柄谷行人『世界史の構造』

なんか、隔世の感がありますね。長年、この方の著作を読み続け、影響を受けてきた自分としては、一読者として、ただただ楽しめた。いつか、こういったものが読めないかとは多くの方が思っていたのではと思うけど、こうやってそれが実現されてみると、昔の頃のことから、いろいろ思い出されてきて、なんとも言えない気持ちになる。人生の中で、そんなふうに思えることって、そうそう、ないんじゃないだろうか。
この本は、今まで、著者がいろいろ書かれていた論文と、一点で違っている。

二〇〇一年にいたるまで、私は根本的に文芸批評家であり、マルクスやカントをテクストとして読んでいたのである。いいかえれば、自分の意見ではあっても、それをテクストから引き出しうる意味としてのみ提示したのだ。だが、このようなテクストの読解には限界がる。私の意見が彼らに反することが少なくなかったし、また、彼らが考えていない領域や問題が多かった。したがって、「世界史の構造」を考えるにあたって、私は自身の理論的体系を創る必要を感じた。これまで私は体系的な仕事を嫌っていたし、また苦手でもあった。だが、今回、生涯で初めて、理論的体系を創ろうとしたのである。私が取り組んだのは、体系的であるほかに語りえない問題であったからだ。

こういった体系的な仕事の、いい面は、明らかに、
この体系を無視しては、誰も何も語れなくなる
ことではないか、と思う。体系的な仕事にはそういったところがあって、それは、ヘーゲル以降、ヘーゲルの歴史哲学を無視しては何も語れなくなったように、また、マルクス以降、マルクス資本論を無視して、貨幣や資本の起源を考えられなかったりすることと同じだと思う。
昔はけっこうはまって、柄谷さんの対談から、雑誌に載った頃の論文から、けっこう昔のバックナンバーを探して読んでた頃もあった自分としては、なんとなく書いてある記述のそれぞれが、いろいろそういう過去の議論からの背景まで見えたりして、こういうのを文化的快楽っていうんだろうなー、とは思う。
こういった、柄谷さんのような著述スタイルというのは、日本でいえば、どういったモデルの延長に考えればいいのだろうか。あまり詳しくないが、やはり、小林秀雄だろうか。
あと、柄谷さんのこういった、マルクス資本論を中心にその周辺を考察していく研究姿勢に最も似ている方というと、だれになるんだろう。あまり詳しくないが、おそらく、カール・ポランニーあたりなんですかね。
この本がどういった、プロジェクトの下で書かれているかについては、実際にぶつかられてみて、感じられたらいいと思いますが、私にとってはどうしても、ここ最近の、自分が関心をもってきたような(日本の伝統や保守思想など)側面からしか考えられないところがあるが、そういった面に、今回、どういった解読をされているのか、という感じでチェックしてみる。

