自己言及の問題についてのある考察

東浩紀の『存在論的、郵便的』をこの前から読んでいたわけであるが、一つ、どうしても違和感をもたざるをえないのがある。それは、

  • なぜこの本には「自己言及のパラドックス」の話がでてこないのだろう?

ということであった。
特にその違和感を強くするのが、前半の柄谷の「ゲーデル不完全性定理」の解釈を紹介する場面なのであるが、まずは、この文脈をふりかえろう。

冒頭で述べたように、デリダの仕事は七〇年代アメリカで広く受容された。当時「脱構築主義」(イェール学派)の中心人物とみなされたポール・ド・マンは、七九年の『読むことのアレゴリー』で脱構築についてつぎのように説明している。
ド・マンはこの著作の第一章で、まず「何の違いがある? What's the difference?」という疑問文を例に挙げている。ド・マンによれば、その文について「私たちは発話者の文法からでは、彼が「違い」が『何』かを本当に知りたいのか、それともまさに違いを見出すべきではないと言っているのか分からない」。与えられた文を文字どおりに理解すれば、それは「違い」の内容についての質問になるし、修辞疑問として受け取れば、それは「違い」の存在を否定する文章になる。そのどちらの読みが正当かは、原理的に判断できない。そしてここでさらに重要なのは、そこで二つの読みがたがいに衝突する要請を行っていることである。「私たちは文法修辞との差異の問題に直面している。文法は私たちに質問することを命じる。しかし私たちが質問するための手段とする文章は、質問の可能性そのものを否定している」。つまり問題の文は、一方で「違い」の探究を求めながら、他方でまさにその探究そのものの無効性を宣言している。ド・マンがここで「文法」「修辞」と呼ぶものは、明らかにコンスタティブとパフォーマティブの区別に相当している(オースティンの名も言及されている)。したがって彼がここで注目しているのは、ひとつの言明の二つの読解レヴェルへの同時所属、およびその結果生じる二律背反(ダブル・バインド)の現象である。「脱構築」的読解は、あらゆるテクストのなかに宿るそのダブル・バインドを暴露するため行われる。「脱構築は私たちがテクストに加えるものではなく、そもそもテクストを構成するものである」。

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

上記の引用は、そもそもこれが何を言っているのかが、さっぱり分からない。それは、この文章を読む私たちが「頭が悪い」からではなく、上記の

  • 何の違いがある? What's the difference?

が、ポール・ド・マンの『読むことのアレゴリー』においては、ある「例」についての説明の「中」で使われている言葉であるのにも関わらず、なぜかこの文章においてはその「例」そのものについて紹介していないからなのだ。
しかし、その問題に入る前に、一つ気になることを書いている。それは、

への言及であるわけだが、まずは、この「オースティン」について言及している、上記の問題の場面の前に書かれている、この問題の理論的な考察の個所から、これがどういった文脈で語られているのかから、見ていこう。

今日、フランスその他の地で実践されてている文学的記号学の最も際立った特徴の一つは、文法的(特に統語論的)構造と修辞的構造を結びつけてしまい、両者間に存在しうる食い違いを明確に意識していない、ということである。

われわれは、こうした比喩の文法への還元がはたして正当なのか、と問うことができる。文学テクストにおける文章という単位のうちに----また、それを超えたところに----文法的な諸構造が存在することは否定できないし、その記述や分類は不可欠である。だが、そのような分類(学)に修辞的な文彩が含まれうるのか、含まれうるならいかなる形で含まれうるのか、という問いが残されれいる。
読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語

ポール・ド・マンの問題意識には、ここにあるように、

  • 比喩の文法への還元

つまり、「文法」(または、記号論理と言ってもいい)至上主義的な風潮への懐疑なのだ。

文法の認識論と修辞の認識論を峻別するのは手ごわい仕事なのだ。われわれには、まったく純朴に、文法体系を普遍性に向かうものとして、また単に生成的なものとして、つまりは(派生のみならず変形をも支配する)単一のモデルから----そのモデルを転覆しれしまうような別のモデルの介入なしに----無限のヴァージョンを引き出せるものとして思念する傾向がある。
読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語

