小林美佳『性犯罪被害にあうということ』

あまり先入観をもたないで、ぼーっと読んでいたつもりだったのだが、どんどんひきこまれた。
著者は、彼氏と別れた日に、道をたずねてきた二人の男に、車にひきずりこまれ、その一方の男に、レイプされる。その後、著者は、その体験の後遺症に悩むのだが、こうやって一言で言えないような、膨大な、いろいろな感情に襲われる。ちょっとしたキーワードにも、吐き気をもよおすくらいになる。いわゆる、PTSD。また、著者の、周りの身近な人への自分への無理解を非難する、わがままを要求する発言は、どんどんエスカレートして、過激になっていく。
そうであったのだが、本の半分くらいから、調子が変わってくる。インターネットの掲示板。りょうちゃん。彼女は、今だに犯人を特定できない著者とは違い、裁判で実刑をかちとる、しかも、両親にこの事実を知らせないで。彼女とのやりとりから、実は自分のまわりにも、こういった被害者が警察に行く前にかけこめる、市民団体があることも知る。このあたりから、著者は自分に起きた出来事の相対化が少しずつできてきているようにみえる。カウンセリング。2週間にいっぺん、行って話す場。

「あなたの言葉で、とても印象に残っていることがあるんです。『人が人を裏切った瞬間がとても汚いものに思えて寂しいし悲しかった』って、カウンセリングを始めた頃に言われたの。あなたの気持ちがとても的確に表されている気がして、その瞬間のあなたの気持ちがとても伝わって、私の心に強烈に突き刺さったような気がしたのを覚えています」

著者自身、そういう被害者をサポートするような法律の仕事をやったりしながら、少しずつ、この問題から、距離をおいていくようになる。
ただ、最後の方に、ひとつ気になる話が書いてある。前に著者をはげます言葉をかけてくれた人がいた。ひさしぶりに連絡があり、すぐに話を聞いてほしいということだったが、著者は軽い気持ちで、日にちを決めてと言ったのだが、連絡がなくなり、後でその人が死んでいたことを知る。
最近の私の関心の、文化人類学的な整理をしてしまえば、著者のこの裏切られるという形での体験から、人間関係に大きな(決して他人が返すことのできないような)贈与感を感じ、人と接していても、それへの無理解を露骨に表しながら、ナイーブに接してくる他人に嘔吐感を抱いていたが、著者自身、その後の、さまざまな体験を通して、自身にさまざまな他人への負債感を感じるようになり、少しずつですが、相対化されてきている、という感じでしょうか。そんなことより、著者の周りの多くの理解者が、重要であり、なによりの答でしょうけどね。
最後にこの本の内容とは関係ないですが、私は、アメリカのように、個人が銃などの武器をもつことに、必ずしも、反対ではありません。それは、「自己防衛(セルフ・ディフェンス)」という、個人主義の基本だと思うからです(もちろん、武器を放棄する選択はありうる。でも、大事なことは、日本人は、今だかつて「自分から」、武器を捨てたことなんてないこと。いつもお上から取り上げられた歴史的経験しかない)。自分を守るためなら「あらゆる」手段を使って「いい」んです。生きのびてきた、だから、「普通に」戦う。普通って嫌いな言葉ですが。

性犯罪被害にあうということ

性犯罪被害にあうということ