笠原十九司『南京事件論争史』

この本では、南京事件にまつわる、戦後の主にマスコミを通じて行われてきた論争を、通史的にまとめてある。そういった観点からの情報としては、おすすめの一冊だと思う。
南京事件の特徴は、大本営によって、日本国内にいっさいその情報が報じられなかったことなんですね。そして、日本軍でも、それなりに問題を意識していたようなのだが、まともに日本軍側が自分たちで、自分たちを裁いた様子はない。

ポツダム宣言に「われらの俘虜を虐待せる者をふくむいっさいの戦争犯罪人にたいしては、厳重なる処罰を加えらるべし」とあるように、連合国による戦争責任追求がおこなわれることを覚悟した政府と軍部は、閣議決定にもとづいて、証拠隠滅のためにいっさいの関係書類を焼却することを命じた。

これがなにを意味してるかというと、日本軍は、戦後になっても、こういった形で、情報戦を続行することを、命令しているんだと思います。戦後においても、日本は戦争していた、ということです。

ドイツと決定的に違ったのは、ドイツ国内にユダヤ収容所があり、映像記録、文書記録があり、何よりも被害者のユダヤ人もドイツ国民であったことである。日本の場合は南京は外国であり、被害者は中国人であり、沖縄を除けば日本国土が凄惨な地上戦の戦場となったことがなかったので、軍隊が民間人を犠牲にするという戦場の修羅場の体験がなかった。

よく、ドイツの例と比較する人がいますが、決定的に、この面で違っているんですね。

さらに1953年8月から軍人恩給制度が復活し、旧軍人・軍属だけに恩給が支払われるようになると、それは国家の戦争に忠誠を尽して勲功を立てた見返り金とみなされ、軍人恩給を支給されながら日本軍を批判することへの反感が強まることになった。

こうなると、国からお金もらっておきながら、自分たちが、人道に劣る所業を繰り返してきた存在だというのは、両立しなく思えますから、いきおい、南京事件の否定に向いがちになるんだと思いますね。
でも、もしこういった方たちが、戦争の実態をもっと語ってもらえたら、もっと歴史の真実が、はっきりしたんだと思うんですよね。
そして、97年以降の、「新しい歴史教科書をつくる会」を中心とした、保守政治家、右翼団体、これらが、渾然一体となって、南京事件の否定キャンペーンがはられる。
ただし、この本の著者としては、これらの運動の前にほとんど、この事件の全体像はアカデミックには結論はでていて、ほとんど、論争を呼ぶものではなかったと言ってますね。
日本のトップエリートが、こうやって、学会的には結論のでていることを、全否定でしょ。
非常に、世間にたいして、わるい影響を与えるメッセージを発信してますよね。日本の軍人が、休暇の日を中心に、南京の街に出ていって、性的虐待、無差別殺人を、さんざんやった。その連中を、「国を守るために戦ってくれた」と、神様としてまつったり、恩給をあげたり。
だから、なんで日本は、東京裁判と別に、自分たちで真相究明、責任追求をやってこなかったのか、なんですね。アメリカの占領政策が中途半端だったのは確かだとしても。
前の性犯罪の本を読んでても思ったんですが、なにかこういった犯罪行為について社会的に考えたり、防止する手段を考えることを、抑圧するタブーにするようなそういった雰囲気を、上記のような運動が与えていないだろうか、そんなふうに思うんですけど、うがちすぎですかね。
ただ、ちょっと最近は、勢いがなくなってきたんじゃないのか、という印象がありますね。この前の、映画「靖国」もそうですが。
ちょうど、安倍元首相は、アメリアに行ってブッシュ大統領と会談して戻ってきてすぐ、辞任しましたね。ブッシュに辞めろと言われたんで、やめたんじゃないかという噂はありますね。あと、その前に、ワシントンポスト従軍慰安婦の広告出したら、逆に油そそいで、議会で非難決議が可決されましたね。富田メモもありましたね。
少し前に書いた、中国とアメリカの急接近ですよね。ジャパン・「パッシング」なんて言われるようになりました。日本が中国と距離をおくなどということは、経済を考えたら、まったくナンセンス。それが、ビジネス界の共通認識。