文法と論理は揺ぎなく支え合う一対の関係にある。言述の論理というよりも、むしろアメリカの文学的記号学の仕事に最近多大な影響を与えたオースティンの言語行為論のように、行為の論理においてもまた、言語行為と文法のあいだを困難もなく行き来できてしまう。つまり、言語の内部で発語内行為と称される命令、質問、比例、想定などを遂行することは、それに対応する命令文、疑問文、否定文、祈願文などの統語的文法構造に相当する、という道理なのである。
読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語

ド・マンが言いたいのは、オースティンの言語行為論も典型的な

  • 比喩の文法への還元

だ、ということになる(上記にあるように、さらなる「文法」の追加によって、この「綻び」は回収できる、と)。
つまりどういうことかというと、明らかにド・マンは、東浩紀とは反対に否定的に、オースティンに言及している。東浩紀はなにかを「誤解」(または、まだ当時は日本語に翻訳されていなかった『読むことのアレゴリー』の誤読を)しているようなのだ。
しかし、その問題は後で考えよう。まずは、ド・マンが問題にする

  • 修辞

は、そういった枠内では収まらないということの、抽象的な理論化を見ていく。

問題の核心に立ち入ったり、最近のアメリカの実例を踏み越えなくても、また古くからの伝統の力に頼らなくても、ここで想定されている文法と修辞の連続性は理論的・哲学的な思索によっては確証されないことが分かるだろう。ケネス・バークは「わずかな偏り、あるいは意図的ではない誤り」と定義される偏向[deflection]----彼はこれをフロイトの言う置換と構造的に引き比べている----を、言語の修辞的な基礎であると説明している。つまり、偏向とは文法から、バークおなじみの文法と修辞の峻別という主張が出てくる。ニーチェソシュールともに現代記号学の哲学的な基礎を築いたチャールズ・サンダース・パースは、有名で底知れぬほど示唆的な記号の定義づけにおいて、文法と修辞の峻別を強調した。周知のように、彼は記号が対象と取り結ぶいかなる関係においても、解釈項[interpretant]と呼ばれる第三の要素が必然的に存在すると主張する。記号が伝えようとしている概念が理解されるためには、記号は解釈されなくてはならない。それは、記号が事物ではなく、代理=表象[representation]と呼ばれる単純に生成的----すなわち、一義的な起源に基づく----とは言えないプロセスによって、事物から出来させられる意味だからである。パースにとって、記号の解釈は意味ではなく別の記号に関わることである。つまり、記号の解釈は解読することではなく、読むことであり、今度はこの読むことが別の記号へと無限に解釈されていかねばならないのだ。
読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語

ポール・ド・マンの解釈では、一般の「文法」(記号論理学と言ってもいい)と、「修辞」には、決定的な差異がある、ということになる。この二つは、オースティンのように「文法」側に

  • 統合

できない。つまり、「修辞」を文法に包摂するために、さらに、幾つかの「用法」を文法に加えればなんとかなる、といったものとは、根本的に違う性質のものなのだ、と言っている。
では、具体的にどういったことなのか、といった例がこの後、幾つか紹介されるのだが、その最初に選ばれているのが、上記の「What's the difference?」なのである。

