錬金術モデル

アメリカ大統領選挙における、トランプの勝利は、日本から見ていると、NAFTAやTPPといった、各国中央政府(つまり、エスタブリッシュメント)主導の、地域グローバル貿易協定に対する

  • 反逆者

として、アメリカ国内の地域経済が、中央政府に「反逆」を示した、というふうにも見える。NAFTAによって、アメリカの地方の工場地帯は、完全にゴーストタウンに突き落とされたわけだが、それを嬉々として行った「非国民」の、大企業の経営者であり、彼らとグルになって、アメリカの愛国者の大量の失業者を出しておきながら、なんの助けも行わなかった、中央政府という「非国民」たちが、地元の仕事を奪い、物価も賃金も安い、アメリカ国内の田舎とくらべて、

  • さらなる田舎

である、メキシコなどへ工場を移転する。
国内に大量の失業者を生み出し、他国に「雇用」を生み出し、結果として、

  • 経営者 ... 労働者の賃金の差額で大金を儲ける
  • アメリカの中央政府 ... こういった経営者から莫大の資金ワイロをもらう
  • メキシコの中央政府 ... 国内に工場が来てくれて、仕事も税金も増えて嬉しい
  • メキシコ国内の新しい工場で働く大量の労働者 ... 仕事ができてお金を貰えて嬉しい

つまり、こういった連中にとって、この「錬金術」に問題を言うはずがない。だって、彼ら全員が得をしているのだから。しかし、ここに完全に欠けている視点がある。

  • アメリカ国内の地方の工場で働いていた大量の労働者 ... 不要になり全員解雇される。

言うまでもなく、こういった熟練労働者は、その仕事に特化したスキルを身につけてきた人たちなのであって、「もういらない」と言ってポイ捨てされたからといって、同じような職種に復職できるわけがない(そんな少数の人数の話をしているわけではない)。
これが、

だ。アメリカには、多くの大企業が本社をもち、多くのお金持ちが暮らしており、物価も賃金も高い。よって、あらゆる産業で国内の労働者を使うと損だ、という構造になっている。どの企業も、労働部門に、国内の労働者を使わない。全部海外へ、アウトソーシングだ。
しかし、である。
こんなことが許されていいのだろうか?
それを問うたのが、トランプだった、とは言えないだろうか? あまりにも、アメリカ国民に対して「冷たい」仕打ちではないか? こんなことをされても受け入れなければならない社会の、どこが「理想社会」なのか?
例えば、TPPは完全な「秘密主義」で行われている。これを、トランプは選挙戦において、糾弾した。まあ、「秘密」っていうことは、中央政府と大企業が

  • グル

になって、国民にとって不利なことを勝手に決めたんだな、と「だれだって思う」よねw まあ、その時点で、トランプの勝利は決まっていた、と言うこともできるわけだ。だいたい、秘密でなにかをやっている時点で、秘密でなにかをやった人間をまあ、私たちは「悪魔」だと思うよねw
そして、その悪魔の代表が

  • ヒラリー

だった。つまり、TPPが「秘密主義」である限り、少なくともヒラリーの敗北は決まっていた。それが、トランプの勝利を意味していたのかどうかはともかく。
ようするに、当たり前だけど、トランプはアメリカの「ナショナリズム」に訴えた。アメリカは

  • アメリカの国民ファーストであるべきだ

と言った。それを鼻で笑ったのが、ヒラリーだった。ヒラリーは

に決まっているじゃないか、と。それは彼女がかき集めた「政治資金」がみんな、お金持ちからの「わいろ」だったことが、非常に多くを語っていたわけである(対して、トランプの選挙活動が自己資金を中心に行われていたことと対照的に見られた)。
しかし、上記の情況を、ひるがえって日本において見てみると、TPP(嗤)。せめて、ノリ弁公開資料くらい、なんとかできないんですかね。あまりにも国民を馬鹿にしていると思いますけど...。

