平泉澄「眞木和泉守 楠子論講義」

前にも少し書いたんですけど、改めて、まとめておきます。
ここで、平泉は、楠木正成を、礼賛する。もちろん、彼が死んだって趨勢になんの影響も与えないし、後醍醐帝の南朝はジリ貧で、完全な死に体、無駄死そのもの。
しかし、逆なんですね。こうやって、これ以上ないくらいに、無意味に無駄になんの影響も与えない形で死んだ、それが滑稽であればあるほど、逆にその無意味さは反転して、楠木正成の、至誠の狂信はより強調され神秘の亡霊として徘徊闊歩し始めるんですね(それは、パウロや吉田松蔭と同じですね)。

足利は天下にのさばるでありませう。それは仕方がないが、皇統が断絶し給うことがなければそれでよい、それで満足しなければならぬ。しかしこれが大変なことで、これは自分一代の力では到底出来るものではありません。何代も何代もの力がここに注がれなければなりません。そこで自分が天命で死ぬのではなくして、病気で死ぬのではなくして、死ぬのでありますならばその精神に感動して、その親をなげく憤りを以てその一点、皇統の護持を通すでありませう。

だから、楠木正成は、彼が自ら死を選ぶことによって、その後、生まれてくる日本人に、日本臣民とは、そもそもなんのためにこの世に生を受けた存在であるか、どういう行動をするために生を与えられた存在であるのかについて、後進に真実を行動で示したのだ、と。
平泉は、楠木正成が、彼の親も子供も天皇のために、一緒に死ぬことを命令したことを、これ以上ないくらいに礼賛するんですね。

大義のために親しい間も考慮しないといふことであります。けれどもこれは世間の人の非常に困難とされることであります。それを楠公は親も陛下に命を捧げ、子にも死ねと云われたのである。親子兄弟の間の情愛を無視して死ねといはれたのであります。普通では自分は死んでも子は助けたいと思ふが、楠木氏は子も死ねと教へたのであります

たとえ、一族すべてが滅び、血が絶えようとも、それ以上に守るべき価値がある、それが天皇の存続なのだ、と。
この平泉の考えは、東条秀樹の戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」と共振して、日本軍人を特攻隊を象徴として、自死、無駄死に、に導いていくんですね。彼らは、積極的に、少しでも早く死のうとする。とにかく、明らかに今の戦局に変更を与えるような一撃ではない。しかし、この無意味さが、さらに、後進を奮い起たせ、目覚め覚醒させ、勇気と勇猛さをもって、どんどん立ち上がっていき、天皇のみ世をさらに広げて行くんだ、と。
しかしねえ、その行きつく先はなんですか。もう、どんどん死にました。日本には、(一部の特権階級の金持ちを除いて)男は子どもしかいなくなりました。ここまで急激に、日本人はいなくなっていたんです。
前にどこかでありましたけど、平泉の弱点は、まったく、日本人に向けてのものでしかなかったことですね。日本人へ自覚をうながすだけ。そもそも、当時の日本は多くの植民地、朝鮮人、中国人が一緒に戦っていたわけです。しかし、そういう彼らをエンゲージする言葉はなかった。たんに差別し侮辱するものでしかなかった(そういったところに、大川周明のポジションがあったということですね)。
戦後、平泉は一線を退き、もうマジョリティに大きな影響力を与えるものではなかったですね。ウルトラな発言は、まったく転向することなく続いたが、いったい誰に向けて語っていたんですかね。歴史から無視されて行きましたが、そもそも、戦争中と同じように、若者に向けて、同じ言葉を叫ぶことがなかったことが、その性根を雄弁に語ってるんじゃないでしょうか。

先哲を仰ぐ

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