最初の例は、マスメディアのサブ文学作品[『オール・イン・ザ・ファミリー』シーズン3、エピソード15「アーチーとボウリング・チーム」一九七二年一二月一六日テレビ放映]から取り上げよう。ボウリングシューズの紐を上から通したいのか下から通したいのかと妻に訊ねられて、アーチー・バンカー[Archie Buncker]は "What's the difference?" という質問によって返答する。彼の妻は感嘆すべきほど単純な読み手であるため上から通すことと下から通すことの違いを辛抱強く説明することで応じようとするが、違いが何であれ、夫の怒りを煽るばかりである。この場合、"What's the difference?" は違いを尋ねているのではなく、「どう違おうとかまうものか」を意味している。同一の文法的パターンが相互に排他的な二つの意味を生み出しているのだ。字義的な意味は概念(差異)を求めているが、その存在は比喩的な意味によって否定されてしまう。ボウリング・シューズの話であるかぎり、結果はさほど深刻ではない。不快を感じているとはいえ、起源の権威(むろん、正しい起源でなければならないが)の大いなる信奉者アーチー・バンカーは、字義的な意味と比喩的な意味が衝突し合う中で何とかお茶を濁しているからだ。だが、ここで "What's the difference?" と問うのが「バンカー[Bunker]」ではなく、否定する人[de-bunker]であり、起源[arche](origin)の "de-bunker" ----例えば、ニーチェジャック・ラカンのような "archie De-bunker" ----だとしてみよう。彼の文法からは、彼が「実際に」、「どんな」差異を知りたがっているのか、あるいはどんなものは見出そうとさえすべきではないと言っているのかが分からないのである。文法と修辞の差異という問題に直面するとき、文法はわれわれに質問を発することを許すが、われわれが質問を発するために用いる文は、まさに質問の可能性そのものを否定してしまうかもしれない。つまり、私はその点を問いただしたいのだが、ある質問が問うているのか問うていないのかを明確に決定することさえできないなら、質問を発することはそもそも何の役に立つというのだろうか。
問題点は以下のとおりである。完全に明快な統語論的範列(質問)が少なくとも二つの意味をもつ文を生み出すが、一つはそれ自身の発語内的な様式を肯定し、もう一つは否定する。こうした特異な状況では、字義的、比喩的という二つの意味があって、そのどちらかが正しいのかを決定しなければならない、といった単純な話にはならない。このような混乱は、例えばアーチー点バンカーが妻の思い違いを正すといったような、テクスト外的な意図の介入によってしか解決されえない。だが、まさに彼が見せる怒りは、苛立ち以上のものを示している。つまり、それは自分ではコントロールできない、そして将来似たような混乱が無限に生じ、もしかするとそのどれもが無惨な結果に終わるかもしれないという悲観的な見通しを与える言語的意味構造に直面させられた時の彼の絶望を暴き出している。実際、こうした作用は、それを構成する比喩が未解決のまま宙吊りにされているあいだしか注意を引きつけない小テクストのみに関わるものではない。私は、常用の言語遣いに従って、こうした記号学的な謎を「修辞的」と呼ぶことにする。質問の文法的モデルが修辞的になるのは、われわれが一方に字義的な意味、そして他方に比喩的な意味をもつ時ではなく、文法的または他の言語学的装置によって(完全に相容れない可能性もありうる)二つの意味のどちらかが優勢であるかを決定できない時である。修辞は論理を根本的に宙吊りにし、指示的逸脱というめくるめく可能性を押し開くのだ。したがって、常用の言葉遣いからはさらに遠のくとしても、私は言葉の修辞的・比喩的な潜在可能性を文学そのものと同一視することをためらわない。
読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語

さて、この前半であるが、こうやって、この話がなんの例だったのかが分かってみると、案外、よくある普通のことを話していた、ということが分かるであろう。上記の引用では、ボーリングシューズの紐を上から通すか下から通すかを聞いてくる妻は、「単純」な人だから、"What's the difference?" をリテラルに受けとってしまう、と解釈しているが、普通に考えると、このケースは、

  • そんなん、どっちだっていいだろ(怒

と逆ギレしている、と解釈する方が自然だし、このテレビドラマの文脈上でも、そうなっている。よく分からないが、もしも妻の方がそれを「誤解」したとするなら、妻の側は、なんらかの、この違いによる、例えば、実際にプレーをする上での、利点のような「知識」があったのかもしれないし、なんらかの、「占い」などの「運勢」に関係した意味合いを込めていたのかもしれないし、単純に、「いつもどっちにしているのか」に合わせておいた方が、違和感なくはける、くらいの気付かいだったのかもしれない。
そういった印象について分かってくると、最初に引用した、東浩紀の、この問題に対する「まとめ」とは、ずいぶんと印象が違って見えてこないだろうか。
東浩紀の「まとめ」の方は、この "What's the difference?" による、文法的な解釈と、比喩的な解釈の二つが

  • 対立

しており、その二つが決定できない「ということ」が、問題の全てである、という印象を受ける。そこから彼は、オースティンの、コンスタィヴとパフォーマティヴの二つの「対立」こそがその「答え」であることを示唆し、最終的にこの問題は

