日隅一雄『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか』

いつも通り、

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で紹介されている本。
マスコミの問題について、系統的にまとめられている。大変、よくまとまっているし、「重要な」本だと思う。
一言で言えば、日本に生まれて、日本で暮らしている日本人にとって、NHK、日テレ、TBS、フジ、テレ朝、また、これらにぶらさがった、新聞各社。こういったものが、それなりに、公平に、良心的にやっていると思っているわけです。少なくとも、これらこそが、日本の良心・公平を代表するものだと。しかし、そうなのか、というわけですね。
私がこれを読んでいて思ったことは、ゲーデル不完全性定理についてです。つまり、数学基礎論的な、「メタ」の議論についてです。私たちは、日々、大手マスコミがたれ流すサブスタンスを享受・消費しているわけですが、では逆に、こういった大手マスコミ「について」の議論を、どこまで自覚的に行っているでしょうか。彼らが、毎日たれ流すシャワーをあびながら、結局それ、そのシャワーの作成プロセスへの視線をどこまで形成できているでしょうか。
やはり、あい変わらず、こういったメタ的議論と、そのメタが論じる対象との区別が、論理的に区別する訓練が弱いのではないか。
私たちは、この大手マスコミのたれ流し情報にしか、触れていません。そうすると、彼らに流す情報をコントロールされると、簡単に「無知の無知」が作れるというわけです。そんなムチムチでいくらモノを考えたって、そこから導きだせる結論はたかが知れている。
さて、この問題は、まったく、つい最近、起きた問題ではないわけですね。

半藤一利の昭和史(全2巻セット)

半藤一利の昭和史(全2巻セット)

で、参謀本部満州占領計画に関連して、マスメディアの果たした役割が次のように指摘されている。

注目すべきはその(満州問題解決方策大網の)終わりの方に、この大方針を実行に移すにはどう考えても内外の理解が必要であると述べていること。その「内」とはマスコミをさします。この辺から、マスコミが軍の政策に協力しないと、つまり国民にうまく宣伝してもらえなければ、成功しないということは軍部は意識しはじめます。張作霖爆殺事件以降の、陸軍のもくろみが全部パーになったのは、反対に回ったマスコミにあおられた国民が「陸軍はけしからん」と思ってしまったのが原因だとたいへんに反省したからです。ゆえに今度何かをやる時はマスコミをうまく使おうじゃないか、というので、ここから先はマスコミ対策が参謀本部の大仕事となり、新聞社及び普及しつつあったラジオ、日本放送協会への働き掛けがいろんな形でどんどん強くなっていきます。

よく、保守派が言うのが、戦争の責任は、市民が侵略を後押ししたからで、新聞などのマスメディアが、徹底的にあおったからだ、と。しかし、そもそも、参謀本部こそ、そのような報道を行うことを、陰に陽に、強いたわけでしょう。実質、参謀本部大本営そのものだったわけでしょう。まあ、今とどれだけ違うか、ですね。
例えば、電通の問題について。

そして、広告料は企業から直接支払われるのではなく、広告代理店を通して支払われるのが実態だ。広告のスペース、CMの枠をあらかじめ広告代理店が確保しておいて、企業の広告需要に合わせて、そのスペース、枠を効果的に使いながら効果的な広告を発信している。

この程度の事実も、ほとんどの人、ろくに知らないんじゃないですかね。だって、テレビ見てても、電通がなにやってるかの話なんて、まず出てこないでしょう。これだけの大規模な作業を、この機関が、しかも、企業広告だけでなく、政府広報を含めて、行っているわけです。なにほどのことが、当然、起きますよね。
また、記者クラブにしてもそうです。

田中角栄氏は首相になってまもなく、軽井沢の別荘に番記者を呼び出して、「郵政相のときから、俺は各社の内容も、社長も部長も知っている。その気になれば、どうにでもなる。君らもつまらんネタを追いかけるのはやめろ」と脅したという(

電波利権 (新潮新書)

電波利権 (新潮新書)

)。
確かに、田中氏の利権問題は、記者クラブ員全員が知っていたが報道されず、フリージャーナリストであった立花隆氏の報道によって初めて世間の知るところとなった。

こんな例、いくらでもあるんでしょうが、ほとんどの人が知らない(神保さんは、光市事件で安田弁護側が何を主張しているか、まったく、大手メディアでとりあげられないことに、こだわってますね)。
例えば、安倍元首相がかかわった、NHKの女性国際軍事法廷に関する番組「ETV2001」への圧力。彼は、いろいろ証拠がありながら、今だにまったく、総括してないですよね(また、この証拠がまったく報道されない。結局、これからも、この報道を抑圧していくスタンスなんでしょうが、少なくとも、有識者はこの無様な醜態を知ってるわけで、この事件を総括できないことこそ、彼が復活する、一番のあしかせでしょう)。
しかし、その安倍以上に無残なのが、NHKの上層部がみせた体たらくなわけですね。掲題の本にあるように、もともとNHKは、税金で経営しているわけじゃなく、市民のお金で経営しているわけですから、市民側のメディアなわけなんですね。逆に、(安倍という政治家のあまりに不用意なこの公衆面前でのパフォーマンスがトリガーだったとしても)この事件以降、現場は、なんとかこのぶざまな結果を挽回しようと、質のいい報道が増えている面はあるんじゃないか、みたいには言ってましたね。
さて、以下は、総務省の「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」の、2007年6月の「中間取りまとめ」に対するパブリックコメントの一部である。

表現の自由はきわめて重大な人権であり、また非常に萎縮しやすく、その回復が困難な権利でもある。これを侵害するおそれのある対策は原則として違憲である。「公共の福祉のための規則」は、明らかに他の回復不可能な人権、すなわち国民の生命や安全等を明らかに侵害する場合のような、非常に重大な場合に厳格に限られるべきである。しかし、いわゆる「有害コンテンツ」には、重大な犯罪に直結していうとはいえないものも含まれている。これらを一括して「公共の福祉」のためとして規制の対象とするのは、明らかに表現の自由を軽視するもので、容認できない。(138/185)

政府が直接、インターネット規制することには絶対に反対だ。日本を中国や北朝鮮のような言論の自由の無い国にしたいのか? インターネットの規制をしたいのなら、政府から独立した行政委員会を設置すべきなのと、独立行政委員会の人事には、政府が絶対に口出しを出来ないようなシステムをつくるべき。テレビに対して、適合性審査という名の番組内容規制をしようとしているようだが、内容規制をすることには反対する。どうしても内容規制をするのであれば、放送について政府直轄のシステムは変更するべき。(155/185)

分かるんですけど、国家とはそういうものですからね、前にも書きましたが。あらゆる機会をとらえて、国家は、狙ってくるでしょう。少しずつ、少しずつ、国家は市民社会を侵食してくる。だから、長期的には絶望的なんですけどー。
上で、戦中の話も書きましたし、こういう問題は、ほかのアジア各国でもあるわけですし。やっぱり、少しずつでも、自覚的になっていくしかないわけですね。ひとまず、やれることとしては、だれか、各政党のマニュフェストに、こういう問題への態度を明記させてくれませんかね(あっ、そうか。でも、マスコミがそれを放送しないのか。でも、ないよりいいでしょ)。

[旧版]マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのかー権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する

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