マルセル・ゴーシェ『民主主義と宗教』

(毎度のことながら、途中までしか読んでませんが、ちょっと思ったことをメモしておきます。)
第二次大戦後、多くの国々が民主主義を自国の政治体制として、選択してきた(もちろん、日本も戦後、この体制を選んだ)。フランス革命から続いた、民主化を選択した。もちろん、その間には、第一次大戦があり、長い時間が過ぎている。
民主化のいい点は、比較的税金の収集に、成功しやすい、とは言えないだろうか。各市民が、自らの意志で「自らの利益の獲得のために働いてくれる」。ということは、暴力でおどして働かせるより、外貨の獲得にも成功し、比較的、軍資金が「継続して獲得できる」。
そのトレードオフが継続するためには、長期的な、国内経済の成功が条件だといえるだろう。つまり、その見通しが絶望的になったとき、近年の東南アジアでみられる軍事独裁政権へと、日本も移行するのかもしれない。もちろん、その可能性は、半世紀、一世紀後にさえ、想像は難しいかもしれないが。
とにかくも、戦後の日本は、民主化を選んだ。しかし、その民主化へ変換していく、「歴史法則」とは、現在、確立しているのだろうか。つまり、民主化を選んだ国家は、その後、どのような末路を辿るのか、その分析はできているのだろうか。
そういう意味では、民主化を選んでから、もっとも多くの日々が流れた国、フランスこそ、最も、その「理論実験」として、参考となる、と言えるである。
そんなフランスを考えると、アルジェリア移民の問題など、いろいろ、興味深い点は、多いが、その中でも、ひときわ、独特のものとして、ライシテ、というのがあるそうだ。
ライシテとは、なんなのだろう。その定義は、掲題の本を読んでも、歴史的な経緯がいろいろあるようで、なかなか判然としない。とりあえず言えることは、民主化にともない、「宗教が国家の側から市民の側に移る」という現象だ。
太古の昔から、国家とは、常に「宗教国家」であった。

社会組織で最も目立つ点、つまりその頂点に注目してみよう。この頂点は、この世に国家というものが出現して以来、およそ五千年にわたって、天と地をつなぐ結節点と広く見なされてきた。つまり王権のことだが、社会が王位を廃し、利用できるあらゆる権威を源泉として自分自身を築こうとするようになったこの二世紀来、権力と社会のあいだに生じたことも、この頂点と関係がある。この例で言いたいのは、まず、私たちがあとにした古い世界において、宗教がいかに集合的なものを構成する力を持っていたかということである。実際、政治の顔をした宗教のエッセンスという以外に、王というものが考えられるだろうか。

国家には、常に、祭祀が付きものであり、事実この日本の、大日本帝国も、宗教国家だった。学校とは、教会の付属組織であり、カミカゼ特攻隊は、みんな、自分が天皇の「子供」として、天皇をお守りできることに、喜びを捧げて、飛び立って行った。もちろん、彼らの真心は、半分は本気で、半分は自分の親や兄弟や田舎の自分の赤紙招集を祝ってくれた人々への感謝の気持ちに、あったことは間違いない。どちらがマジだったのか、などという無粋なことが言いたいわけではない。どちらも、それなりにあった。それでいい。しかしそうだとしても、小学校から始まる「教会教育」の中で、神であり教祖である、天皇の子供として、自分の命を捧げる時が訪れることを願う喜びを体の隅々まで摺り込まれていたことには変わりはない。
しかし、それが、宗教国家なのだろう。
例えば、明治維新の頃、九州では、廃仏毀釈といって、仏教の寺が、かたっぱしから、襲われた。それが原因ともなって、今でも、九州では、お寺が少ないという話をどこかで読んだ。でも、それが「国家宗教化」ということだと思うんですね。いろいろ原因があって、その運動は、急速に収束したそうですが、ポテンシャルとしては続いた。ところが、戦後はそれと比べると実に、不思議な過程を辿るとは言えませんでしょうか。まず、政教分離は、なにものにも変えがたい、不文律になった。その思想的バックグラウンドは、「思想・信条・信仰の自由」となります。宗教は、この時点で、「国家の側には置けなくなります」。なぜなら、それでは、「自由ではないからです」。国民が自分で自分の宗教を選「べる」から、戦後世界の片隅に、宗教の居場所は保障されたことになります。この事態が、最もドラスティックに現れた場所こそ、靖国神社だったと言えるでしょう。靖国神社は、戦後、自らのありようを維持するために、二つの選択肢を迫られます。一つが、「宗教的性格を一切あきらめて」国営化されることで、もう一つが、一民間宗教団体化、でした。結果として、後者を選んだわけですが、それは当然だったと言えるでしょう。前者を選ぶということは、戦後制度においては、「国民の財産」になる、ことを意味します。彼らのしきたりを維持することが危うくなるだけでなく、最近の、公共事業廃止と同じように、「国民の合意」によって、廃止される可能性さえ想像できたでしょう。
ところが、著者はちょっと奇妙なことを言います。