では、なぜ彼らは定住したのか。それを考えるとき、われわれは一つの偏見を取り除いておかねばならない。それは、人が本来、定住する者であり、条件に恵まれたら定住する者だという偏見である。だが、現在でも、国家による強制をもってしても、遊牧民を定住させることは容易ではない。狩猟採集民の場合はなおさらである。彼らが遊動的生活を続けたのは、必ずしも、狩猟採集の対象を求めて移動する必要があったらではない。たとえば、食料が十分にあれば定住するかといえば、そうではない。それだけでは、彼らが霊長類の段階から続けてきた遊動的バンドの生活様式を放棄するはずがない。彼らが定住を嫌ったのは、それがさまざまな困難をもたらすからだ。
それは、第一に、バンドの内と外における対人的な葛藤や対立である。遊動生活の場合、究極的に人々は移動すればよい。たとえば、人口が増えれば、出て行くことができる。また、そのため、バンド社会は非固定的であった。ところが、定住すれば、人口増大とともに増える葛藤や対立を何とか処理しなければならない。そこで、多数の氏族や部族を、より上位の共同体を形成することによって環節的に統合すること、また、成員を固定的に拘束することが必要となる。第二に、対人的な葛藤はたんに生きている者との間にあるけではない。定住は、死者の処理を困難にする。アニミズムでは一般に、死者は生者を恨む、と考えられる。遊動生活の場合、死者を埋葬して立ち去ればよかった。しかし、定住すると、死者の傍で共存しなければならない。それが死者への観念、および死の観念そのものを変える。定住した共同体はリニージにもとづき、死者を先祖神として仰ぐ組織として再編成される。こうした共同体を形成する原理が互酬交換である。
このように、定住はそれまで移動によって免れた諸困難に直面させる。とすれば、なぜ狩猟採集民があえて定住するようになったのか。根本的には気候変動のためである。人類は氷河期の間、熱帯から中緯度地帯に進出し、数万年前の後期旧石器時代には、高緯度の寒帯にまで広がった。これは大型獣の狩猟を中心にしたものである。しかし、氷河期の後の温暖化とともに、中緯度の温帯地域に森林化が進んで大型獣が消え、また採集に関しては、季節的な変動が大きくなった。そのとき、人々が向かったのは漁業である。漁業は狩猟と違って、簡単に持ち運びできない漁具を必要とする。ゆえに、定住するほかなった。おそらく、最初の定住地は河口であっだろう。
漁業のために定住した社会は、現代においても多数観察されている。たとえば、北米カリフォルニアと極東シベリアから北海道にかけての一帯には、定住し漁業によって暮らす人々が見出される。先に述べちょうに、テスタールは、彼らが魚を燻製にして備蓄する技術をもったことを重視いている。そこから、「不平等」が初まったというのである。

なぜ、遊牧民や狩猟採集民が、定住生活を始めたのか。よく考えると、それは少しも自明でない。だって、人類の歴史がどれだけあるかを考えれば、定住生活なんて、つい最近なのだ(著者は、そこに漁業との関係を指摘しているが、そういえば『新不平等起源論』なんて本がありましたね)。私はこういった認識は、むしろ今後の地球環境の変化の時代に、どのようなライフスタイルを人間がしていくことになるのか、を考えるとき、さらに重要になってくるように思える。

供犠とは、贈与によって自然の側に負債を与え、それによって自然のアニマを封じて「それ」へと切り替えることである。このことは呪術についてもいえる。呪術を、呪文や儀式によって自然界を操作することとして見てはならない。呪術は贈与による脱霊化によって、自然を「それ」として対象化することを可能にするものである。ゆえに、呪術者が最初の科学者である。

(ちなみに、上記の「それ」とはマルティン・ブーバーの「我と汝」に対立するアイデアの「我とそれ」のこと)。私は、アニミズムは少しも古くないと思う。むしろ、私たちの日常のさまざまな人間関係の場面では、アニミズムに満ちている。ところが、そういったことを現代の学問は、言説化できていない。それを表現する手段をもっていないのではないか。そういった意味で、著者がこの本で一貫して、マルセル・モースの贈与論にある、互酬的な関係を再評価していることの意味は、今後、よりこういったものを精緻に考えていく上でも、大きいのではないだろうか。

中国における普遍宗教は孔子老子である。先述したように、彼らは春秋戦国時代、つまり、ポリスが濫立し、諸子百家が輩出した時代にあらわれた。彼らは、それまでの共同体の宗教が機能しなくなった時期に、それを根本的に問い直したのである。それらは宗教として説かれたのではない。むしろ、それらはつねに政治的思想として語られ、そのように機能した。しかし、孔子老子も、それぞれ、新たな「神」を導入したといってよい。それを、孔子は超越的な「天」に、老子は根底的な「自然」に見出した。
先ず、孔子が説いたのは、一言でいえば、人間と人間の関係を「仁」にもとづいて建て直すことである。仁とは、交換様式でいえば、無償の贈与である。孔子の教え(儒教)のエッセンスは、氏族的共同体を回復することだといってよい。もちろん、それは氏族共同体を高次元において回復することであって、たんなる伝統の回復ではない。特に、孔子の思想におけるその社会変革的な面は、孟子によって強調された。しかし、現実には、儒教は、法や実力によってではなく、共同体的な祭祀や血縁関係によって秩序を維持する統治思想として機能した。