  • 他者

という「外部」の内部への「導入」のような話に議論が移っていく。
ところが、ポール・ド・マンの上記の引用の後半を読めば分かるように、彼はそういった「二元論」をどうやって、弁証法的に解決するのか、といったことを言っているのではないわけである。そうではなくて、

  • いろいろ

な場面において、

  • 自分ではコントロールできない、そして将来似たような混乱が無限に生じ、もしかするとそのどれもが無惨な結果に終わるかもしれないという悲観的な見通しを与える言語的意味構造に直面させられた時の彼の絶望

といった、より「一般的」な言語にまつわる「悲劇」を問題にしているわけである。つまり、上記のような「ダブル・バインド」が解消されれば、夫婦間の喧嘩が収まって、幸せになれるとか、そういったことを言っているのではないわけで、そういったより「広い」意味での、言語の「悲劇」を彼は、修辞的という言葉に込めている、というところがポイントなわけだ。
こうやって考えてくると、柄谷行人東浩紀には、決定的な違いがあることが分かってくる。柄谷が「形式化の諸問題」と言ったときに、なぜ「クレタ人」の問題から始めているのか? それは、上記のポール・ド・マンの問題意識を徹底して引き継いでいるからであって、つまり、問題は「形式化(=記号化)」にあることを、柄谷はよく分かっているからなのだ。
クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った。この場合、クレタ人が嘘をついても、ついてなくても、左記の命題は偽になってしまう(そもそも、嘘とは、99の真実に一つの嘘を混ぜるから効果があるのであって、本来は「クレタ人は<よく>嘘をつく、とクレタ人は言った」といったところが、もともとなのだろうが)。いずれにしろ、なぜこんなことになってしまうのかということだが、これが「自己言及」と言われているもので、バートランド・ラッセルは、この問題を、形式論理の「階層化」によって回避する案を提示するわけだが、それが『プリンピキア・マセマティカ』である。確かにこの案は、現在の数学では採用されていないが、それは、その扱いが煩瑣なこともあるわけだが、逆に、ソフトウェア開発などでは、「型理論」という形で一般化していたりする。
しかし、いずれにしろ、ゲーデル不完全性定理が、ヒルベルトの「有限の手続き」による、数学の形式化の構想の、ある種の「否定的な回答」を与えてしまうわけだが、このゲーデル不完全性定理で使われたアイデアこそが、まさに、「自己言及」という

だったわけである。

逆理の原因をよく調べてみると、どれもいわゆる "自己引照" を含んだ主張で構成されている。自己引照という用語の代わりにラッセルに従って非述語的という言葉を用いよう。
集合Mと要素mが、一方ではmはMの要素であり他方ではmがM自身に(すなわちM全体に)もとづいて定義されているならば、mの定義は非述語的であるといい、Mは非述語的定義を含むという。そのときmはM全体に関係して定義されているから、特にm自身を知らなければmを定義できないわけで、循環に陥ってしまう。例えば、"18文字以内で定義できない最小の自然数" では、この文章で定義された自然数をm、18文字以内で定義できない自然数全体の集合をMとするとき、mの定義はM自身に関係するから非述語的である。集合論における逆理も非述語的定義を含んでいる。ラッセルの逆理ではVとその要素 M_1 の関係がそれである。一方では M_1∈V であり、他方では M_1 の定義は(すべての集合xについて ¬x∈x かどうかをチェックしなければならないので)V全体に関与している。したがって M_1 の定義は非述語的である。
そこで非述語的定義を許さないことにすれば、今までに知られているすべての逆理を回避することができ万歳である。読者は上述の色々な逆理についてこれを確かめられたい。これで一応逆理から逃れることができた。しかし困ったことに、非述語的定義は数学ではよく用いられる論法で、これを許さないとなると数学の大部分を失ってしまうことになる。ワイエルシュトラウスの定理 "上に有界な実数集合は最小上界をもつ" が、解析学において基礎中の基礎の定理であることは論をまたない。上の大前提はこれを失ってしまう。有理数全体Qをωと1対1に対応させ、有理数自然数を同一視する。実際XはQのデデキント切断の上組と考える。Mを、与えられた上に有界な実数集合とすれば、Mの最小上限 S=supM は

