櫻田淳『漢書に学ぶ「正しい戦争」』

著者は、漢書における、戦争の分類、貧兵(侵略戦争)、驕兵(おごりにまかせた戦争)、忿兵(怒りにまかせた戦争)、應兵(攻められて自分たちの生活の場を守るための戦争)、義兵(正義を実現するための戦争)、にそって、世界の戦争から、日本の政治を照射していく。
著者の認識において、日本の明治からの植民地政策が、「貧兵」であることの認識は変わらない。

現在でも、「保守・右翼」知識層の中には、日本にとっての第二次世界大戦が「アジア解放のための戦争」であったと主張する向きがある。だが筆者は、そうした「保守・右翼」知識層の中に、「日本は台湾、朝鮮半島満州を自らの手で解放すべきであった」という主張を聞いたことがない。戦後においてですら、少なくとも「保守・右翼」知識層からは、往時の海外植民地の保持それ自体に疑義を示す声は、あまり聞かれないのである。ましてや、「帝国」の枠組みと海外植民地が残っていた戦前期には、そうした議論は「暴論」の類であったのかもしれない。

著者の視点は、司馬遼太郎日露戦争史観が大きな影響をもっている現在において、まず、その維新政府の、朝鮮、中国への、植民地政策が「貧兵」であることを、漢書の認識から、認めない議論へのいらだちである。それは、西郷隆盛や、石橋湛山の認識と言える。
世界はたしかに、植民地獲得競争の趨勢。だから、しょうがなかったと言うなら、最後まで、徹底して、仁政ができなきゃしょうがないでしょう。だとするなら、そんな言い訳は、どうでもいいから、「貧兵」であったことを認めることからじゃないと、議論が始まらない。
ですから、著者は、そのような欧米各国の植民地政策に否定的である。戦後、欧米各国は、逆に、植民地独立で苦労している、という認識でいる。
また、「應兵」の視点で考えるなら、この中で、日本が今までに結んだ、同盟というものについて考えてみることは意味があるであろう。
日英同盟、日米同盟は、それなりに日本にとって利益となってきたという。著者が問題とするのは、日独伊三国同盟、である。

同盟樹立を指針する陸軍は、ドイツと組むことによってソ連を挟んで牽制するという思惑を持っていた。そして、東南アジアへの進出を念頭に置き「二正面作戦」を避ける意味から同盟樹立に難色を示した海軍も、結局のところはソ連と衝突しないという条件で同盟樹立を承諾した。また、当時の外交を仕切った松岡洋右は、日独伊三国同盟ソ連を引き込む形で「四国同盟」を形成し、米国に対峙しようという構想をもっていた。

ナチスと組んだ日本は、すでにナチスそのものでないのか。戦後、日本の戦争は、ナチスのようなものとは違うと主張するものがあったが、なんのことはない、ナチスとぐるになってるわけだから、なんで違うなどと言えたものでしょうかね。
戦後の日米同盟については、著者は評価する。戦争の経緯から、中国、朝鮮と距離をとることが必須となった時点で、アメリカの傘に入る以外の選択はなかったということなのだろう。
しかし、同盟というのはそんな都合のいいものではない。アメリカと行動を共にするということは、韓国のように、ベトナム人を殺しまくって、イラクでも、一緒に戦争して、ということだ。
イラクでの、小泉元首相による、自衛隊の活動を著者は評価するが、それは、実際のイラク人殺戮に関わることがなかった、日本の政治事情を含めて、であった。実に、分かりにくいが、そういう卑屈な何かが、長い歴史をみたとき、唯一ありうる方向だった、ということなのだろう。
また、「應兵」ということでは、著者は、戦争末期の日本の硫黄島での戦いなどを評価する。

古代ギリシア最大の戦役であったペルシア戦争を扱ったヘロドトスの古典『歴史』「巻七」には、次のような記述がある。
「すでにこの頃には大方のギリシア兵の槍は折れ、彼らは白刃を揮ってペルシア兵を薙ぎ倒していた」。「ギリシア軍は、この地に拠って、まだ手に短剣を残したものは短剣を揮い、武器なきものは素手や歯を用いてまで防衛に努めた」。
この記述が描き出しているのは、スパルタ王レオニダス一世麾下のスパルタ重装歩兵三百を含む総勢四千余りのギリシア軍が、総勢二百六十万のペルシャ軍をテルモピュライの地で迎え撃ち、三日持ち堪えた後に全滅した戦闘の様相である。

もっとも、硫黄島では日本を圧倒した米国にも、無念極まりない「玉砕戦」を自ら闘った歴史がある。たとえば映画『アラモ』(監督、主演、ジョン・ウェイン、1960年)に描かれたテキサス独立戦争における1836年のアラモの戦いの顛末は、南北戦争や1870年代の産業発展以前の「弱く情けなかった米国」の時期の記憶とも共鳴して、忘れ難い印象を多くの米国国民の心中に残している。

