ヤトさんどミオワタ

あいかわらず、長かった。疲れた。前に書いたときには、ホン・ドゥクジュが死んだ少し後くらいまで見ていたのだが、その後も、これだけ長いといろいろなことが起きる。
どうも、イム・サンオク(林尚沃)という大富豪の商人は、実在の人物ということみたいですね。あと、洪景来の乱がでてきました。
作品としては、どうなんでしょうね。あんまり評判はよくないのかもしれないと思ったんですが。
特に、ダニョンお嬢さんとの関係ですね。こちらは、ホジュンのイェジンとは違って、物語の早い段階で、自分から、イム・サンオクに、自分の想いをうちあけ、話は動き始める。イム・サンオクも、自分の気持ちに気付くというかたちで、告白するという展開になる。
しかし、お嬢さんは言ってみれば、彼の父を殺した原因となる松商のボスの娘(実際は、養子のような位置みたいだが)であり、周りから祝福されることはない。儒教では、当然、家と家の結婚ですからね。彼の方は、作品の後半で、湾商のボスのホン・ドゥクジュの娘ミグムと結婚して、妊娠して、となる。
そういうわけですから、ずっとダニョンお嬢さんは逃げ腰なんだけど、彼の態度は、ずっと未練タラタラ。最後はお互い、いい親友でいようね、みたいなところで、作品は終わる、という感じでしょうか。
「やっぱり家族は大事だよね」という人たちには、ミグムと結婚した時点で、あいかわらず、ダニョンをおっかけてるのが、不快の一言(心で想ってるなんて、ある意味、体の関係があるより、たちのわるい不倫と言えなくもないですからね)。
他方、「愛はつらぬかなきゃね」という人たちは、なんで結婚してんだ、子供ができようが、離婚するなり、愛人にするなり(そういう場面もありましたが)、なんとかしろ、となる。
どうなんですかね。朱子学は、この世の中の物質的な構成への関心もありますが、その関心は、家族や、国家の秩序へ、広がる。よって、恋愛とか、結婚というのも、当然、そのスコープにはいるので、熱心にやたらまじめに関心をもつんですね。
そこが、韓流のパワーなんでしょうが、関心をもつだけならいいんですけど、もともと動機がそんな感じだから、やたらと、様式ばっていき、教訓話くさくなる。
そこから考えても、朱子学的には、多分、これがベストなんですよ。もともと、法律のかわりみたいなものですから。こういう、だれにも迷惑や混乱の種をまかないようなところにおちつくのが、いわば、中庸ってわけで。
でも、最近、宣長を読んでて、まさにこれこそ、漢意って、言いたくなりますね。なんなんだ、この、玉虫色の決着は。人のあはれに思う心、どうしようもなくあふれてくる感情を最後まで、徹底的に肯定する宣長からすれば、「ああまた漢意がやってるよ」ってことなんですかね。ここまでくると、陽明学にも近いとは思いますが。
社会的に成功しようが、世の中の、貧しい人が少なくなろうが、それがどうしたというんですかね(問題発言ですが)。はい、そのために、あきらめました、って、それ、なんの説教?って感じでしょう。
一昔前の、古くさい教訓話を聞かされているようでね。アホか、でしょ。
ダニョンお嬢さんは、少なくとも、言ってることは、言うだけ言ってるんですよね。冷やかに、あきれたように相手の小者っぷりを理解した上で(すみません。私の勝手な解釈ですが)、天職である松商での商売にうちこむ(このキム・ヒョンジュという女優さんが美しい)。こんなアホさっさと忘れて、これからも、いろいろ恋愛経験つんで、楽しく生きてくださいな、って感じですね。
あとは、イム・サンオク、ですが、最後は、さとりすまして、宇宙の真理でも見つけたかのように、ヘラヘラ笑って終り。
もういいですかね。