柄谷行人「被差別部落の「起源」」

作家の中上健次が亡くなったのは、ずいぶん前だが、彼は、生前、被差別部落と、彼自身の関係を語っていたことがある。彼の紀州サーガにおいて、雑賀孫市をにおわせる記述があったと思う。ここでは、主に、石尾芳久『一向一揆と部落』を読んで、その意味を研究した論文である。
以下は、織田信長が、鉄砲を主要な武器として使ったことに関連して述べられた部分の一部である。

(中略)つまり、それは、人間を自然の暴力から解放し、身分の平等をはかるためにこの上なく大切な道具だったのである。すなわち、武器の差別の消滅とともに、主人と奴隷との区別もなくなったのである。火薬は城壁の堅陣をも破砕したから、城壁も城そのものもいまやその重要性を失ってしまった。なるほど、人々は個人的な勇敢の価値の没落または低下を嘆くかもしれない。(剛勇無双の士も、またいかなる義士も、卑怯者の遠くから、片隅から放つ一発のためにやられてしまう。(中略)
ヘーゲル『歴史哲学』下巻・武市健人訳・岩波書店

いかにもヘーゲル的な言い方だが、鉄砲がたんに物質的なものにとどまらぬ効果(結果)をもたらすことを示している。つまり、鉄砲は、封建的な身分やそれに伴う名誉の観念を解体する。その意味で、普遍的な「人間性」を実現する物質性である。

青銅器の武器から、鉄の武器に変わったときも、ずいぶんと革命的な変化であったと思うが、その後、火薬、鉄砲である。チンギス・ハーンが火薬で、世界征服を行ったことは、有名だが、今までの、人たちが、思っていた、「勇敢さ」「名誉」こういったものを、鉄砲は、まったく、違った次元のものにしてしまった。

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)