エミリ・ブロンテ詩集

エミリ・ブロンテとは誰か?私もなにか知っているわけではないが、あの「嵐が丘

嵐が丘 (集英社文庫)

嵐が丘 (集英社文庫)

を書いた女性である。「嵐が丘」をなんの先入観も持たずに読まれた方は、ものすごいカルチャーショックを受けるのではないでしょうか。とにかく、よく分からないんだけど、なにか自分たちには分からない、異常な感情にひたされるわけです。
そういった流れで、では、ほかの彼女の作品は?と探すと、あとは、詩集くらいしかない。まあ、ひとまず読んでみようと見てみると、たしかにおもしろい。しかし、多分、翻訳された翻訳が、いいんだろうな、とも思う。

わたしは孤独な人間 その運命を/尋ねようとする者は ひとりもなく、見て 悲しんでくれる者もいない。/この世に生を受けて以来、わたしは 憂いの想いを抱いたことはなく、/歓びの笑みを浮かべたことも いちどとして なかった。
ひそかな楽しみと、ひそかな涙のうちに、/この移ろいやすい人生は 瞬くまに時をすすめ、/十八年をへて 友はなく/この世に生まれ落ちたときと同じ ひとりぼっちである。
自分を隠しておけないこともあった。/それが侘しかったこともあった。/わたしの悲しい魂が その誇りを忘れ/この世で わたしを愛してくれる人を 憧れ求めたこともあった。
だが それは幼い感情の高揚が みられた時期(とき)のこと/その後 世の憂いに押し潰され、/消え去って久しく、/いまでは そういう時期(とき)があったとは とても信じられない。
「エミリ・ブロンテ詩集 11」

今、こんなふうに書ける日本の女性はいますかね?こうやって見ると、やはり、高貴な家庭の、気高い女性なのでしょうか。そうでない経済状況だとしても、精神はそうなのでしょう。でも、やっぱり変だ。「ジェイン・エア」のシャーロット・ブロンテだと、もっと現実社会のサクセスストーリーを野心的に語る功利的な世界ですよね。なんで、こんなに違っているのか。

強く わたしは立つ、わたしは/怒り、憎しみ、厳しい侮辱(けいべつ)に耐えてきたが。/強く わたしは立ち、人々が/わたしと戦ってきたさまを見て あざ笑う。
勝利の影よ、わたしは 軽蔑する/人の世の 取るに足らぬ風習(ならわし)を すべて。/わたしの心は自由、わたしの魂は自由。/差し招きなさい、そうすれば わたしはあなたについてゆく。
「エミリ・ブロンテ詩集 35」

こういった強烈な感情は、どこから来るのか?なぜこんなに、はっきりと言えるのか?わからないけど、なにかイメージの世界があるんだろう。こういったことは、子供の頃の言葉遊びにすぎなかったのだろうか。大人になることで、現実の経済社会を生き抜くノウハウを学ぶことこそ、リアルな社会になっていくということなのだろうか。わからないし、価値があるのかも私には知らないし、興味もない。

アレオンの 森のはずれに/淋(さみ)しい 美しい 空き地があります。/そこでともに育(はぐく)まれた二人の心が/最初の、運命の別れをしました。
午後の日は、柔らかな日差しのなかで、/それぞれの緑の丘と そよぐ木々に 光を注いでいました。/わたしの前に広がる、広々とした庭園の向こうに、/果てしない海が はるか遠く 広がっていました。
彼(あのかた)が わたしのもとを立ち去ってしまうと、わたしはそこに立ち、/青ざめた頬(ほお)をして でも 涙も枯れて、/わたしから 生命(いのち)と希望と喜びを/奪ってゆく帆船(ふね)を 見つめていました。
船は去ってしまい、その夜 眠れぬ悲しみに/わたしは 枕を濡らし、ひとり悲しみながら/わたしの魂は いつまでも大波の上を彷(さまよ)い、/永遠に飛び去った 恋しい人を思って 泣きました。
でも 追憶のなかで 明るくほほ笑みながら、/至福の一刻(ひととき)が わたしに 戻ってきます。/一通の文(ふみ)が 無事航海を終えたと/変わらぬ愛情を 伝えてくれました。
しかし 二通目はありません。心配と希望のうちに、/春、冬、穫り入れ期(どき)が いつの間にか 通り過ぎてゆきました。/そして ついに かつては耐えられなかった想いに/耐え得る力を 時間(とき)が もたらしてくれました。
そして わたしは 夏の夕暮れどき/わたしたちの 最後の別れを告げた場所へ よく行きました。/そして そこで、次々と浮かんでくる 幻を辿(たど)りながら/わたしは 晩鐘の鐘の時刻まで 去りやらず佇(たたず)んでいました。
「エミリ・ブロンテ詩集 42」

詩集 (ブロンテ全集 10) (2分冊)

詩集 (ブロンテ全集 10) (2分冊)