性暴力について

ここ最近、南京事件の本を読んでるんですが、100人斬りの話とかもあるんですけど、でも、恐らく、一番、世界に衝撃となっているのは、この日本軍の、ちょっと世界的にも、類をみないくらいの、性暴力が、目立ちすぎる、ことなんですね。
とにかく、度を越しているんじゃないか、と。
これについて、どれくらい研究されているのかは、知らないんですけど、私は読んでて、赤松啓介さんの「夜這い風俗」研究との関係が気になるんですね。
つまり、以下の3つが、どうも、いろいろ深くからまって、思われるわけです。

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

南京事件 (岩波新書)

南京事件 (岩波新書)

性犯罪被害にあうということ

性犯罪被害にあうということ

こういった暴力の特徴は、かなりの割合の多くの人は、一生、この種類の暴力と関係することなく、終る、ということですね。じゃあ、こういう暴力が世の中にない、かというと、まったくそんなことはない。でも、そういうわけで、まったく無縁なまま生きている人たちにとって、想像すらできないんですね。特に、性暴力は、被害を受けた側が、その事実を公表することを、躊躇する傾向があるので、どんどん裏に隠れてしまう。
日本軍の性暴力について、読んでると、言えることは、ちゃんとそういう悪業をやらない、ちゃんと、国際法を守って振る舞っていた、日本軍の部隊もあったというんですね。むしろ、そっちの方が、特に、最初の頃は多かった、と。不幸なのは、それだけに、けっこうちゃんとした日本軍に紳士的に扱われた人たちの噂を耳にしていて、こうやれば救われると思ってしまった庶民が、たまたま、そういう鬼畜部隊に遭遇して、悲劇となるんですね。
赤松啓介さんの「夜這い風俗」研究というのは、当時、少し地方に行くと、村社会では、夜、大人の体になってきた女性の寝床に、男がしのびこみ、性交渉を迫る、そういう慣習がかなり浸透していた、という研究なんですね。どこまでのものだったのかは分かりませんが。この前、民放テレビで、横溝正史八つ墓村のモデルとなった?といわれる津山事件の特集をやっていたが、犯人と夜這いの関係が言われていましたね。また、地方の祭の後に、ハレとケとか、無礼講で、話題になることはありますね。そして、戦後になって、少しずつ、なくなっていった、と。ともかく、こういった感性をもった、地方の、教養のない農民が、なんの訓練もなく、戦場に連れてこられて、なにを始めるかって、わかるでしょう。
前に、

という映画を紹介しましたが、共同体が、ある種、外の世界と隔絶されるような状態になったときに、暴力が外部から隠される形で行われる状況になりがちなんですね。
これは、家族というもっとも自明的なものでさえそうです。ほんとに外の人が、隠れた暴力を発見することは難しい。
エリック・ホッファー『大衆運動』は、彼がドイツ系移民の子孫として、ナチスのような集団的な暴力がなぜ発生したのか、といった視点から、大衆運動、集団としての人の群集的な心理、特徴を研究する方向で書かれた本です。つまり、人が二人以上で群れたとき、どういった心性があらわれるのか。
宮台さんは、一時期、さかんに、少し古い少女漫画がほとんどそうだった、純愛幻想を、批判してましたよね。逆に、こういったものが、現実とのギャップとなっていて、少女たちの生きにくさを助長してきたんだと。でも、その口ぶりのニュアンスは、明らかに、こういった、性暴力の風習を示唆していましたね。いつもそうですけど、確信犯的なんですね。むしろ、そういう、「性的おぼこ」の感性をもっていることの方が「悪い」んだ。「性暴力に慣れろ」でしょ。これじゃあ、いつまでも、性暴力をふるわれた方は、救われないでしょ。
でも、これがシステム論的な診断だっていうわけですね。いろいろ社会風習から、そういった慣習的な現象をみつけてきて、「これが、社会的な現実であり、真理だ」、と。現実的であるとは、真理的であるってって、まるで、ヘーゲルみたいですが。現実は、奥が深い。現実は、変えられない。現実は、......。もういいですかね。こんな学問、いらないと思うんですが。
たとえば、早稲田大学の、スーフリ事件がありましたね。この事件の衝撃は、あの早稲田でおきた、ということですね。かなり、早稲田ブランドを傷つけた。下世話に言ったら、早稲田=夜這い、ですからね。早稲田入ったら、こうなるよ、と(この頃から、宮台さんも、発言に注意するようになったんじゃないですかね)。
なかなか、大学のイメージというのは、難しいですね。関東学院大学ラグビー部で、大麻を育てていた奴がいて、部員の10人くらいが、実際、吸ってた。でも、その事実を、ラグビー部の監督に言わなかったわけですよね。それで、監督が協会に謝りに行ったら、そんな甘い処分じゃみませんよ、と。そこまで監督にさせておいて、後から、嘘だったとわかって、監督辞めましたね。会見やってましたが、あれだけの名将にこういう最後にさせて(部員が多かったのは確かみたいですね)。おそらく、かなりの量の、ドラッグが、子どもたちに、蔓延しているんだと思います。でも、そんなこととは別に、ああ、山梨学院大学は、ドラッグまみれ、なんだ、と。そういうイメージでみられるわけだ。今でも、学生確保に苦労しているかどうかまでは知りませんが。
話がずれましたが、もちろん、少しずつ国民の民度もあがってきて、こういった暴力の問題は、少なくなってきていくことも大切でしょう。しかし、それだけでなく、この問題は、人間が群れる、そして、その集団が、社会から隠れてあるとき、蛮行が外に出てこない形で偏在しがちだ、という、その構造的な傾向の方にあるんですね。むしろ、人間の知的な向上が、常にこういった構造への配慮をシステム的に担保していく、そういう民主的な選択を意識的に選んでいく、そういう方向で民度が上がること、ということで(難しいですね。また、啓蒙の話くらいしかなってしまう)。