い始めたのはバンドリシリーズだ。この世界線では、どこの女子校でも、みんながバンドをやっていて、みんな、毎日、ギターをかついで学校に登校しているw
しかし、そもそものバンドの本場である欧米では、ヒットチャートをみても、めっきり、バンドなるものが存在しなくなっている。つまり、
- 絶滅
している。そしてそれは、日本のヒットチャートを見ても、同様だと言っていい。特に、男性バンドはめっきり存在感をなくしている。
ことこの状況において、日本アニメが近年、続けてきたこの「大ガールズバンド時代」を時系列において図式化するなら以下になる:
- ボザロ→MyGO→ガルクラ→Ave Mujica
Ave MujicaはMyGOと同じバンドリシリーズであり、そもそも、Ave MujicaはMyGOの続編なのだから、この二つをなにか違う概念で説明することは正しくないだろう。
では結局のところ、ここにおいて「描かれている」ものはなんなのだろう? それは、おそらくは一言で言うならば、
- 少女の「孤独」
ということになるだろう。一人の女の子の心が、この世界から隔絶してある。この世界からの「拒絶」。ボザロのぼっちちゃんは、高校に入るまで、一人も友達がいない。中学では、なんとか友達がほしくて、必死でギターを練習した3年間だった。ガルクラでは仁奈は自らの「正義感」によって、学校で「いじめ」を受ける。そして、不登校になってそのまま逃げるように、東京に上京してくる。MyGOでの燈は「不思議ちゃん」と言われるように、回りとずっと自分が「違っている」ことに悩んできた。人と違っている。みんなが泣いているときに、自分はいつも涙が流れてこない。自分は人間じゃないんじゃないか。みんなと同じ人間になりたい。
こういった「孤独」な、自律した個としての「少女」に対して、この「大ガールズバンド時代」は、
- バンド
という「共同体(=アジール空間)」を提供する。つまり、彼女たちに彼女たちが「そのまま」にい続けられる居場所を与える。そして、その関係性の中で、自らの「欠損」「欠けているもの」を、人と違っていると思っていたものを、そういった
- 関係
が自然と、彼女たちに「プレゼント」していく構造になっている...。