倉西裕子『「記紀」はいかにして成立したか』

これまた、なかなかおもしろかった。初版2004年とあるから、比較的最近の本だ(ちょっと読みにくいのが欠点だな。文章が下手なのかな。いくら読んでも、結局何が言いたいのかが整理されてこない)。
ようするに、「記紀」には、元ネタがあっただろう。というのは、「記」の序文にもあるし、いろいろ書いてあるようであるから、本当であろう。「記紀」は日本最古だと行っても、歴史上、急にこんな濃密なものが現れるわけがない。では、その元ネタ、帝紀旧辞、はどのようなものであったのか。しかしそれは、モノが今ないのであるから、今あるものから推測する、ということになる。そんなこのが可能なのかと思うが、結局ある時期まではあったのであるから、いろいろそういったものがあった雰囲気を残す記述は、そこらじゅうにあるわけだ。そりゃそうだ、そういうものがあった頃に書かれたものならばね。
では、こういった作業がどういったことを明らかにしていくかと言えば、そりゃもちろん、「記紀」の謎だ。
この本では、そういった観点から、かなりスリリングな考察をしています。
まず、帝紀旧辞であるが、日本書紀を見ても、こういったペアで、書籍があったとする記述が見られるし、日本書紀内のこの本の作成の開始の記述にもこういったペアの書籍から、という記述がある。そういったものなどから、帝紀は、皇室の歴代の系譜、皇位継承のこと、旧辞は、編年体の政治的事項、こういったことが書かれたものだといえるのだそうだ。
ところで、「記紀」において、天皇の定義というのが違っていることが指摘される。古事記において、天皇になることを「治天下(あめのしたしろしめす)」、日本書紀では「あまつひつぎしろしめす(皇祖の祖霊を継承する)」。
つまり、卑弥呼の時代から、そういった呪術的な権力者と実際の政治を行う武闘的な権力者の両立した政治がずっと続けられてきたのではないのか。そうやって見ると、日本書紀において、「皇太子」が政治側である、と。古事記では、「ひつぎの皇子」が祭祀側、だったかな。
そういった視点でみると、遠山美都男の説であるが、大化の改新は、軽皇子孝徳天皇)によるクーデター説が関係してきます。孝徳天皇は、祭祀的な天皇の存在でありながら、皇太子がもつような政治的な権力をもとうとしたのではないか(その傍証として、孝徳天皇のころに、年号が日本で初めて使われたことの影響を指摘しています)。同じようなことは、草壁皇子持統天皇に言えると。そして、ここで日本書紀が終わっているのも、その逆転がこの後、ずっと続いたことにも理由があるのであろうと(その後は祭祀的な方は太上天皇と呼んだそうだ)。
だから、古事記は、当時のある旧辞帝紀の系譜をうめこんだものだと。それが、仁賢から推古までが、系譜の説明しかない理由となっている、みたいにも書いてますね。また、上記の天皇の定義の性格については、古事記の編纂が再開された元明天皇の頃の雰囲気が、天皇といえば上記の意味で政治的な権力をもつ存在を意味した時代だったのでこうなった、ということですね(このあたりが、説明不足な感じはするんだけど、別の本を執筆中らしいので)。
ちなみに、古事記の勅撰について、続日本紀に記述がある、という説について紹介してあります(つまり、古事記偽書説はここから言えば、反証されることになるのかな)。

第一に、『古事記』の献上された和銅5年一月とする年月日と、『続日本紀』の和銅7年2月条の紀朝臣清人と三宅臣藤麻呂による『国史』の撰進の年月日とが、異種の干支紀年法に基づけば同年同日となると唱えている友田吉之助氏の説が着目されることになります。
続日本紀和銅7年2月10日条は、以下の一文となります。

従六位上朝臣清人正八位下三三宅臣藤麻呂。令撰國史。

さて、今度は日本書紀ですが、こちらについては、続日本紀に記述があるのは、日本紀でして、名前が違う。また、それには、系譜が一つついていた、という。そこから、今の日本書紀は、その日本紀の本文の方に系譜がとりこまれ、そのときに、上記にある、祭祀的な意味がとりいれられて、天皇の定義が本来に戻った、となったということらしいです。
例の、天武天皇記紀という二つの歴史書を作ろうとした問題については、その二つの内容があまりに違うじゃないか、という点については、今迄言ってきたように、その初めた頃は、二つとも似た考えのものだった、ということですね(こっちはまあ、いいでしょう。でも、なんで、一つだけあればいいように思うのに、二つも?っていのは、たぶん普通にあるんですけど、もう少し整理して説明してほしいですね)。
最後は、以下の指摘で終わっています。

また、江戸中期の国学者である本居宣長は、『古事記』を重視しましたが、「あめのしたしろしめす」を「天皇」の定義とする『古事記』の研究は、国学派や水戸学派を形成し、やがて明治維新の原動力となってゆきます。「天皇」の役割や機能を「あめのしたしろしめす」とみなす古事記研究が、大政奉還や大日本憲法の制定などの政治的事象に大きく影響を与えていたとも言えます。

前の神野志さんのときもそうだったけど、古事記の神話と、日本書紀の神話を、同じことが書いてあるように言うのは、いろいろ認識の細部に問題がありますね(私もあんまり区別なく言ってたところもあったけど)。古事記は、皇室の権力の源泉がアマテラスから神ちょくを受けるということで、アマテラス中心が、はっきりしているけど、日本書紀の方は、アマテラスはそれほど、直接的な存在ではないんですよね。引用個所にあるように、やっぱり、宣長古事記の発見・評価というのは、本当に後世に影響してますね。こんなところからも、宣長をどう考えるのかというのは、大きい問題ですね。