  • S=∩{X|X∈M}

によって表わすことができる。Mがある条件 C(X) によって

  • X∈M ⇔ C(X)

で与えられているとしよう。そのとき S は、

  • ∀r∈Q[r∈S ⇔ ∀X(C(X) ⇒ r∈X)]

によって規定される。このSの定義は、一般に非述語的である。なぜなら S の要素は何かという問い(すなわちSは何であるかという問いにほかならない)に対し、一般にはどんなXが C(X) をみたすかを知らなければならない。よって特に、S自身に対し C(X) をみたすかを知らなければならないであろう。それは結局、Sがどんな要素から成っているか知ることを要求するであろう。
このような次第でワイエルシュトラスの定理は、非述語的定義を含んでいることがわかった。だから逆理を避けるのに、非述語的定義を排除するという要請は、認めるわけにいかないであろう。ここにわれわれは一頓挫をきたすことになった。今日、逆理をいかにうまく逃れ、しかも有用な結果を失わずにすますことができるかは未解決の大問題である。数学基礎論はこのような数学の危機を救う目的で誕生した分野であり、論理学、集合論などに多大の貢献をもたらしたいけれども、根本問題----数学・論理学からの矛盾の完全追放----は未だ解決するに至っていない。恐らくこの問題は永久に解決できないものであろう。これは人知の限界を越える問題であると思える。人知の限界説は、理論物理学オッペンハイマーゲーデル不完全性定理の意義について述べたときの言葉であるが、筆者も全く同感である。それでわれわれは次善の策として、集合論を公理論的に取り扱うことで満足しよう。

公理的集合論 (現代数学レクチャーズ (B‐10))

公理的集合論 (現代数学レクチャーズ (B‐10))

上記のワイエルシュトラスの定理の何が問題なのか?

supM は非述語的定義によらないで定義できるような集合Mは沢山ある。"すべての" 非有界集合がこの性質をもつと主張するところに問題がある。
公理的集合論 (現代数学レクチャーズ (B‐10))

言うまでもないが、自己言及にならない「例」など、ほとんど全てと言っていいくらい、いくらでもある。そうでありながら、なぜこの定理が問題なのかと言えば、それは

  • すべて

がそうだから、と言ってしまっているからなわけであろう。しかし、この「全て」とか「存在する」といった用語を(なんの制限もなく使うことを)私たちはそう簡単に手放せるのだろうか? そして、この問題が最も深刻なものこそ、「哲学」ではないのか(哲学こそ、なんらかの「一般化」の代名詞なのだから)? しかし、もしもその系譜学的な「起源」が、ポール・ド・マンが言うような、ある種の

  • 修辞

にあるとしたら?
柄谷は、ポール・ド・マンによって定義された「修辞」が、彼が例に挙げた "What's the difference?" を超えた、より深刻な問題であることをよく理解している。だから、柄谷はド・マンが言っていたこと以上に、「形式化の諸問題」に取り組まざるをえなかった。対して、東浩紀は、最初から彼の答えは決まっていた。それは、オースティンの

  • コンスタティヴとパフォーマティヴ

という対立(という、もう一つの「形式化」)に「還元」してしまうことであって、これによって彼は、 "What's the difference?" 問題を(もっと言えば、ゲーデルの不完全性問題を)乗り越えられると考えた。
彼の発想は一貫して、「弁証法」的になっていて、さまざまな問題は、それを「乗り越える」ことにしか意味を見出さない。そうして、高次の段階に移っていくことが、過去の「遅れた」認識を超越していく手段くらいにしか考えていない。
しかし、ポール・ド・マンの言っている「修辞」の問題は、そんなに単純なことではない。そうやって、新しい「文法」を追加していったとしても、絶えず、その側から生み出されていくような、

  • 形式化

そのものが内蔵しているような、問題を考えていたわけであろう。
東浩紀の『存在論的、郵便的』は、よく読んでいくと、幾つかの「ポイント」となる個所があることに気付いていく。

