美内すずえ『ガラスの仮面』

演じるということ。演技であるのだが、じゃあ、それが、彼女本人で「ない」わけではないんでね。じゃあ、そこでやってることはなんなのか。
嵐ヶ丘マザー・テレサ。狼少女。八百屋お七
こうやって、ほんの一部だけとりあげるだけでも、ちょっと尋常じゃない内容だってわかりますよね。
だから、演じるって、非常に抽象的な所作なんですね。高度な抽象力のいる。現象学的なアプローチともいえるような。また、どうしても、認識する側に、そういった高度な態度を要求してくる。でもそれは、実存的には、本人そのものであり、殴られれば、痛みを感じる、当たり前の日常。
太古のギリシア悲劇の時代から、繰り返してきた、人間の営為なんですが、なんとも、どう言ってよいのか......。
ライバル。「あしながおじさん」。そういった伏線をもちながら、唯一、画竜点睛なのは、今だに、完結していないことですかね。それがむしろ、テーマの非完結性、答えのなさをあらわしているのでしょうか。

ガラスの仮面 (第1巻) (白泉社文庫)

ガラスの仮面 (第1巻) (白泉社文庫)

リンク切れ

ホームページには、このURL切れがつきもの。いろいろ探せば、たいていの情報は、ゲットできるんだけど。まあ、生きているといいますか、生モノといいますか、自然生々的なところがありますからね、ネット上のコンテンツには。むしろ、しっかり管理されているところ以外は、そういったレベルの情報として扱え、ということなんでしょうね。
だから、作法といいますか、ブログをメンテしようと思ったとき(これがいけないという考えもありますけどね)、どういう状態にしておくものなのか。そもそも、URLは、いつか切れるので、リンクを使わないのか。それとも逆に、こういったことは、日常茶飯事なんだから、むしろ、なにもしないで切れたままにしておけ、なのか。