廣松渉『今こそマルクスを読み返す』

廣松渉といえば、今はもう故人だが、この本では、かなり、真正面から、マルクス共産主義について、書いている。
マルクスは、資本主義の終焉の後にある、ユートピアの、共産主義社会を、かなり高度なレベルで考えていた、ということが言われる。そのこともあり、マルクスは、その具体的なイメージを語らなかったんですね。
それだけに、レーニンや、スターリンは、エンゲルスの言説をつなぎとして、夢としての、共産社会の中間的段階として、国家社会主義を主張した。そしてそれは、21世紀をまたずに、ロシア、東欧において、終焉を迎えた。この現象を、フランシス・フクヤマは、歴史の終焉と言ったわけなんでしょうけど、まあ、なにかが解決されたと思っている人はいませんね。たんに、昔に戻っただけで。
だから、今読んでも、逆なんだ、ということが、さかんに書かれている。歴史は、マルクス主義を拒否したんだ、といっても、逆に、マルクスの書いたものを読むと、今のこの現象を言いあてている、といいますか、逆に、言ってることは正確だ、となる、と。
だから、マルクスのイメージしていた、共産主義社会が、かなり高度なレベルで、考えられていた、ということが、欠点ではあるんだけど、ナメてかかれないってことを言っているんだと思う。
当たり前の話で、カント以降の、啓蒙思想の流れから、生れてきた鬼子なんでね(カントは、3批判書を書きましたが、その後は、フロイトにしても、マルクスにしても、第4、第5の、批判書を書いたところはありますね)。
カントもそうだけど、なんか、これから、彼らの本を読む未来の読者に向かって、挑発しているように読めて、しかたがないところはありますね(おい、未来の読者、お前らの時代はもっと情報、増えてるんだろ、この問題解決して、乗り越えてみろよ。やれんだろ。まさか、解決できないどころか、後退なんかしてないだろうな)。
現代を見ても、なんにも解決なんてなってないじゃないですか。そんなことで、「マルクスを乗り越えた」とか呑気なことを言っている保守派、国家主義者には、いずれ弁証法が叩き込まれるぞ、ってことで。

今こそマルクスを読み返す (講談社現代新書)

今こそマルクスを読み返す (講談社現代新書)