しかしながら、本質的な新しさもあった。国家が至高の権威に頼りながら主権を行使することは、すでに伝統となっていたが、今回それに自由----個々人の良心の自由、さらに「国民」の自由----という、まったく前代未聞の要求が結び付けられた。もはや課題は、古典的で絶対主義的な構図のなかで、聖職者集団の侵害に対抗しつつ、全知全能の神をただひとり正当に媒介する者として王の権威を打ち立て、それによって王の帝国を築くことではない。たしかに、司祭を正当な公権力に従わせる課題はそのままだが、その目的は、一方では、信仰の権利を個人に保障するためであり、他方では、共同体が宗教問題について至上の権利を持つようにするためである。このことの意味は大きい----人間には自分で宗教を選択する能力があるということは、最終的には、人間には神からの重圧の外部で、自分に固有の法を作る能力があるということにつながるからだ。

つまり、信仰と、「自由」の関係です。たいていの場合、宗教への入信は、親によって、幼いうちに、洗礼を受けます。子供は、もの心がついたときには、神に祈っているものです。ただ、そのこと自体は、かわいらしいことと言えるのかもしれません。私たちだって、食事の前には、「いただきます」と手を合わせて、「神に祈る」。
問題は、自ら、信仰を選ぶ、ということの意味の方にあると言えるのかもしれません。自分の意志で自分の信仰を選べるという考えは、自分で自分を律する法(村作法)を選べる、ということを言っていることになる。ということは、まるで、「自分が神みたいだとは言えないだろうか」。
もちろん、多くの場合は、そこまで、思いつめることもないのでしょう。自分で選ぼうが、気付いたら、選んでいたであろうが、自分で脱退しようが、死ぬまで信仰を守ろうが、すべて「神のおぼしめし」。結局は、そう選ぶしかなかったと考えれば、そんなふうにも言えるのでしょう。
しかし、いずれにしろ、現代人は、このことによって、上記のパラドックスを生きることを宿命づけられた、と言えるのかもしれません。つまり、こういった事態も含めて、フランスでは「ライシテ」問題と考える、ということなのでしょう。しかし、こういった、さまざまな事態が、なにか、自明の歴史法則のように進んできた、と考えることは間違っているでしょう。掲題の本の、フーコーを思わせるような、重厚な宗教史の辿り直しは、フランスのこの、ライシテが、さまざまな、紆余曲折を経ての、今の形であることを強調します。少し歴史が違えば、まったく違った形になったのかもしれません。
たとえば、著者は、もう一つ、おもしろいことを言います。そもそも、なぜ、市民は「政治」、つまり、自分たちの生活の主戦場、ということは、自分の生そのもの、から、宗教を「外に出す」ことができたのでしょう。一つは、国家がその宗教が提供していた「道徳的な権威」を代行したから、と言えるでしょう。学校は、宗教にかわって、生徒に社会慣習としての道徳、規範、村作法、を提供することとなります。しかし、もっと本質的なことがあります。国民は、宗教を「捨てていない」ということです。

このような自由主義に基づいた自律の政治を、信頼に足るものにしている決定的なポイントは、反宗教的であることをそれ自体として狙っているわけではないことである。確かに教会が現世的な事柄について介入してくる場合、自律の政治は敵意を剥き出しにして真っ向からそれにぶつかっていくが、けっして宗教そのものに敵意を抱いているわけではない。自律の政治が信者に要請しているのは、ただたんに、救いについての個人的な希望はあの世のために取っておいて、この世では自律の共同作業に参画するように、ということである。このことに、信者の大部分は合意した。共和国の成功は、信者たちを聖職者から引き離した上で、結び付け直した点にあった。

