ドラクエの「歴史」

ドラクエというものが、どういったものなのかについては、おそらく、今回のドラクエ3リメイク(HD-2D版)をやった人には自明だろうが、かなり

  • 解釈の幅

が、最初から、制作側の「設計」によって、意図して多くありうるように意図されている。まず、ドラクエ3は、そもそも主人公は男にも女にも選べる。性別を選べるということが、実際の

  • ストーリー

で矛盾が起きないのか、と普通には心配するだろう。そういった心配が起きることを分かっていながら、あえてそうしているということは、ようするに

  • 細かいところの「解釈」を意図的に「決定しない」

という意志の現れなわけだ。つまり、「決めない」ということ、ユーザーの想像の「許す」ということが、ドラクエというものが、どういうものなのかをよく現している。
ドラクエという作品がどういうものなのかを考えることは、こういった「解釈の幅」が存在しながら、そういったものについて推察することがどこまで意味のあることなのかが難しいわけだ。
ただ、こういった作品であることをいったん認めた上で、そもそもドラクエというものを考えるということが、どこまで可能なのかが重要になってくる。
そう考えた場合に、

  • ドラクエのナンバリングにおいて、どの作品の、なにがユーザーから「人気」であり、「注目」をされたのか?

をふりかえって考えると、おそらく、ドラクエにおいて全体として少ないと言っていいと思うが、つまりは

  • 登場する女性たち

がどのように注目されてきたのか、といった観点で、ドラクエの「歴史」をふりかえり、それを全体として一つの解釈をしてみよう。

こうやって見ると、ドラクエ3において、

  • 父親と母親の関係

を描いたわけですよね。そして、ドラクエ5で、結婚イベントを描いた。結婚を描いたんだけど、ここで大きな問題が生まれたんだと思っている。つまり、実際にプレイをすると、誰がどう見ても

と結婚する以外の選択しかありえない、としか思えなかったわけね。つまり、フローラの存在がどうしても、かすんで見えてしまう。どうしてこういうことになっているかというと、ビアンカは幼馴染なんだけど、それ以上に、過去の

  • パーティ仲間

なわけ。子どもの頃に、一緒にダンジョン攻略をやっているし、モンスターと一緒に戦っている。それに対してフローラってなんなんだろうと考えると、ようするに

  • 実際のゲーム環境上のスキルがビアンカより上

ってだけなわけw つまり、明らかにゲーム制作側は、この結婚の「選択」イベントに対して、「平等に扱っていない」わけw つまり、後から考えるなら、ここにドラクエ5の

  • 欠点

があると言わざるをえない状況になっている。
(ちなみに、堀井さんが中川翔子との対談で、主人公と結婚しなかった場合に、フローラは別のNPSと結婚する後日譚が描かれるのに、ビアンカは一生、独身で通すとなっていることについて、彼女が聞いているんだけど、堀井さんは「それ以外にありえなかった」から、といったニュアンスで回答している。ようするに、堀井さんは最初からビアンカを「主人公」との関係を、こういった「運命」の存在として解釈している、ということを意味している。)
しかし、考えてみてほしい。ドラクエ5の頃なんて、まだ、ドラクエ人気が絶頂の頃だ。制作陣にとって、圧倒的に自分たちの作品に自信があっただろう。有頂天にまいあがっていたはずなのだ。つまり、こういった「瑕疵」について、大きく反省して考えるなんていうことは、だれもやらなかった。
ところが、ドラクエ8において、ものすごいことが起きた。それが、

だ。ドラクエ8は最初、PS2で発売された。そのとき、ストーリーの結末は、主人公と、幼馴染のミーティア姫が結婚する、というハッピーエンドだった。ところが、ものすごい量の

  • クレーム

がやってきた。このクレームがあまりにも多かったために、制作陣はどうしても、3DS版において、追加の「分岐」のストーリーを追加せざるをえないところに追い込まれた。これが、「ゼシカルート」だ。
つまり、主人公は、あるルートを通ったときだけ、ミーティア姫ではなく、ゼシカと結婚する。
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
ドラクエ3をやった人は分かるように、主人公は父親の足跡をたどる旅の途中で、何度も何度も故郷の母親のところに「ルーラ」を使って帰ってくる。なぜなら、

  • 母親がいる実家は唯一「無料」で泊まれる

からだw つまり、制作陣は「わざと」そうなるように、ゲームを設計したのだ。それと同時に、父親の足跡が分かるのと同時に、家に帰ったときの母親が主人公に語る内容が変わるように作られていた。つまり、これによって、どれだけ母親がオルテガを愛していたのかを知れるようになっていた。
制作陣にとって、この「関係」は自明だった。つまり、ドラクエ8においても、これと同様の「行動」が行われるんだと考えていたんだと思う。それが、魔法によって馬に変えられてしまったミーティア姫が、唯一、人間に一瞬だけ戻れる

  • 泉(いずみ)

