青木の暴力

晦日の、格闘技は、以前にもさらに、危険さを増して、エスカレートしている。テレビは視聴率の上らなくなった近年の構造に、無理矢理でも対応しようとして、さらに、刺激的な「演出」を提示しなければならなくなっている。
藤田和之選手の、悩へのダメージは非常に危険であると思う。もし、この結果が悲惨なものなら、そもそも、こういったイベントが、どういった理由で正当化されているのか、というころから問い直していいのではないか。ボクシングが、どれだけ、メディカルチェックなどの細心の注意を払っても、あれだけの死亡事故を生んでいる状況で、本当に、肘や膝の打撃が、どこまで認められうるのか。
しかし、これは、ある意味、ルール内の出来事であったわけで、もし大きな後遺症が残るなら、残念な事態であるが、それはそれで今後の問題として、納得できなくはない。
問題は、青木真也なる人物の行為である。ニュースでは、彼が勝利した後の、挑発行為ばかりがとりあげられているが、問題はそんなところにはない。彼が、「わざと」相手選手の腕を折った、と、試合後の会見で言っている、ことである。
そして、試合関係者が、その行為を、擁護するコメントを続けている。骨折という結果は、レフリーが試合をどこでストップするかにも関わり、加害者だけのせいにはできない。
この問題が難しいのは、そもそも、このような技術が、「試合で許されるべきなのか」にあります。つまり、やり方によっては、相手の腕を折れる技術である、ということなんですね。
ボクシングのパンチも、明らかに、相手がグロッキーになっているところへ、たまたま、レフリーが止めないからといって、パンチをたたきこめば、相手はガードもできない状態で、いずれは死ぬでしょう。
しかし、彼は、試合後、自分の「意図」を明確にしていますよね。しかし、もしその意図が今回のように、骨折させる、ではなく、「相手を殺す」だったら、どうなるでしょう。
彼は、もともとは、柔道をバックグラウンドにしていた方だったと思います。また元柔道のオリンピック選手などのこういったプロスポーツへの進出も増えているように見えます。柔道がもともと、スポーツとして、かなり、抑制的な技しか、ルールで認められていなかったこと、そういうものから、逸脱していく。私は、相手に拳を当てない、空手というのは、それなりに、すばらしい精神性だったと思いますが、今では、相手を殴らない流派の方が少なくなっているように思う。
いずれにしろ、プロスポーツなどありえない、お金が介在している時点で、それは違うレベルのビジネスになっている。エンターテイメントというべきで、スポーツじゃないんですね。
性と血が、人々を興奮させ続ける、享楽的見世物。世紀末はまだまだ続く。