千田稔『伊勢神宮』

著者は、伊勢神宮をとおして、日本の歴史を、東アジアの中において、ふりかえる、という視点で書かれている。
ということなのだが、読んだ印象は、かなり、話題が散漫で、結局、何が言いたいのかがよく分からなかった。何を重要だと思っているのか。
伊勢神宮といえば、アマテラスなのですが、つまり、太陽神信仰でして、では、このルーツは?となる。『楚辞』という中国の古典がありまして、そこに、「東君」という、太陽神信仰をあらわしたような詩があるという。

「あかあかと朝日は東の方にさしのぼり/扶桑の木からわが欄干を照らし出す」
「わが馬の手綱を押えてしずかに行けば/夜はしらじらと明けはなたれた。/竜の轅に雷の車/雲の旗をなびかせ/吐息して上りつつ/心ためらい見返れば/ああ楽の音舞の姿の美しさ/観るもの楽しんで帰るを忘れる」
「瑟の絃締め太鼓打ち交わし/懸木揺がして鐘をうち」
「横笛鳴らして竿吹けば」

邪馬台国のヒミコという名前からして、太陽神信仰、この東アジアにそういったものが、流布していたのであろう。
他方、アマテラスの御神体が鏡になっていうという問題がある。鏡となると、道教なのだが、こちらでは、信仰神は、太陽ではなく、北極星を中心とした星である。つまり、どこかで習合が起きたということのようだ。
伊勢神宮の位置が、海上交通の要所につくられてるという説もありますね、海部集団との関係についても書いてありますね。
伊勢神宮の成立の経緯については、アマテラス信仰は以前からあったろうが、少なくとも、伊勢神宮が政治的な役割になっていくのは、天武朝からだというわけだ。
伊勢神宮の祭祀の、斎王も興味深いですね。天皇家の独身女性が伊勢神宮から15キロ離れた斎宮に居住する。なにか不思議な制度ですよね。卑弥呼のような、祭祀巫女のような意味があったのでしょうか。これも天武朝から始まっているようで、後醍醐天皇の時代に廃絶する。後醍醐天皇がかなり革命的な存在だったことの一つの傍証ともされてますね。

伊勢神宮―東アジアのアマテラス (中公新書)

伊勢神宮―東アジアのアマテラス (中公新書)