日本の歴史を眺めれば、いかに、孔子が重要であるかは、理解されると思うんですね。しかし、そういう場合に、多くの場合、孟子以降の、法家思想などをどんどん吸収していった後の、国家政治思想としての、儒教として、考えがちになる。しかし、論語を読まれれば分かりますけど、明らかに、孔子自身の問題意識はそれと違っているし、むしろ、日本に常に影響を与えてきたのは、こちらのように思うんですね。

マルクスウェーバーも日本に封建制が成立したことに注目した。いうまでもなく、この場合の封建制は、人的誠実関係、すなわち、主人と家臣の間の封土--忠誠という相互的な契約関係にもとづく体制を意味する。アナール学派のマルク・ブロックやブローデルもこの事実に注意を払った。しかし、私の見るかぎり、なぜそれがありえたのかを説得的に説明しえたのは、ウィットフォーゲルだけである(『オリエンタル・デスポティズム』)。一言でいうと、彼は、日本の封建制を、中国の帝国の対して亜周辺に位置したことから説明したのである。
中国の「周辺」である朝鮮においては、中国の制度が早くから導入されていたが、島国の日本ではそれが遅れていた。日本で、中国の制度を導入して律令国家が作られたのは七世紀から八世紀にかけてである。しかし、それはかたちだけで、国家の集権性は弱かった。導入された官僚機構や公地公民制は十分に機能しなかった。そのような国家機構の外部に、とりわけ東国地方で、開墾による土地の私有化と荘園制が進んだ。そこに生まれた戦士=農民共同体から、封土--忠誠という人格関係にもとづく封建制が育ち、旧来の国家体制を侵食しはじめた。一三世紀以後、武家の政権が一九世紀後半まで続いたのである。

マルク・ブロックは、日本の封建制がヨーロッパのそれと酷似するにもかかわらず、そこに「権力を拘束しうる契約という観念」が希薄である理由を、つぎの点に見出している。《日本では、西ヨーロッパの封建体制にきわめてよく似た人的並びに土地的従属関係の体系が、西ヨーロッパにおけると同じように、それよりはるかに古い王国に相対峙して少しずつ形成されるようになった。しかし、日本では[国家と封建制という]二つの制度は相互に浸透することなく併存していた》。
一六世紀の戦国時代を経て覇権を握った徳川幕府は、朝鮮王朝から朱子学を導入し、集権的な官僚体制を作ろうとした。さらに、また、幕府の正統性を、古代からの天皇制国家の連続性の下に位置づけた。ゆえに、徳川時代において、封建制よりも集権的な国家の側面が強まったことは確かである。しかし、事実上、封建的な体制と文化が維持された。たとえば、武士には「敵討ち」の権利と義務が与えられた。いいかえれば、国家の法秩序とは別に、主君との人格的な忠誠関係が重視されたのである。官僚であるよりも、戦士(サムライ)であることに価値がおかれた。別の観点からいえば、理論的・体系的であるよりも、美的あるいはプラグマティックであることに価値がおかれたのである。
しかし、このように帝国に発する文明を選択的にしか受け入れないということは、日本の特徴というよりもむしろ、亜周辺に共通した特徴である。たとえば、同じ西ヨーロッパの中でも、ローマ帝国に対する関係という面から見て、「周辺的」と「亜周辺的」の違いが存在する。フランスやドイツがローマ帝国以来の観念の形式を体系的に受け継ごうとする「周辺的」傾向があったのに対して、イギリスは「亜周辺的」であり、より柔軟、プラグマティック、非体系的、折衷的な態度がとられてきた。イギリスが大陸には向かわず、「海洋帝国」を築き、近代世界システム(世界=経済)の中心となったのは、そのためだといえよう。