彼は八五年のテクスト「転回のための八章」で、すでにつぎのように述べていた。

哲学が「内省」にはじまるとすれば、現象学はそれを徹底化している。デリダが出会うのは、われわれがそこから出発しなければならず、且つそこから出発してはならないという、あのパラドックスである。彼は、ハイデッガーのように、"哲学" 以前の思考に帰着することを拒む。したがって、彼の仕事は、哲学の "内部" で、たえずそれを反転していく作業にほかならなくなる。
[...]デリダは、現象学における明証性が「自己への現前」、すなわち「自分が話すのを聞く」ことにあるという。《声は意識である》(「声と現象」)。これは、西欧における音声中心主義への批判というふうに読まれてしまうけれども、彼は、たんに哲学あるいは現象学が、習う=聴く立場に立っていることをいっているにすぎない。そして、デリダは、そのような態度の変更に向かうのではなく、「自己への現前」に先立つ痕跡ないし差延の根源性に遡行する。《このような痕跡は、現象学的根源性そのもの以上に<根源的>である----もしわれわれが<根源的>というこの言葉を、矛盾なしに保持することができ、直ちにそれを削除しうると仮定すれば》(「声と現象」)。
直ちに抹消されるものだとしても、この根源的な差異は、われわれを再び「神秘主義」に追いやることになる。デリダは、「超越論的なのは差異である」というが、このとき、差異が超越化されるのだ、といってもよい。

柄谷はここで、ひとつの主体(主観)から出発する方法一般を「内省」と名指している。ひとつのシステムから出発し、それを自壊させることで根源的差異を発見するデリダの方法は、最終的には差異の神秘化・超越化しか帰結しない。本章でこれから見ていくように、柄谷のこの批判は一面で正しい。実際、フッサールソシュールの批判から始めたデリダが、自分の仕事の柄谷的な意義を自覚していなかったと考えるほうが難しいはずである。このかぎりにおいて、デリダ論は柄谷のこと一節に尽きている。
しかし私たちは、デリダに関するまた別の問い、「何故デリダはそのような奇妙なテクストを書いたのか」という疑問から出発している。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

柄谷の問題意識からすれば、「形式化」と、フッサール現象学は、ほとんど同じ問題だと言っていい。それは、

  • 内省

という形で示されるが、それはなんらかの「神秘主義」に関係していく。しかし、それに対して、東浩紀

  • 何故デリダはそのような奇妙なテクストを書いたのか

という問題を対置する。しかし、これは変なのではないか? なぜなら、そういった中期デリダの「間テキスト」的な「実践」がたとえどういったものであれ、前期デリダの問題がそれによって

  • 乗り越えられる

といったものとは限らないからだ。そして、この問題は柄谷についても言える。

ウィトゲンシュタインは『実無限』の問題をたんに経験論的な立場から放棄したのではなく、それをいわば《他者》との関係のレヴェルに移動させたのだ」(同)。この認識は、私たちがいままで論じてきた後期デリダの理論的射程と深く呼応している。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

東浩紀の見立てでは、柄谷の「形式化の諸問題」は、「探究1」のウィトゲンシュタイン論によって「乗り越えられた」ものとして解釈される。つまり、形式化は「他者」論によって「克服」されたのだ、と。しかし、上記の引用が言っているのは、たんに、ウィトゲンシュタインは、その言説のレベルを

  • 移動

させた、としか言っていない。つまり、別に、それによって「形式化の諸問題」が(まさに、ヘーゲルアウフヘーベンのように)「乗り越えられた」などとは言っていないわけである。

「思考されざるもの」へと向かう逆説的、あるいは脱論理学的な思考を、詩的言説へと近づきつつ組織していくこと。デリダはこのハイデガー的戦略を継承している。そしてこの継承線は、ドゥルーズやリオタール、また多少世代が異なるラカンレヴィナスたちにも共通して辿られている。「思考されざるもの」、「不可能なもの」、「潜在的なもの」、「現実界」、「外部」、どう名付けてもよいが、そこでの問題は結局、非世界的な何らかの存在を掴まえるための隠喩的=理論的戦略である。そして、ハイデガーから出発した彼らの戦略は、必然的に細部まで似通っている。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

東浩紀の『存在論的、郵便的』の後半は、ハイデガー論となっている。なぜか? それは言うまでもなく、デリダこそが、まさに、ハイデガーと戦い続けた人だったから、ということを意味する。
しかし、そのこと(この本の後半がハイデガー論であること)は上記の文脈を辿ってきた私たちには、どこか「異様」な印象を受けざるをえない。というのは、なぜここでハイデガーが問題になるのかが、うまく繋がらないからだ。

