坂口安吾「通俗作家 荷風」

安吾は戦中、戦後、幾つかのエッセイを書いていて、これは、「堕落論」の後なのかな。作家の永井荷風を痛烈に批判(罵倒に近いですね)している文章である。

元々荷風という人は、凡そ文学者たるの内省をもたぬ人で、江戸前のただのいなせな老爺と同じく極めて幼稚に我のみ高しと信じわが趣味に非ざるものを低しと見る甚だ厭味な通人だ。彼は「墨汁奇譚」に於て現代人を罵倒して自己の優越を争うことを悪徳と見、人よりも先んじて名を売り、富をつくろうとする努力を罵り、人を押しのけて我を通そうとする行いを憎み呪っているのである。
荷風は生れながらにして生家の多少の名誉と小金を持っている人であった。そしてその彼の境遇が他によって脅かされることを憎む心情が彼のモラルの最後のものを決定しており、人間とは如何なるものか、人間は何を求め何を愛すか、そういう誠実な思考に身をささげたことはない。それどころか、自分の境遇の外にも色々の境遇があり、その境遇からの思考があってそれが彼自らの境遇とその思考に対立しているという単純な事実に就てすらも考えていないのだ。
荷風に於ては人間の歴史的な考察すらもない。即ち彼にとっては「生れ」が全てであって、生れに付随した地位や富を絶対とみ、歴史の流れから現在のみを切り離して万事自分一個の都合本位に正義を組み立てている人である。

私は、ほぼ永井荷風を読んでないので、判断はしませんが、下に紹介した文庫はよく読むんですけど、ある種、一貫してるんですよね。「堕落論」というエッセイが、ある種、戦後の焼け野原を代表するものとして、流通してきて、いざ、ここまで来ると、そもそも、あの短いエッセイは、本当のところ、何が言いたかったんだろう、となるんですね。そう思って読んでいると、錯綜とした中に、戦前も戦後もない、ある一貫したモチーフがあるように思える。

坂口安吾全集〈14〉 (ちくま文庫)

坂口安吾全集〈14〉 (ちくま文庫)