<挫折-励まし>関係

それにしても、今期のアニメで、「ViVid Strike!」と「Lostorage incited WIXOSS」は構造が似てしまった。それだけに、それぞれの、この後の展開の対比が興味深く感じられる。

  • フーカとリンネの関係 ... 子どもの頃からの親友。孤児院で、いじめられていたリンネをフーカが、かばっていた。リンネの富豪のベルリネッタ家の養子縁組によって、比較的に疎遠になる。リンネは学校での悲惨ないじめの体験を経て、自らの不幸の原因を自らの「弱さ」にあると悟り、総合格闘技での頂点を目指すようになる。しかし、リンネの、そういった弱者を馬鹿にした態度をフーカは受け入れられない。ーカもある縁によって、同じ総合格闘技を目指すようになり、フーカはリンネとの勝負での勝利を目指すようになる。
  • すず子と千夏の関係 ... 子どもの頃からの親友。弱虫のすず子を千夏が元気づけていた。千夏の転校を経て疎遠になる。千夏は父親のリストラを契機に行きたかった進学校への受験が絶望的であることを悟ると共に、自分がすず子を「励ませる」ような立場でないことを知り、自己に絶望すると共に、すず子への友情を捨てる。しかし、高校になり再会を果たしたすず子はそんな千夏を受け入れられない。同じウィクロスというゲームを行う競技者として、すず子は千夏との勝負での勝利を目指すようになる。

こうやって見ると、確かに非常に似ているが、そのポイントをまとめると、

  • 幼い頃の二人の精神的な深い繋がり
  • 成長と共に、さまざまな縁によって、比較的に疎遠になる
  • 一方の、ある種の挫折によって、二人の今まであった「友情」の関係が「一方側」だけが捨てる
  • その一方の側の、ある種の「挫折」を、もう一方側が理解していくと共に、そちら側が相手を「救おう」と立ち上がる

こういった関係をどのように総括すればいいのであろうか。
一つはっきりしていることは、二人の関係が、子どもの頃にあり、その「深い」繋がりがそう簡単には、離れない、というところにあるのだろう。
それだけ、子どもの頃のこの関係は、まだ何も知らなかった、幼いものであったとしても、その深さにおいて、決して、その後の人生において、捨てたりといったように簡単に扱えない、というわけである。
千夏が父親のリストラによって、家が貧しくなることは、千夏がすず子を「励ます」ような立場ではなくなること、この現代という資本主義社会においては、リストラによって社会の底辺に落ちた者は、もはや立ち直れない。そして、その「残酷さ」は子どもにのしかかってくる。千夏は資本主義ゲームの敗者になった。その時点で彼女は、子どもの頃のすず子に言っていた「励まし」の言葉の一つ一つが恥かしくなる。
ベルリネッタ家の養子になり、養子先の両親を喜ばせようと学校に通っていたリンネは学校での壮絶なリンチによって、すべての問題の原因を自分が弱いことに見出そうとする。総合格闘技で勝ち続け、自分が強くなることだけが全ての答えだと考えるようになり、フーカは幼い頃の優しい心を失ったリンネとケンカをしてしまう。
二人の友情は、一方の「変化」によって、維持しがたいものになっていくわけであるが、両方の作品に言えることが、その一方の「変化」が

  • 社会的な要因

で起きている。つまり、当事者にはどうしようもなかったのではないか、と思われる「原因」にあるところにある。
しかし、である。
これは「挫折した側」の反応としては、そうだと言えるであろうが、他方、もう一方の側からはどう見えているのだろうか。フーカやすず子にとって、相手がとても傷ついていることは理解できるし、その「つらさ」を理解しながらも、そのことが、二人の「友情」を捨てなければならないような要因のものであるようには思えない。
資本主義の残酷さや、弱者が「いじめ」られる社会の残酷さが、それが悲惨であればあるほど、彼女たちの幼かった頃の二人の「精神的繋がり」を引き裂かれなければならないほどのものには、とうてい思えない。そのことが、なぜフーカやすず子が、リンネや千夏に

  • 立ち向かっていこうとする

のかの原因になっている、というわけである...。