五百旗頭眞の著書『日米戦争と戦後日本』では、硫黄島を含む西太平洋初等、さらには沖縄での戦闘は、関ヶ原の戦いの折に薩摩・島津勢が決行した「捨て奸の戦法」(退却時に一部の兵を残して、敵を攻撃させること)の効果を持ったことを説明されている。要するに、西太平洋諸島や沖縄での戦闘は、米国政府中枢には日本本土上陸作戦決行時の犠牲の甚大さを予感させ、戦争後に甚大な対日政策を採ることを促したというのである。

私にしても、別に、こういった認識を否定するつもりもない。映画『硫黄島からの手紙』での、栗林忠道の描き方は、ある種の個人主義であった。彼は、自分たちを捨て石として見捨てた陸軍のためというより、その後の歴史のために、彼に命を捧げてくれる盟友と殲滅戦を戦った、というような描かれ方であった。そういった個人について、だれもどうこう言おうなどあるわけがない。
しかし、それをもし、たんなる理由として、玉砕を強制し続けるなら、それはなんなのか。最近の、イスラム自爆テロの評価と変わらないわけだろう。
例えば、タカ派の典型的は発想法については以下をあげている。

1938年9月、ネヴィル・チェンバレン(当時、英国首相)、エドアール・ダラディエ(当時、フランス首相)、ベニト・ムッソリーニ(当時、イタリア首相)、アドルフ・ヒトラー(当時、ドイツ第三帝国総統)がミュンヘンに参集して会談した折、チェンバレンとダラディエがヒトラーのズデーデン割譲要求を容れたことは、以前からのヒトラーの増長を加速させ、第二次世界大戦の導火線に火を点けた。ウィンストン・S・チャーチルは、戦後に著した回顧録第二次世界大戦』の中で、ミュンヘン会談に先立つナチス・ドイツ再軍備宣言(1935年)に際して、それを抑えるべきときに抑えなかった当時の英国政府の対応を嘆きつつ、次のように書いている。「決定的な力の試用を延ばせば延ばすほど、わが方の好機がますます失われ、最初のうちなら重大な戦いを伴わずともヒトラーを阻止する見込みも、また次の段階で恐るべき試練を経て勝利をおさめる見込みもなくなった」。

こういうところに、小泉元首相や安倍元首相が、尊敬する人に、チャーチルをあげているということなのだろう。
しかし、なにごとにも言えるのだろうが、悪が本当に、その本質において、民族浄化を目指すならば、それは、お互い殲滅戦にならざるをえない。
国家が本当の意味で、友敵理論にあるような、タカ派的な体勢をとるならば、それは、なんらかの形で、戦端が開かれ、殲滅戦が始まる、そういった性質をもたざるをえない。
もちろん、タカ派はそういうことには楽観的である。「自分たちだけ、最終兵器をもっていることができる」「必ず相手に決定的ダメージを与えられる前に相手に決定的ダメージを与えられる」。しかし、彼らが、本当に心休まるときは、ない。というより、ないから、専制攻撃、なのである。そこで考えることは、なんとかして、短期で相手に決定的な反撃の意志を失くさせるようなダメージを与えて、専制攻撃に成功する方法となる。しかし少し考えれば分かるように、こちらがそう考えるなら相手もそう考えるのであって、単純にどっちが先に引き金を引くかの問題でしかなくなる。
そしてこれが古典的な分類であるが、戦後、最終戦争の終わった後において、これは、殲滅戦の様相を呈することになる。お互いが最終兵器を失くなるまで使うから、戦争の決着がつくわけだから、そもそも、お互いの国土が回復不可能になるまでの戦いを意味するわけなのである。
イラクは、死の灰の焦土になってないじゃないか、という人はいるかもしれない。また、ベトナムにしたって。そうである。そこまでやらなかったから、アメリカは負けたのであって、それ以上のなんでもない。イラクは、あの後、市民による、いつまでも続く自爆テロに悩まされた。
逆になぜ、日本はそのようにならなかったかと言えば、単純に、日本人のだれも本気で戦争なんてしたくなかったから。一部の軍部首脳と議員が、戦争という権益を守るため、国家総動員法という、国民を支配するこのツールを手放したくなかったため、続けられていただけなのであって、もっと強力な支配系統が現れて、それなりに、今までの平和を復旧してくれるといって、誰が逆らうか、ということでしょう。
もともと、日本人は、どんなに司馬遼太郎が綺麗事を言いつくろおうと、自分たちが、「貧兵」であることを十分分かっていたわけでしょう。実際、自分たち自身が、ひどいほかのアジア人への待遇を続けていたわけだし、それでも、なんにも生活が改善しないわけですから。
もちろん、その「貧兵」であっても、実際貧しい生活が続いていて、それなりに言い訳は言いたかったでしょう。実際に、地主に完全に支配されて、奴隷とそれほど変わらなかった、農民がほとんどなんじゃないですかね。それなりに、戦後、中国や朝鮮が、日本人に対して示した、A級戦犯悪玉論は、こういうレベルでは、抽象的には、それなりに真理を突いていたということなのでしょう。

漢書に学ぶ「正しい戦争」 (朝日新書 134)

漢書に学ぶ「正しい戦争」 (朝日新書 134)