柄谷行人「アカーの裁判を傍聴して」

このエッセイにおいて、アカーの人たちの裁判を見る機会をえたときの、感想を書いている(昔、雑誌の現代思想の特集で見たのですけど、下記の文庫の解説にあるようです)。

 私は1961年ごろ、安保闘争の6・15事件の裁判に関係したことがあり、以後も友人が被告であったために10年近くそれを間接的に見守っていた。しかし、その裁判は人を意気阻喪させるものであった。法廷で問われていたのは、ある人物がいつどこにいて何をしたかであって、この事件の目的や意味などではなかった。当初は、被告や支援者もブルジョア裁判を粉砕するといった意気ごみがあったが、裁判のあまりにも散文的なプロセスはそれを萎えさせた。私は、裁判が、それまで考えていたのと全然違った言語ゲームなのだということをようやく悟った。

人生に意味を付与していく生き方をしている人にとって(ほとんどの人がそうだろうが)、裁判における、言語ゲームの形式性が、意味をみいだそうとする自分の生き方を否定されるように思うのだろう。しかし、その裁判にこそ、大きなパワー、影響がある、という。

日本の被差別解放運動は一般的に法廷を避けて、直接的な糾弾や運動に向かった。それは一つには裁判において原告側がつねに不利だったからであるが、あの「形式化」そのものに耐え難いものがあるからだ。たとえば、就職や結婚において裁判上の違法事実があれば、それが差別によろうとよるまいと、有罪である。裁判の判決は高々そんなものある。相手が謝罪するわけではないし、自分の味わった苦痛がそれでいやされるわけでもない。だから、「目には目を」という、直接的な糾弾に走りたくなる気持ちはわかる。しかし、裁判は緩慢だが、はるかに効果がある。なぜなら、それは個々の糾弾とは違って形式的だからである。たとえば、日本で「セクハラ」問題がいっぺんに社会的に浸透したのは、裁判の判決が出たあとであった。個人的な糾弾と謝罪がいくら積み重ねられても、そのような力をもちえない。実際、アカーの裁判は決着がついていないにもかかわらず、このケース以外のところですでに効果をもたらしている。

ブルジョア民主主義を簡単に否定することはできない。否定はできないが、じゃあ、どれだけ、フェアな場所か、というのもあやしい。あきらかに、国策捜査は少なからずあるし、裁判所自体が、国や大企業寄りの判決を下しやすい。しかし、そうであったとしても、裁判の場で争点となることは、大きな影響をその後の日本社会に長いスパンで持続的に起こす。そういったシステムというのは、そんなにない。

もうひとつの青春―同性愛者たち (文春文庫)

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