神野志隆光『古事記と日本書紀』

いやあ、おもしろかった。古事記日本書紀、について考える場合の、決定版くらいの内容じゃないですかね。さすが、新書だ。著者の集大成と言ってもいいような内容じゃないですかね。
本居宣長古事記伝』の古事記解釈が、かなり、牽強付会であることが書かれる。それはいいんだけど、おもしろかったのは、彼の「もののあはれ」は倫理の問題だと言うんですね。

要は、世のすべてのことにふれ、それぞれにふさわしく、うれしいときはうれしく、おかしいときはおかしく、悲しいときは悲しく、恋しいときは恋しく、自然に心の動くのが「物のあはれをしる」ということだ。だから、「物のあはれをしる」のが「心ある人」、知らないのは「心なき人」である。人としてのあるべき心だから、「物のあはれをしる」のでなくては人としてのありようから外れてしまうということである。ことは倫理の問題以外ではない。

本居宣長は私もあまり読んでないんで、これくらいにしておきます。
また、中世において、日本書紀の神話の部分が、儒教や仏教の神話と同じであるということが、『日本書紀纂疏』などによって主張されていた。
そもそも、古事記日本書紀は、そうとう違う。二つとも、天皇の支配の正統性を言うものということでは同じなのだろうが、それでも、本質のところでかなり違う。
著者の方法は、テキスト・クリティークというんでしょうか。古事記日本書紀、について、それぞれの、テキストそのものが何を語っているか、それのこだわったとき、なにが見えるか。
そういった神話の相違の別の例として、万葉集柿本人麻呂の歌を挙げている。ここでは、天武天皇天孫降臨している。

天地の初めの時、天の河原に八百万・千万の神が神の集まりに集まられて神の領分を定めた時に、天照らす日女の命は天を統治なさるとし、葦原の瑞穂の国を天と地との寄りあう果てまでもお治めになる神の命として、天雲の重なりをおし分けて神下し申しあげた日の皇子は、清御原の宮に神として御殿を構えられ、すめろきの治められる国として天の原の岩戸を開いて神上がってしまわれた。

「清御原の宮」にあったというのだから、「日の皇子」は、天武天皇なのだ。
実は、日本書紀に、最初の、つまり王朝交代の、天皇であることを示唆する文章があるのだ(天武2年)。

天皇は新たに天下を平定し、初めて皇位におつきになった。それゆえ、ただ賀の使いのはかはお召しにならない。それはお前たちもみずから見た通りである。また時節は寒さに向かい、波も荒くなっている。長くひきとどめたならば、かえってお前たちを困らせることとなろう。だからはやく帰国するがよい。

9世紀の頃、講書というのがあった。『古語拾遺』やいろいろな「私記」。ここでは、さまざまに、日本書紀の神代を解釈・講義したものらしいのだが、そこで、神話の再解釈が実際に行われている。

古事記と日本書紀 (講談社現代新書)

古事記と日本書紀 (講談社現代新書)