斎藤貴男『消費税のカラクリ』

この本にも書いてあるが、斎藤貴男さんが、videonews.com で、宮台さんと、消費税でやりあったのは、いつの回であったか。宮台さんは、斎藤さんを格下に見てるのだろう、まるで、
できの悪い生徒
に諭(さと)すかのように、やたらと丁寧な口調で、消費税がいかに必要か、ヨーロッパでこれだけ普及しているのだから、日本もその理由を研究して、
ヨーロッパ並みに増税しなければならない、
だって、ヨーロッパでここまでできているのだから日本でやれないわけがないだろ、みたいな口ぶりであった。
それに対して、斎藤さんの反応は、特になかったが、渋い顔で、当然納得していない感じは伝わってきた。この本がこの後、彼が研究した結果であるということらしく、その答が、ここにあるということなのだろう。
まず、斎藤さんが強調することは、
消費税とはなにか?
である。
しかし、である。これを、
官僚が国民をマインドコントロールしようとしている、
と考えてみよう。その場合、消費税がなんなのかは、絶対に国民に考えさせてはいけない、といことになるだろう。もし、国民が消費税とは何かを考えることによって、消費税が自分たちにとって、いかに不幸で、不利益で、不公正であることが「証明」されたら、国民は、この消費税の増税を選挙によって拒否するから、である。
つまり、官僚にとって、国民が消費税が何なのかを、
いかに考えさせないようにするか、
が重要になる、ということである。
これは、上記の videonews.com での宮台さんの消費税賛成論の論理展開においても、反映しているように思える。彼は、とにかく、自分が消費税の増税に賛成ということしか言わない。つまり、増税に賛成という「一般論」のように、斎藤さんを説得しようとする。そして、その論拠こそが、ヨーロッパがこれだけ、高率だということ、その一点だった、わけである。
(ようするに、宮台システム理論など、この程度ということなのだろう。)

インターネット上の「ヤフー知恵袋」で、ベストアンサーに選ばれていた説明だ。

消費者は、どんな会社でもどんなお店でも、モノやサービスを購入した場合には消費税を支払いますよね? この支払った消費税は、その会社やお店に支払ったわけではなく、国に税金として支払っているわけです。会社やお店は、消費者から税金を預かり、のちのちその預かった消費税を国に納めるという仕組みになっています。
しかし、実際にはすべての会社やお店が、国に消費税を納めているわけではありません。たとえば、会社設立後2年間は消費税の納税義務はありませんし、3年目以降であっても、年間の売上が1千万円を超えないような所は消費税を納めなくてもよいのです。(中略)そうすると、国に支払うつもりで消費者が支払った税金が、国には納められず、そのお店のもうけとなっている事になります。これが、消費税の益税問題とよばれるものです。

小林よしのりが言った、
純粋まっすぐ君
たちは、自称哲学者(ただの、いいところの大学で哲学の授業で聞きかじった、意味なし語をロマンティックにジャーゴンするオタク)だけでなく、市井の善意の市民の中にこそ、いるのだということだろうか。
つまり、これは、典型的な「観念論」なのだ。
まず、「間接税」という「欺瞞」について、認識をもつ必要がある。たしかに、私たちが、スーパーで野菜を買えば、レシートに「内税何円」と書いてある。しかし、変だと思わないだろうか。私たちは、その野菜を手に入れることで、そのスーパーに、お金を払う。しかし、そこにあるのは、
何円払った
という単色の行為である。その内、何円が税金だという、
なにか
をやったわけではない。つまり、その行為において、
レシートになんと書いてあろうと、
なんの関係もない、ということなのだ。
ここは、非常に重要なポイントである。つまり、間接税などというものは、この世の中に存在しない。そんなものがあるのは、自称哲学者の頭の中の、空想的ユートピアの中だけ、ということなのだ。
ここにあるのは、ただただ、以下である。
各事業者は、売上の何割かを、国に「無条件」で、むしりとられる。

----納税義務者とは誰か?
税制改革法一一条一項は、「事業者は、消費に広く薄く負担を求めるという消費税の性格にかんがみ、消費税を円滑かく適正に転嫁するものとする」と抽象的に規定しているに過ぎず、消費税法及び税制改革法には、消費者が納税義務者であることはおろか、事業者が消費者から徴収すべき具体的な税額、消費者から徴収しなかったことに対する事業者への制裁等についても全く定めていないから、消費税法等が事業者に徴収義務を、消費者に納税義務を課したものとはいえない。

