柄谷行人「『世界共和国へ』に関するノート(2)」

以前、柄谷行人が、どこかで、「必要」というようなことを言ってたような記憶があるんだけど、どこに載っていたのかが思いだせない(確か、以下のマルクスの有名な言葉に関連しての話だったと思うんですけどね。

各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!

ゴータ綱領批判 (岩波文庫 白 126-4)

ゴータ綱領批判 (岩波文庫 白 126-4)

)。内容としては単純で、自分は昔から、必要ということについて考えてきた。といった位のもので、必要な範囲で消費して、無駄な浪費をやらない、そういったことについて、昔から、考えてきた、というものだったと思う。確かに、マルクスにからめた話だし、どこに書いてあっても不思議のないような話だけど、あんまりこんなこと言いそうもない気もするので、なんかの思い違いかもしれない。そういってても、すぐに、思いだすかもしれないけど。
それで、この記事は、多少、その答えになってるのかな、と思ったのだが、槌田敦さんの、理論から、地球を熱開放系と考え、彼独自の環境理論を提示するのだが、例えば、企業活動において、空気や、水が、ただ、というのは、上記の考えに反する。どう考えても環境の破壊は進行する。資本は、そういった抜け穴を使って利潤をあげていくのだが、いずれ、税金などによる、この面の利潤率の低下は、まぬがれないだろう。そして、それは、消費者においても同じだ。結局、税金がどうのというより、どうしようもないんだけど、人間の生産・消費活動は続き、その資本の運動には、持続可能性についてなど考えていない(あらかじめ、システムに組込まれていない)、ということだ。いきつくところまで行くチキンレースかもしれないし、そうとうヤバイところで、弥縫策の連発でデッドエンドを気持ちだけひきのばすのかしらないけど。

季刊at(あっと)6号

季刊at(あっと)6号