ハイデガーは思考対象とその条件との関係を、クラインの壺的な歪みのなかで捉えた。彼が「論理学」の有効性を断固拒否したのは、その学が「歪み」を消去すると考えられたからでえある。しかしその拒否にもかかわらず、ハイデガーのこの着想はまさに論理学的に厳密だったとも言える。何故ならそれは内容的にも時期的にも明らかに、数学史においてプリンキピア・マテマティカ体系(論理実証主義の数学的対応物)の内在的批判として登場した、三一年のゲーデル不完全性定理に対応していたからである。ハイデガーゲーデルもともに、メタ / オブジェクトのレヴェル分け、いわゆる「ロジカル・タイピング」の無矛盾性(xonsistency)を破る構造を発見した。その構造は前者では「実存論的構造」と、後者では「ゲーデル数」と呼ばれている。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

上記の引用にもあるように、基本的にハイデガー記号論理についての、徹底した思考は読み取れない。そうであるにも関わらず、東浩紀は強引にも、ハイデガーがこういった

  • 形式化の問題

について、あたかも通暁したいたかのような議論を行う。それは、プリンキピア・マテマティカとの、たんなる「活動時期の同一性」を理由にしてw
そして、この「異様」さを、最も象徴的に示す議論こそが、このハイデガー

  • 実存論的議論

を、なぜか、ゲーデル不完全性定理と「平行」させて議論をしているからだ。これがなぜ「異様」なのか? それこそ、ここで一貫して議論をしてきた問題、つまり、

  • 自己言及

を最も象徴しているものこそ、まさにこの「実存主義」である、という、あまりにも自明なことがここでは、驚くべきほどの鈍感さで

  • 無視

されているからだ。

第三章でも触れらように、『存在と時間』はこの機能侵犯に「呼び声 Ruf」という音声的隠喩を当てている。呼び声(ルフ)は私の外から到来するものではない。それは「私の中からしかも私を超えて aus mir und doch uber mich」響く。そしてその声こそが「現存在の本来的な存在可能」を、つまり「客体的存在者の『事実性』からは本質的に区別されるべき」「実存性」を開示する(第五四--五七節)。呼び声(ルフ)が実存的構造を可能にする。私たちはこのハイデガーの主張を、今度はクラインの壺の安定化装置について語られらものと解釈できるだろう。呼び声(ルフ)は管と円錐部分を循環し、底面=世界のゲーデル的亀裂をより高次で「縫合する suturer」(22)。その縫合作用がなければ世界は開かれたまま放置されてしまう、言い換えれば、象徴界シニフィアンの単なる集積に散逸してしまう[図2 - 2]。現存在の統一性は、底面に空いた穴とその縫合作用、すなわち「現 Da」の開放性とそれを閉じる呼び声(ルフ)の循環運動で維持されるのだ。私たちは以下このシステムを、やはり前二章にしたがい「否定神学システム」と呼ぶことにしよう。そこでは「不可能なもの」は世界内でただ一つ現れる。ゲーデル的亀裂を縫合する呼び声(ルフ)とは第二章のパースペクティヴで言えば、システムを不完全性において完全にする逆説的 - 超越論的シニフィアンラカンの言う "必ず届く手紙" のことである。実際テマティックにも、『存在と時間』の呼び声(ルフ)は、「いかなる知識も与えない」にもかかわらず人を「負い目ある存在」に変える「不気味さ」と規定され(第五八節)、『盗まれた手紙』に登場する手紙と多くの特徴が一致する。
二〇年代のハイデガー否定神学システム、新しい「超」を発見した。その重要性についてはさきほど述べた。しかしここでより注目すべきは、彼が同時にそのシステムの安定化装置、つまり超越論的シニフィアンの循環運動を発見していたことである。前掲書の浅田は同じ装置を、資本主義システムをつねに破壊しつつ同時に安定化させる「貨幣 - 資本の循環運動」に見出していた。その経済擁護を隠喩的に用いるならば、ハイデガーは資本主義(否定神学システム)と同時に貨幣(超越論的シニフィアン)を発見したとも言えるだろう。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