この辺りでやっと、自分にとっての、日本問題の関心に深く係わってきますね。日本が違うというとき、それを、イギリスが違うというのと、同型にとらえることは、興味深いし、私たちを相対化させますね。私は、近年のグローバリズムに呑み込まれたとき、日本は日本でなくなると思っていますが、それは、難しいことではなく、上記にあるような、プラグマティックな知性を保持できるか、だと思うわけです。そういった保守的な連続性が無意味だというんなら、アメリカの次の州にでもなってしまえ、と思う。

ハチソンの弟子アダム・スミス道徳感情について論じ、共感=同情(sympathy)についてつぎのように述べた。

人間というものは、これをどんなに利己的なものと考えてみても、なおその性質の中には、他人の運命に気を配って、他人の幸福を見ることが気持ちがいい、ということ以外になんら得るところがないばあいでも、それらの人達の幸福が自分自身にとってなくてならないもののように感じさせる何らかの原理が存在することはあきらかである。憐憫または同憂は、まさにこの種の原理に属し、それは他人の不幸を直接見たり、あるいは他人の不幸について生々しい話を聞かされたりすると、それらの人々の不幸に対してただちに感ずる情緒である。他人が悲しんでいるのを見るとすぐに悲しくなるのは、なんら例証する必要のない自明の理である。......想像のはたらきによって、われわれは自分自身を他人の立場に置き換え、自らすべての同じ拷問に耐え忍んでいるかの如くに考え、いわば他人の身体を移入して、ある程度までその人間と同じ人格になって、その上でおの人間の感じに関する何らかの知識をえ、程度こそ幾分弱いが、その人間の感じた感覚と全く異っているとも思えないある種の感覚をすら感ずるようになる。(アダム・スミス『道徳情操論』)

スミスのいうシンパシーとは、相手の身になって考えるという想像力である。ハチソンのいう道徳感情と、スミスのいうそれとの間には、微妙だが決定的な差異がある。ハチソンにとって、道徳感情は利己心とは反対のものだが、スミスのいう共感は利己心と両立するものなのだ。そもそも、相手の身になって考えるのであれば、相手の利己心を認めなければならない。

キリスト教----仏教でもイスラム教でも同じことだが----では、利己心の否定が説かれ憐憫が説かれる。が、スミスがいうシンパシーは、憐憫や慈悲とは異なっている。そもそも、それは、利己心が肯定されるような状況、つまり資本主義的市場経済においてはじめて出現するものなのだ。憐憫や慈悲は、商品交換原理Cが副次的であるような社会における倫理である。しかるに、スミスがいうシンパシーは、商品交換の原理が支配的となり、互酬原理が解体されてしまったときにのみ出現する「道徳感情」あるいは「想像力」であって、旧来の社会には存在しなかったものである。

