君側の奸

今回の朝生ですが。
西尾幹二さんが最初に言っていたのは、天皇には、人格はない、ですね。「超越」してるんだと。また、でてきましたね、「超越」の思想。
私に言わせれば、メチャクチャだと思いますよ。血統こそ全てだとすれば、どうしても、放蕩息子は避けられない(西尾さんは、さかんに帝王学とか言っていたが、そんなもの、ありえないからこそ、そう言うわけでしょ)。徳川にしたって、どうしても、知能の足りない家長をたてなければならない場合があるくらいですから。
自分で、天皇は、我々を超越していると言っておきながら、公務を果さないのは、問題だと。国益を損ねる、と。関係ないって、自分で言っておきながら、これでしょ。自分で言って、矛盾だとすら思っていない。
逆に言えば、血統にこだわるなら、それでいいわけでしょう。大江健三郎なら、光さんですよね。なんで、それで悪いのか。国民は立派に尊敬するでしょう。
最後で、斉藤環さんが、ちょっと言ってましたね。
君側の奸コンプレックス。
2.26から、典型的な右翼の反応だ、と。中井久夫がさかんに言っていたこと、というかたちでしたが、完全にそのものでしょう。
西尾さんは、最後に、本音を言いましたね。ようするに、小和田家を、「君側の奸」として、糾弾したかった。しかし、その問題は、雅子さんにいれあげてる、皇太子が問題なんだ、と。
西尾さんは、さかんに、自分が、多くの宮内庁の官僚などと、意思疎通をしている、ということを強調していましたね。
たしかに、王権論を、考えるなら、ああいう態度は分かりやすいくらい、典型的ですね。彼には、それこそ、本質的だとしか思えない、ということですね。しかし、これこそ、戦中世代が、さかんに子供の頃の、義務教育で、すりこまれた発想法。