上記は一見すると、難しい議論をしているように思われるかもしれない。しかし、ようするに、ゲーデル不完全性定理を、ハイデガーの「実存主義」を

  • 同一視

をすることで、ゲーデル不完全性定理

  • 乗り越え(=証明)

ハイデガーによって「達成」されている、という「からくり」になる。もちろん、それさえも彼の言う「否定神学システム」ではあるのだが、ここで新しいアイデアとして組み込まれたものが、浅田彰が『構造と力』で議論を行った、「クラインの壺」を、資本主義システムにおける、貨幣の「主体」から「客体」への、絶えず繰り返す「往還運動」を、ハイデガーの「実存主義」にも見出すという、

な読みにあるわけだが(この浅田彰の「アイデア」そのものの「うさんくささ」については何度かここでも書いているわけで、そのことも問題ではあるのだが)。ちなみに、上記における「縫合」の説明につけられている注釈(22)は、以下のようになる:

ジャック=アラン・ミレールの隠喩を借りた。[...]ミレールはこの論文でラカン精神分析の中心概念をフレーゲの算術論を援用して説明し、そのなかで「縫合」という語を用いる。ここで彼の議論に詳しい紹介はできないが、ただひとつ、そこですでに「論理的縫合作用 suturation logique」が水平 / 垂直の「二つの軸」に関わるとされていることは注意を促しておく(p.46ff)。水平でバラバラなものをゼロ記号が垂直に縫合するというミレールの考えは、そのまま私たちの図に採用された。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

こういった、ただの群論的な変換構造における「ゼロ記号」の中心的な役割のような話(比喩)が、少なくとも、ゲーデル不完全性定理の「矛盾」の「解決」といったことと、まったく

  • 関係ない

ことは、普通に考えて分かるわけで、つまりはこれは、あくまでも「ハイデガー実存主義」に対しての、なんらかの意味での「パッチワーク」としての比喩として、ここで採用されているに過ぎず、ゲーデルとはなんの関係もないことは、理解されるであろう。
ここまで読んできて、私なりの上記の「違和感」の根源がどこにあるのかは、理解されるであろう。言うまでもなく、柄谷の「形式化の諸問題」において、彼の「形式化」批判と、フッサールから始まる「現象学」批判は、ほとんど区別されることのない、通底した問題であった。つまり、柄谷にとって、現象学は、

  • 批判すべき対象

として、これが戦うべき相手であることは、自明の前提として存在していた。そういう意味では、この延長で考えている、ハイデガーデリダも、概ね、こういった「現象学」の延長で考察しているものとしては、平行して批判の遡上に存在していることは一貫していた。ところが、東浩紀になると、この姿勢が、

  • 曖昧

になる。もちろん、ハイデガーデリダも、なんらかの意味において、フッサールと戦ったわけであろう。それは、フッサールの範囲の現象学を抜け出すことこそが、師匠を超えて、新しい道を開拓すること、という意味では。しかし、そのことと、実際に彼らが行っていたこととは、また、別の話なわけであろう。
おそらくは、こういった問題意識の違いが、東浩紀の議論から

  • 自己言及

の問題を、見えなくさせた、ということになるのではないだろうか。それこそ、ポール・ド・マンの、もう一つの主著の名前である『盲目と明視』のように、なんらかの「洞察」が、なんらかの「盲目」を、ほとんど必然的であるかのように、招来してしまう、といったように...。
(私は上記では、東浩紀のその本について、否定的な解釈を行ったわけだが、そのことと、彼の(あくまでも)デリダの読解の(ある意味における)思想史的な意味がどれくらいあるのかは、また別の話だと思っている。事実、デリダハイデガーに深くコミットメントしていることは確かで、そのデリダの「意図」を辿ると考えるなら、この本とそれほど遠くない話になる、ということは多いにありうる話なわけであろう。ただ、私が上記でこだわったのは、あくまでも、ポール・ド・マン柄谷行人の文脈から見えてくる風景との違い、といった話で、ようするに、東浩紀デリダを説明するために使う「道具」に、あまり成功しているようには見えない、という、まあ、消極的な意見ということになるだろう。)