国民は一見、宗教のない生活をしているように見えますが、実際は、「死んだ後、宗教的存在になることを疑っていません」。つまり、生きている間は、人間による「自律作業」つまり、学校や市民社会などの公共的な作業を行うことに同意した、ということで、それは、「あくまで、生きている間は」という合意なのだ、ということです。
いずれにしても、このライシテ問題というのは、おもしろい。あきらかに、何千年も続いてきた王権国家、から、民主国家に変わった間に、表面上、まったく、違った形態になったものこそ、この宗教の問題だったであろう。そして、多くの場合、人々自身がそのことに、あまり、自覚的でないことなんですね。それは、やはり、少しずつ、時間とともに、事態が進んでいるからなのでしょう。
日本においても、戦後、宗教とは、特殊な法人としての性格を与えられて、さまざまな、新しい宗教団体が現れた。しかし、オウム真理教を代表として、多くの場合、住民との軋轢を起こしている部分が目立っているのではないだろうか。しかし、なぜそんなトラブルを起こすことになってまで、組織の存続を優先させているのだろうと考えると、どうしても、宗教法人への、税制的な優遇を考えざるをえない。私はどうしても、「なぜ既存の昔からの宗教に属すことを潔しとしないのか」の部分に一番のボトルネックを感じるのだが、信者の方々一人一人には、それぞれ事情があるのだろう。
アニメ「戦う司書」は、絶望的なアニメである(以下完全ネタバレ注意)。心優しい、正義感に満ちた、登場人物こそが、最も早く、だれも注目していない、田舎の片隅で、「なんの英雄的存在でもない」つまらない、下っ端の小金目当ての鬼畜の所業によって、殺される。
ヴォルケン。
彼は、今の館長代行として、自らが所属するバントーラ図書館という武装組織のリーダーである、ハミュッツ・メセタ、が、冷酷かつ好戦的でありながら、なぜ、そんな彼女を尊敬する自分の仲間たちがリーダーとして認めているのかが理解できない。最後は、彼はその自らの正義感を貫いたために、自分を、裏切り者として追い込む形で、命を断つ。
ノロティ。
彼女こそ、この作品を象徴する存在であろう。彼女は、ずっと、バントーラ図書館の見習いとしてトレーニングを積むが、彼女は人を殺さない、と自分に誓う。戦士としてのトレーニングを積みながら人を殺さない。結局、最後は、ある、自分たち、バントーラ図書館の戦士によって、皆殺しにされた子供たちの中の、ある生き残りの男の子によって、何度も殴られた後、死ぬのだが、彼女は決して、その少年を恨むことがなかった(そのことが、第22話で、ある戦争を終結させるのだが)。
なぜ、ノロティは、人を殺さず、人を恨まなかったのか。それは、彼女の出自と関係していたのであろう。彼女はある田舎の小さな村の出身であり、そこで、かわいがられながら、さまざまな生きる村作法を身につけて、バントーラ図書館に来た。もちろん、ここで、彼女のその村作法は、「弱点」として徹底的に矯正すべき振舞として指導されてきたが、彼女は、最後まで、その自らの信念を捨てることがなく、最後、息を引き取るまで貫き通す。
彼女は間違っていたのだろうか。しかし、一体、だれに彼女の生き方を変えることができたであろう。
たとえば、エンリケは、そんな彼女によって、「救われた」一人と言っていいだろう。彼は、彼女にこのバントーラ図書館の戦士として生きることをやめさせようとしていたが、それが彼女の意志でないことも分かっていた。そのことが、もともと、死ぬことを望んでいた彼が、それでも、生きる理由として唯一、そんな「子供っぽい夢をみる彼女をサポートする」ことだけだったわけだから。
この作品は、そんなノロティの死(第22話)の後も作品は続くのだが、いずれにしろ、作品としては、こういった、イエス・キリストの十字架の死、を思わせる、「殉教」という色彩を色濃く残す作品になっている。
弱さや、正義は、たしかに、実力では負け、だれにも注目されることなく、ひっそりと、死を迎えるが、逆にそれが、ある種の「殉教」となり、その後を生きる人々に、
「深刻な考察を促す」。
この作品をみながら、私は並行して読んでいた掲題の本の、そのライシテについて考えていた。王権国家の終焉の後の、民主化の現代において、その「宗教性」は、たしかに、非常に「希薄」になってゆく印象がある。しかし逆に言うと、その観念は、より、「個人化」している、とも言えるのだろう。極端に言えば、それは、「たとえ、回りの人たちすべてに反対されても貫く」信念のようなもの、として続いていく。そういった、なにか、として捉え返すべきもの...。
しかし、別に、個人の中の何かに限定する必要はない。現代の企業だって、少ならず、公共的な態度をもたなければ、総スカンをくらうだろうし、さらに、あらゆる人間活動は、どこかしら倫理的な側面をもつことを常に求められる時代になっていくのだろう。
たとえば、そういったことも、ライシテの一つと考えていいのではないだろうか...。

民主主義と宗教

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