ここの記述がおもしろかったですね。アダム・スミスのシンパシーは、それまでの、世界宗教がもっていた、憐憫や慈悲、とは、微妙に違っている。つまり、資本主義がこの人間世界の交換関係の主流となった現代においてこそ、始めて、わきあがってきた概念なんだ、と。だとするなら、むしろ、この、アダム・スミスのシンパシー、の
徹底
以外に、私たちの近年の資本主義的なアポリアを乗り越えうる道なんてないんじゃないですかね。問題は、このシンパシーを究極的なまでに徹底させる、とはどういうことなのか、を考えることなんじゃないのか。
この本が今、大きい書店に行くと店頭に並んでいますけど、今、多くのこういった分野に詳しい人たちは、この本がどれくらい重要かに気付いてきているんだと思うんですけどね。それは、つまり、
人文科学の実力
がどれほどのものか、ということです。文化系が、やはり、重要なんですね。それは、物事の順序であって、文化系の内部に、自然科学系が位置付けられることで、初めて、自然科学系の「意味」が生きてくる、というもので、まず、文学であり文化があって、そういったものを本気で育て、こういったカルチャーを活発にすることが、未来の人間のこれからなんだと思うんですよね。
いや、いいですよ。この本を無視されても。でも、もったいなくないですか。いいチャンスじゃないですか。文化系の世界がどれだけ、私たちにとって重要かを宣伝するのに。言うまでもないですけど、新古典派経済学なんて、
ただの自然科学の一分野
ですからね。こんなもんだけ、ちょっと数式かじって、計算がうまくなって、
やっぱ、金儲け楽しいよなー、ビンボーな生活だけは、したくないよなー
みたいな、底辺で苦しんでる人に、なんの共感も感じられないような、うすっぺらいことを口走るだけの、セッキョー人生を送るより、過去の人間が、どんな生活をしてきて、どんな人間関係の中でどんなことを考えて、どんな悟りを開かれていたのか、といったことの延長に自分の今があるんだ、と、過去に学ぼうとしたり、文学をとことんまで考える人生の方が、どれだけ、この有限な人間の人生を有意義にしませんかね。
日本は、まず、軍隊をもっていない。つまり、アメリカにおんぶにだっこ、だ。この状況は、戦後一貫している。ところが、冷戦も終了して、とうとう、日本は、アメリカにとっても、セカイにとっても、「なにものでもない」ただの国になった。よく、日本はハイパーインフレーションで滅んでしまえば、戦後の焼け野原から復活する、みたいな、アホ理論を言ってるやつがいるが、一つだけ間違いないことは、日本の戦後において、得意だった、ものつくり分野は、世界中、
もう間に合ってます
状態だということだ。日本がどんなにがんばろうと、世界は、日本の技術を盗み、日本並みの製品を、作れるようになっている。どこでも、もう日本並みなのだ。もう、日本の特殊性など、そこにはない。
しかし、こういった事態がいずれ来ることは、分かっていたはずだ。
日本は特別でなくなる。ワン・オブ・ゼム、になる。
こういったとき、一体何が起きるだろう。
日本売り
だ。昔から、日米構造協議が言われるが、日本人なのに、日本をアメリカに売ろうとする、輩が現れる。これが、アメリカン・スクール問題というやつで、多くは、アメリカ人から金を貰ってるのだろうが、むしろ、なんの儲けも関係なく、一番感受性の強い時期に、アメリカで教育を受けて、調教されたため、アメリカ礼賛からしか考えられなくなっている、ということなのだ。
彼らは、日本をアメリカにとって、都合のいい国にすることによって、アメリカ社会の、金持ち階級に相手にしてもらい、そこに入れると思っている。貧乏の底辺だけは嫌だ。そのためなら、日本を売る。
進んで、日本をアメリカの奴隷にするために、全精力を使って日本人を洗脳する。
あなたのためだから。
でも、しょうがないのだ。だって、彼らはもう調教が済んでいるのだから。どんなに戸籍が日本でも、もう、頭の中がアメリカ人なのだ。日本をアメリカの「手段」として使うことしか考えられないわけだ。
私のここのところの関心は、もっぱら、日本的な伝統にある。私は、今後、そういったアメリカからの「攻撃」から、自分たちを守りながら、この21世紀をサバイブするには、ある程度の、保護貿易的にやっていかざるをえないと思っている。
もちろんこれは、日本をアメリカの次の州にすることしか、興味のない連中には、ありえない選択だろうが、むしろ、世界はそういう方向に向かっていくと思う。たしかに、それでは、輸出を日本の外貨獲得の手段としてきたことから考えると、自殺行為のように思えるかもしれない。
そういう意味では、私はあと何十年かしたからといって、それほど、日本人のやっていることは変わっていないと思う。それなりに、難しくても、ある程度は、ものづくりも残っているだろう。
つまり、「全ての」保護貿易、つまり、鎖国ではなくて、選択的な保護貿易、を考えている。もちろん、今の日本だって、お米の輸入は解放していないわけですし、大事なことは、なにかの分野を保護するとき、その正当性をどうやって、世界に認めさせるか、となります。
すると、一つあるのが文化ではないかと思う。日本のある文化を尊重するから、ある分野については、ある程度自給自足で国内経済で回します、と。これなら、ある程度、納得を得られるはずなんですね。だって、どこの国だって、事情は同じはずですから。
こうやって、モノツクリが世界にパクられ続けた、この日本の特徴とはなんだと自分が考えるかというと、

