崔文衡『閔妃は誰に殺されたのか』

閔妃(ミンヒ)について、高校の世界史をちょっとやった人は、注釈にこの名前があったことを知っているかもしれない。

王后が殺害されるや女待医が前に近寄りハンカチで亡き王后の顔を覆った。そして亡骸は林の中で火葬にして、燃え残った灰の一部は土に埋め、残りはすぐかたわらの香遠池または近所の井戸に捨てられた。そして、その他の亡骸は宮闕の外に写されたという。
一方、浪人の輩は宮女と世子イチョクに強圧をかけ王后の亡骸を再確認させたが、この過程の直前に酒に酔った彼らが亡骸を陵辱するようん蛮行をためらわなかったようだ。王宮侵入の前に酩酊した浪人の輩たちは自分たちの目的を成就したあと喜びで暴れ、このような天人共に許し得ない行動の一幕があったのではないかと考えられる。

教科書を見ると、三浦とかいう駐韓公使の当時の主導によって起きたことは書いてある。
著書では、三浦をあやつった主犯として、井上馨をあげている。そもそも、三浦なんていう小者がどうこうやったなどと思う方が、日本の政治機構を甘くみすぎてるってことでしょ。

さらに彼は伊藤、山県らとともにいわゆる「元老」でもあった。元来、「元老」とは明治憲法の欠陥を補完するため国政全般にわたって「天皇の広範囲な機能を実質上集団的に代行する」日本政界の最高権力層であった。天皇は1892年以来内閣が危機を迎えても重要内外政策を決定する時には、「元老」という政治家たちを呼び諮問を求めることを慣例としていた。この過程で天皇の下問を受ける人物は伊藤、山県、井上ら7人に固定され、「元老」という「超憲法的」機関が成立した。

この「構造」ですね。そこに、どういうパワーバランスをもった、人間関係があるか、なんですね。当時、この「元老集団」が、日本を支配していた。
明治維新の、人の動きを考えても、薩摩、長州、の連中が、刃物を振り回して、かたっぱしから、気に入らない連中を切り殺して、脅して、政権を転覆したわけですね(しかし、その脅した武器は、イギリスから回してもらったものでしかないが)。
もともと、そういう、ゆすり、たかり、のヤクザ連中が実現したこれが、日本の「ブルジョア革命」ってわけですね。
日本資本主義論争というのがありますが、日本の場合、平等はかなり追求したとは言えるとは思うけど、自由を追求したとは思えませんよね。天皇という主体に、ぶらさがっている、臣民としては、すべて平等ではあるけど、臣民たちは、いわば奴隷の平等であり、あくまで、ご恩と奉行を「自ら」求める、というたてまえの上に成立している関係にすぎない。しかし、それでは、世界から、遅れた封建的な国と見られるのが嫌なので、どうしたかと言うと、普通の、たいていの事態においては、個人に自由なふるまいを認めるが、「いざというとき」には、すべてを捨て、命を含め、天皇にすべてを捧げる、という構造になっている(つまり、治安維持法ができた後は、赤紙でかたっぱしから、カミカゼ自殺をさせられる、というわけだ)。
ちょっと話がずれたが、いずれにしろ、政権中枢は、うまくこういった民間の暴力組織を使ってきた。政権中枢にとって、自分たちが直接に手を出せない、出すとどうしても国際的な非難を受けることを、こういった民間の暴力組織を、裏で使うことで、利益をえてきたわけですね。
これは、戦後の自民党政治でも同じでしょう。最近、ミャンマーの政治デモを取材していたフリーの記者を射殺したのは、そういったミャンマーの民間暴力組織らしいですね。

しかし、彼らは決して単純なやくざではなかった。彼らの中にはハーバード大学出身者や東京大学法学部出身者をはじめとする知識人も多かったし、のちに閣僚や外交官として出世した者も多かった。彼らは大陸侵略を主唱してきた、玄洋社黒龍会のような日本の右翼団体のメンバーであった。

こういった連中は、いろいろ便利なのだろうが、その欠点は、なかなか関係を切れない、ことだ。彼らにどうしても、貸し借りの関係などもでてきて、彼らも、自分たちの、実力をおごり始め、目立つことをやり始め、まったく制御できなくなっていく。

閔妃(ミンビ)は誰に殺されたのか―見えざる日露戦争の序曲

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