今谷明『日本の国王と土民』

集英社版日本の歴史の9巻である。
室町時代は、びっくりするくらい、大河ドラマや、歴史小説の舞台にならない。しかし、それはどういうことかを考えると、逆に、日本という国が、どういう国であるのかが分かってくる。
たとえば、水戸学派の「大日本史」が、最初は、南北時代の南朝北朝への吸収によって、終わっていることから、当時、彼らが、そこまでの、天皇王朝は、一度、そこで終わって、その後は、それとは違う、なにか別のものが始まったと、考えていたことを示している。じゃあ、そこでは何が起きていたのか、である。
まず、決定的なのは、足利義満の入貢である。義満は、自身を日本国王と名乗ることになる。結果としては、天皇家は、その後も続くことになるが、とにかく、ここで、権力や正当性の所在が、確実に変わったのだ。
そのことに、明治以降の、教育を受けた人々は、名分論から、どうしても信じられない態度になり、しまいには、逆ギレする。なにせ、貴族とは、源平にしてから、天皇のメインストリームから外れた、天皇の子供の血筋の人たちですから、もちろん、上記のことを、こころよく思わなかったでしょう。しかし、この名分論なんて、しょせん中国の朱子学者の受け売りでしょう。よく考えてほしい。当時の、義満からの流れがやったことが、その後の日本社会にどれだけの影響を与えることであったか。それを考えれば、天皇家関係の人々が、進んで彼への恭順の態度を示していることが、実に自然なことであることを。
義満におかげで、おおっぴらに中国と貿易ができることになり、まず、日本が輸入をしたものは、大量の貨幣である。実質、この時代に、日本にも、とうとう貨幣経済が、本格化したのだ(ちなみに、学生時代に、なぜ、中国の貨幣を使うのか不思議に思ったが、今考えれば、逆に、それが、どれだけ、有益なことか。なぜなら、そのまま、中国で買い物ができるのだ。今の世界の国でも、そういう国は、たくさんありますね.....古銭銅貨だったんでしたっけ。)。
この貨幣の流通社会とは、何を意味する社会なのか。それは、一般庶民という存在を、根底的にまったく違う存在に変えてしまうのだ。まず、土地を含めた、所有の感覚に決定的に目覚めさせる。そして、当時の、土一揆とは、そういった、金貸し屋から、借金を棒引きさせろ、という運動ですね。
陸上交通の手段としての馬が大変普及して、その当時の世界でも類例がないほどの、船が行き交う(海外とを含めた)海上交通が盛んになり、魚などの海産物も、大量に市場に出回り、現在の日本人が、食している、「だし」の効いた日本料理が、始めてこの時代に始められる。
こういったさまざまのことが、実際は、武器のテクノロジーの進化とあいまって、内乱、戦争の絶えない時代としたが、一つだけ言えることは、ほとんどすべてといっていいくらいに、私たちが今思っている日本の伝統といえるもの、感情や倫理などが、この時代にできているということだ(忠孝の考えにしたって、それ以前にもあったとしても、それは今の庶民をまきこんだものとは、まったく次元の違うものでしょう)。

日本国王と土民 (日本の歴史)

日本国王と土民 (日本の歴史)