中塚明『歴史の偽造をただす』

私は、戦後から、この日本を考えたとき、二つの大きなポイントがあったと思っています。
一つは、前に、書いたことですが(

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)

)、会沢正志斎『新論』についてです。この論文でかなりラディカルに「解釈」された、アマテラス教、ですね。
ここで、彼は、古代の朝廷の記録の総括から始めます。歴代の天皇が神軍を組織して各地方の抵抗する豪族を武力によって鎮圧・虐殺し、平定していく記録。そしてこれらが意味していることは、日本民族の使命、つまり、アマテラスからの神勅とは、このアマテラスへの帰依・信仰を、世界のすみずみにまで広げること、だと。
つまり、世界中の民族を滅ぼし、アマテラスの下にすべての人類を帰依させる。そういった世界を実現することが、日本民族が誕生したときからの、日本人がなぜこの世に生まれてきたのか、その使命であり、運命である、と整理したことですね。
もちろん、日本のそれまでの何百年間の天皇というのは、全然そういった勢力じゃなくて、細々とこの狭い日本列島の稲作農業の豊作を祈っているような、かなり平和な歌ばっかり詠んでいた、雅な一つの家柄でしかなかったわけなんでしょうが。
それを、このように、超がいくつもつくような、ウルトラな好戦的で武闘的なアマテラス信仰として、水戸学派の歴史書編纂の集大成みたいにして、再構成したってわけです。
よく言われるように、伊藤博文などの明治の高官たちにとって、天皇というのは、昭和の太平洋戦争中の、天皇崇拝とは違い、戦略的に、国家運営のツールとして利用するくらいの意識であって、実際に、そういった態度であったとも言いますね。
しかし、その後の歴史は、文部省が規定した通り天皇を「神」そのものとして、教育現場で、額付いて礼拝させてってなっていくわけでね(これでかなり国民の精神はまいってしまった)。だれも止められない。そして上記のような自己定義を教育しているわけだから、どんなに軍が暴走しようと、それが自己定義そのものなんですから、まともな批判なんてどこからも出てこない。
ちょっと前置きの、一つ目の話が長くなりましたが、もう一つのポイントが、この本の主題である、「朝鮮王宮占領」だと思うんですね。
上記の、アマテラス教は言ってみれば、いくら日本の人間がこんなことを考えて、日々、モンモンと暮していようが、思っている分には、勝手にしろってなもんですが、いざ、他国に対して実際に行動に移したということでは、この行動こそ、NHKの番組の、まさに、日本の「その時歴史は動いた」じゃないですけど、この事件こそ象徴だと。
この本を読んでもらうと分かりますが、その「朝鮮王宮占領」のことしか書いてありません。それだけで、一冊の本です。
この「朝鮮王宮占領」の話がどれだけやっかいかと言うと、当時の日本政府は公式の歴史からも、この事実と言いますか、この自分たちこそが軍事タクティクスとして、能動的に王宮を占領したことを、隠蔽してきたんですね。だから、当時の明治の日本人もかなり、ナイーブ。どうせ、向こうがいろいろやってきたから、仕方なくこういう形になったんであって、みたいな感じですね。また、このことが、当時の報道もそんなレベルみたいであったようだしで、国民も知らなかったし(天皇へも正確な情報が渡っていなかったみたいなこともこの本に書いてありますね)、それどころか、ずっと、戦後においても、似たような感じだったということなのだ。
というのは、上記のようなことですから、政府の公式資料に日本軍の体系的な資料がでてこない。それで、戦後、何人かの学者は、当時の報告日報や日誌などの周辺的な資料から、ほぼ事実を断定していたようなんですが、1993年、「佐藤文庫」から、かなりモロそのものという資料がでてきた、ということらしいです(題名が「朝鮮王宮ニ対スル威嚇的運動」のようなものらしいです)。
著者は、なぜここまで、事実が出てこなかったのか、ということについて、逆に、それだけ当時の当事者たちは、この事実が、国際法から考えて、知られてはならない事実と思ったからこそ、ではないのか、というような推論をしていますね。
私もそれほど、今の歴史教育リテラシーとかありませんし、この事実が今どういう状態にあるのか、とか全然知りません。しかし、まず、問題にしなければならないと思うのは、この本にもありますけど、司馬史観についてです。
最近も、日本はなぜ前の戦争に負けたのか、みたいな本がいっぱいありますよね。それで、司馬史観におかされた頭の人は、日露戦争までは、日本はすばらしい、となるわけです。あの有名な『坂の上の雲』のこの場面はこんならしいですよ。

大鳥は、韓国朝廷の臆病につけ入ってついにその最高顧問格になり、自分の事務所を宮殿にもちこんだ。
韓国に対する大鳥の要求はただふたつである。「清国への従属関係を断つこと。さらには日本軍の力によって清国軍を駆逐してもらいたいという要請を日本に出すこと」であった。
が、韓国側は清国が日本よりもはるかに強いと信じているため、この要求を容れることを当然ながらためらった。
しかし七月二十五日、ついに韓国はこの要求に屈し、大鳥に対し清国兵の駆逐を要請する公文書を出した。
大鳥はすでに派遣旅団長の大島義昌と気脈を通じている。公文書が出るや、大島旅団はときをうつさず牙山に布陣中の清国軍にむかって戦闘行軍を開始した。
司馬遼太郎坂の上の雲』、文春文庫、1978年、59〜60ページ)

まったく、朝鮮王宮占領なんて触れてすらいない。
いろいろ言う奴いますよね。当時の朝鮮王朝は腐りきってたんだし、日本が朝鮮を近代化してやったんだと、日本こそ、欧米列強の防波堤じゃないかとか。しかし、そんなこと私はなんの興味もない。そんなことなんにも問題にしていない。
そもそも、朝鮮国民のことは彼らが考えることですし(他者論の基本ですね)、もうそれ以前に、上記にあるように、言ってみれば、最初ですよ、日本がこの世界史に始めて登場するその最初の場面が、これですよ。
まったく、相手への、ちゃんとしたプロセスを大事にするという、信義も誠実さも世界史を担う誇りもなんにもありゃしない。まさに嘘も嘘も大嘘でぬりかためた朝鮮王宮占領(という主権簒奪行為)で始まってたというわけです。これこそ、幼稚と言わずしてなんなのでしょうかね。

歴史の偽造をただす―戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」

歴史の偽造をただす―戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」