李珍宇『罪と死と愛と』

つい最近、大変に、重要な本が出版された。それが、

越境の時―一九六〇年代と在日 (集英社新書)

越境の時―一九六〇年代と在日 (集英社新書)

である(特に、その、第二章)。なぜ、これが、重要なのか。それを説明するには、ずいぶんと、混み入った話をしなければならない。
「李珍宇(イジヌ)」、とは誰か。
小松川事件、というのを知っている人がいるなら、その人は、かなり年配の団塊世代ということになろう。1959年、ある女性が殺害され、逮捕されたのが、李珍宇、当時、18歳の(在日の)少年であった。彼は未成年であったが、大人並みの知性の持ち主ということで、未成年扱いされず、彼が22歳のとき、最高裁判決で死刑となり、それから異常な早さで、刑の執行となった。
実は、上記の本にもあるが、この事件は、物的証拠に乏しく、彼の自供のみで裁かれた面も指摘され、その供述の矛盾点も多く指摘され、彼の無実を推論する本も幾つかあるのだそうである(そういう視点からみるなら、実際、彼自身は、最高裁への上告を拒否していたが、ある彼を支援する教授が勝手に、彼のためを思って上告した、という事実は注目に値するであろう)。
しかし、ここでの、本題は、そこにはない。
問題は、彼の刑執行の後に出版された、掲題の、往復書簡集、なのである。
いったい、ここには、何が書かれていたのか。

一九六一年二月一一日
(...)
寿南姉様へ(何故なら、貴方は私を"おとうと"と呼んで下さったから...。それから、貴方のお名前、日本語では"寿南"でしょう。でも朝鮮語の"スナム"という発音は綺麗ですね。少くとも私にはそう思えます。お世辞ではありませんよ。私は体は大きいですが、言葉は大きくしないつもりですから......)
では本当に さようなら!

一九六一年九月二二日
(...)
「十八」といったらとてもやさしみのあるそして気のよくつく年頃だ。ところがうちの十八のひとときたら、もうそんなのには一生エンがないといわれるような、神経のにぶい、そして「ギブス」といわれるようなものをつけて、おまけにカゼをひいてウンウンうなっている始末なんだ。もうなさけなくて見ちゃいられない......。
(...)
姉さんは生きる、それは判断を要しない。しかし私は判断しなければならない。それが与えられているから。
そして私にとって死と生とは同一線上にはない。何故なら私の状態は死に結びついているから。そしてなお生の余地が残されている場合、私は姉さん達のように生きるという喜びに手をのばすわけにはいかない。これは責任の問題なんだ。! どうしてそれが分からない? どうか分かって欲しい。
(...)
で、私は誰かさんみたいに薄情じゃないから、鼻紙にされてもいいからとばかり手紙を書いている。このやさしみにあふれたオクユカシサ! だけど今度から自宅宛に出しても大丈夫なの? 何しろ病院、会社のこともあるから落ち着かない。若しかしたら自宅宛に出しても、いつの間にか姉さんは誰かさんとカケオチしたなんてことがナキニシモアラズだから、ますますもって落着かない! 何しろうちの姉さんときたら十八のくせに二十四のつもりでいるんだから! (???)
(...)

一九六二年五月二十一日
またひねくれた字をお目にかけることにします。
土よう日に姉さんからの差入れ、クラッカー二箱、夏みかん二コ、甘納豆一袋、せんべい一袋をいただきました。どうもありがとう!
でもなんだか安心して食べていられません。と云うのは、何しろ新婚家庭で家計簿のやりくりも大変だと思っているところを、こんなに入れてもらえば、今に私は姉さんの旦那さんに叱られてしまいます。
ああ、そんなことが、地球がひっくり返ってもありませんように!
(...)
それでは今日はこれで。
さようなら 珍宇
親愛なる朴夫人(2)へ
二伸 旦那さんによろしく。私が学んだところによりますと、炊事とか掃除とかは主婦の役目とのこと、それでこそ一家の主人はゆっくり寝床にいられるというものです。ところがどうも私の考えによりますと、姉さんの家庭はこれがさかさまになっているのではないか、とかように心を痛めておる次第であります。 恐惶謹言
2・他の手紙でもそうだが、珍宇はよく私をからかった。この夫人という言葉もそれで、私は結婚してはいないのに、珍宇は彼の空想の中で私を結婚させてしまった。二伸は、まったくの冗談である。

(私は、ここでは、彼が、「お姉さん」と慕う、この、往復書簡の相手、朴寿南、という若い、在日の女性記者、をからかう、彼の言葉を引用してみた(彼は彼女が本当に好きだったんでしょうね。それがよく伝わってくる)。逆に言うと、それ以外の言葉を考えてみる勇気がまだ自分にはない。しかし、ここだけでも、彼に十分に魅き付けられる何かがないだろうか。
全然関係ないが、私は、この「姉さん」と彼が呼ぶたびに、この前引用した、亀山郁夫さんのところでの、「十字架」の話を思い出す。その記号が、こと、ロシアの大地において、「肉親以上に肉親となる」しるし、となる...。)
文学的な問題に興味をもつ人には、百万言の言葉をつむぐ前に、ぜひとも、掲題の新書に、まず、とりくんでほしい。いろいろな解説により、誤解をはぐくむ前に、まず、直接現場にアタックしてほしい(李珍宇、は、ある意味、その後の、全共闘世代を、先取りしていたんだと思う)。
私は、彼以上に、冷静にならなければならない。冷静に彼をみれば、彼のこの文章は、牢獄という、一日中自分と向き合う場所で、推敲されている、ということだと思う。むしろ、そこにこそ、注目しなければならないと思う。たんに、彼の文学的才能を、どうこう言うことは、本質を見落すと思う。人は環境の中で、自らを位置付けられていく。たんなる礼賛では、不十分なのだ。
私は、この実際に起きた事件が、「たいしたことではない」などと、みじんも思っていない。非常に残虐な結果となった、悲しい事件であることは間違いない。しかし、問題を、ことこの、李珍宇、に限るなら、これが、いったい、なんなのかを正確に把握しなければならない、と思うということなのだ。
李珍宇、は、多くの手紙を残しているだけでなく、裁判の過程でも、多くの発言をしている。こういったものから、たんに結論だけを、拾って悟りすまして、「この事件は、これこれこうだ」と(まるで裁判官や弁護士のように)言うことは、ズバッと世の中を切ってくれて、悩みもなくなり、すっきりするだろう。しかし、もしそうしてしまうことによって、そこにあるのに、なにも見ないでやり過ごしてしまう、そういった「うすっぺらさ」になってしまう。
彼を理解するには、彼に見当った、「濃度」を自分に持たなければならない。
私は、彼に、まいってしまった。
なぜなら、まちがいなく、そこには、もう一つの「別の」自分がいるから。
私には、今、まだ、彼について「記述する」言葉をもちあわせていない。
これからも、彼のことを、いろいろ調べてみたい。

罪と死と愛と (三一新書 955)

罪と死と愛と (三一新書 955)