  • 食事がうまい
  • 国民が勤勉(勉強好き、科学好き)
  • 日本的な仁(治安のよさ)
  • 日本的な男女の恋愛(マゾヒズム

つまり、平和でみんな仲良くしていて、世界中の人にあこがれる生活をしている、と思われることだろう。そうすればどうなるか。まず、観光に来てくれるだろう。次に、日本の文化を消費してくれるだろう。
大事なことは、これらは、そう簡単に、世界中が真似できない、ということなわけだ。たとえば、ユダヤキリスト教イスラム教の対立は、そう簡単に終焉しそうもないし、中国も周辺民族問題は、ずっと続いていくし、官僚独裁の伝統は変わらないだろう。
日本国内は、みんな自給自足で助け合って、上記の文化を色濃く反映した、IT、つまり、ロボットなどのエンベッドデバイスを開発して、どんどん、そういった「平和なオモチャ」を作っていく。たしかに高価かもしれないけど、いいのである。作りたい奴が、やりたいことをやることが重要なのだから。ウィリアム・モリスじゃないけど、そういった人の気持ちのこもったものは、芸術だし、ブランドになるはずですから。
そう考えると、まず考えるべきは、「新しい公共」とは、なんであるべきだったか、じゃないだろうか。これだけ、国内の自殺が下げ止まらず、NHKの特集番組に、あれほど人々が注目する。しかし、この事態にしても、新古典派経済学にかかれば、「無視できる範囲」となるのでしょうね。日本は不況だから、それに比例して、自殺が増えるのは「しょうがない」。しかし、そんなことを言うなら、日本社会は、成熟社会、つまり、より複雑になってるのだから、複雑になればなるほど、自殺者は増える。つまり、日本はこれから、どこまでも自殺者が増えて、日本人がいなくなっても「しょうがない」と言ってるのと変わらないだろ。
あと、つまんないことだけど、この本の最後に書いてある、世界同時革命や世界共和国は、まったく過激つまり暴力的でない。あくまで、文化的な話なわけだ。今のさまざまなアポリアにどうやって解決の糸口を展望するか、というときに、こういう表現を理念として提示することのなにが悪い。こういった用語にとびついてもしょうがないわけだ(とにかく、何が書かれているのか理解しないことには、なにごとも始まらないんだろう)。
私は、柄谷さんの文章に強烈な、
テキストの快楽
を感じる(別に、ロラン・バルトの言う意味でとられても、かまわない)。間違いなく、彼は、好き勝手書いてる。まったく、他人に遠慮していない。私は、そういう快感を重視したいのだが(これについては、次のブログの記事でも少し書く予定)、では、余談として、現代の日本の思想の言説で、そういった、同型の、
テキストの快楽
を感じられる方というと誰になるだろうか。多くの方が同意されるだろう方を、二人あげるなら、宮台真司さんと東浩紀さん、だろう(私は、あまり、いい読者ではないが)。ただ、二人とも、学校の先生だからなのか、あまりテキストそのものを重要視していない感じもあり(東さんはまだまだこれからなんでしょうし、宮台さんはそもそも社会学ジャンルの人ですから)、未知数ですが、(東さんについては、次の記事で書くので)ただ宮台さんは、なんというか、陽明学っぽい印象もあるから、また違った体系的なプロジェクトにどんどんコミットされていくというのはあるのでしょう。
あと、当たり前のことを、つけ加えるなら、

本書は以上のように、公共的な場を通して練り上げられてきたのである。その過程で、私はそのつど、微細ながら重要な修正を積み重ねてきた。しかし、本書をもって、とりあえず最終的なヴァージョンとしたい。

最終形などないし、それが欲しかったら、自分で考えろ、ってことだろう。

世界史の構造 (岩波現代文庫 文芸 323)

世界史の構造 (岩波現代文庫 文芸 323)