に、なにかあるたびに戻るように「設計」されていた。
ところが、である。
ユーザーは、まあ、ほとんど泉に行かないんだよねw なんでって思うかもしれない。制作陣にとって、ミーティア姫は幼馴染で、仲がいい、っていうのが前提なんだけど、そもそもゲームでは、最初からミーティア姫は、馬に変えられた状態で、同行している。同行しているといっても、馬でしかないから、ほとんどストーリーに関わってこない。これに対して、ユーザーがやっているのは、圧倒的に多くの時間を

  • モンスターとの戦闘

に費しているわけ。そう。ずっと、ゼシカと二人三脚で戦っている。このまま最後まで行って、どうして、ゼシカと結婚しないの? むしろ、こっちの方が

  • 異常

だよねw そう。制作陣はユーザーがなにを考えているのかを理解できなかったのだ。ユーザーはドラクエ5をやったときに、なぜ年上のビアンカとの結婚を選んだのかを理解できなかったのだw
おそらく、このドラクエ8の3DS版における、分岐ルートを作ったときが、ドラクエ制作陣が改めて、

を考え直したんだと私は思っている。それは、そもそも自分たちが考えていたドラクエを、ユーザーの圧倒的な多数意見によって「否定」されたことのショックが、彼らを内省させたんだと思う。
そして、この「総括」として現れたのが、ドラクエ11だ。
この作品は非常に興味深いストーリーになっている。主人公は貴種流離譚として、王家の血筋をひきながら、田舎の小さな村で育てられる。そして、その村で主人公となかよく育ったのが、幼馴染のエマだ。彼女は主人公にぞっこんで、主人公と一緒にいるときは、キラキラとした笑顔をふりまくが、主人公がいないところでは、ずっと暗い顔をしている、と村で噂されるくらいだ。しかし、主人公は自らの出自について聞いて、村を飛び出し、旅に出る。そして、そのときエマを村に置いて、旅立つ。
普通に考えると、勇者である主人公は魔王を倒した後は、幼馴染のエマと結婚して幸せに暮すのだろう、と思うだろう。そして、この「結婚イベント」は実際に用意されている。
ところが、である。
問題は、ベロニカについてどう考えるのかにある。この問題は、この作品にかなり深く理解を深めないと、理解が進まない。ベロニカとセーニャは双子の姉妹で、ストーリーの前半でパーティ仲間となる。彼女たちはある「役割」をもって代々続いてきた、小さな村の出身だった。その村は、昔から「勇者に尽す」存在を産み、育てることを目的に続いてきた。そう。ベロニカもゼーニャも、「勇者」に尽すためのトレーニングを幼ない頃から、骨の髄まで叩き込まれていた。そういった「運命」を受け入れていたことが、後から主人公は知ることになる。
ベロニカは魔王によって、勇者パーティが滅ぼされようとした瞬間に、彼女の

  • 天才

の才能をすべて使い、自らの命とひきかえに勇者パーティを生き延びさせる。
これによって、生き延びた他の勇者パーティのメンバーは、あらためて結集して、魔王を滅ぼし、一回目のエンディングを迎える。
一回目と言ったのは、これで作品は終わらないからだ。そう。「トゥルー・エンド」と呼ばれているストーリーがここから始まる。
始まるのだが、このストーリーがどこか変なのだ。
勇者は、時の番人のところに向かう。そこで勇者は、時の番人の力によって「過去に戻る」選択をする。魔王を倒して世界が平和になったのにも関わらず、勇者は過去に戻る、と言うのだ。
考えてみよう。もうも勇者がエマと結婚するなら、過去に戻るというのは「パラドックス」だ。なぜなら、勇者が好きなエマは、この世界にいて、過去にはいないからだ。つまり、どういうことか? このドラクエ11は、完全に、ドラクエ5における

  • フローラ結婚ルート

が再現されていると言っていいのだ。つまり、制作陣はドラクエ5における、明らかな脚本の不備であって、フローラ結婚ルートの「説得力のなさ」を、

  • こういったストーリーであれば「幼馴染をふりきってでも」他の女性を選ぶ、ということに説得力を与えられる

と考えたものだったと解釈できるのではないか。
勇者が過去に戻る理由は、一つしかない。

  • 自分のために命を捧げたベロニカのいないこの世界に自分だけ生き続けることはできない

と。そう。主人公はドラクエシリーズすべてと同様に、なにも語らない。語らないが、なぜ主人公が過去に戻ったのかは、誰がどう考えても、

  • たった一人のベロニカのため

だったわけだ。

追記:
この「トゥルー・ストーリー」について、主人公が過去に戻らないという選択肢を用意している。つまり、過去に行かないという方を選ぶことができる。ただ、そうすると、選んだ場合に用意されている多くのサブストーリーを楽しむことができなくなるが。
そして、例の結婚イベントだが、ベロニカ・バージョンも用意されている。ただ、その内容はひかえめだった印象が強い。おそらく、他の結婚イベントとのバランスを考えたのだろう。せっかくだから、このタイミングででも、なぜ主人公が過去に戻る「トゥルー・エンド」を選んだのかの理由をベロニカに語らせる場面を用意してくれたらよかったと思うが、ここは徹底して、主人公にはなにも語らせない(ユーザーの「解釈」に一定の自由を許している)、というポリシーを貫いているということなのだろう...。