消費者は、税金など払っていない。もし、消費者に払わせるなら、消費者の購入履歴の国家への申告によって、払わせなければならない。本当に消費者から取りたいなら、確定申告させればいいだろう。
中小零細企業は、さまざまに、相手先との力関係から、「ねぎられる」。そこにあるのは、「相手といくらで契約するか」だけである。そこに、「税」などという、ナルシシズムは存在しない。そんなものは、国家主義者の国家ユートピア幻想でしかない。
しかし、消費税は、こんなに分かりやすいじゃないか。こんな単純なルールの税金は、これはこれで、一貫しているんだから、いいんじゃないか、そんなふうに言う人もいるかもしれない。
しかし、それは、日本の消費税のもう一つの側面を無視した「無知」である。つまり、
仕入れ税額控除
である。

課税仕入れとは、
事業者が、事業として他の者から資産を譲り受け、若しくは借り受け又は役務の提供を受けることをいいます。
課税仕入れに該当するもの... ・商品の仕入れや、機械等の事業用資産の購入 ・貸借、事務用品の購入、賃加工や運送等のサービス提供を受けること ・免税事業者や消費者からの商品や中古品等の仕入
課税仕入れに該当しないもの... ・土地の購入や貸借、株式や債権の購入、利子や保険料の支払などの非課税取引 ・給与、税金の支払など

非正規雇用は、非課税だというのだから、この旨みはすさまじいことになることくらい、さすがに分かるだろう。企業は、リーダークラス以外は、全員、非正規雇用
しろ
と国は言ってるのである。また、輸出企業は完全な非課税になる。それだけではない。この消費税は、非常に、「経済強者の」大企業にとって、あらゆることで旨みが吸える税制となっているわけだ。

じつは、彼らは消費税の税率をいくら引き上げても痛痒を感じないのである。彼ら巨大企業は経済取引上強者であり、常に価格支配力を有しており消費税を自在に転嫁する。しかも、輸出戻し税制度により消費税をまったく納めないばかりか巨額の還付を受ける。還付金額は税率が上がれば上がるほど大きくなる。つまり、彼らは消費税の税率引き上げによりまったく被害を受けないばかりか、場合によると後転効果により利益を生むことさえ可能なのである。

これが、いわゆる「輸出戻し税」である。東アジアに多くの日本企業が進出しているのは、中国やインドが同じように、この税制を採用しているところにあるだろうと、著者は指摘する。
そもそも、なぜ、こういった税制が推進されてきたのだろうか。

輸出企業に対し税金を還付することは実質的には輸出補助金に該当し、ガット協定に違反するはずである。それを「ガット協定に違反しないように、国内で負担した間接税の還付である」と主張するため、原材料納入業者に彼らが納付した税額を証明する請求書(インボイス)を発行させたのである。

(GATTという「国際機関」が、自由貿易の名の下に、どういった圧力を各国に及ぼしてきたかは、よくよく考える必要があるだろう。ようするに、国際機関という、「非民主主義機関」。)
ここで、大事なことは、なんだろう?
つまり、国家は、この税制を通して、どういった「生き方」を国民にさせようとしているか、どうやって国民をコントロールしようとしているのか、ということである(経済バカは、経済が政治によって条件付けられていることを、「無自覚に」隠蔽する)。

零細な自営業者など市場から消え失せてくれた方が、むしろ全体の生産性が向上して結構だとする反論が聞こえてきそうだ。実際、消費税増税を主張する経済学者らの中には、そう公言して憚らない人々も決して少なくないのである。

村上「(中略)法人税の場合、ご案内のとおり、赤字になれば法人税の納税はこざいませんから、やはり経済情勢が悪いと、その企業の経営状態が悪くなってくると赤字になってまいります。そうしますと、納税がございませんから、したがって滞納も発生しないということだと思います。消費税は、一方、赤字黒字関係ございませんから、経済情勢に沿って滞納があるのではないかと思います」

仕入れ税額控除を受けるには、非常に細かい、事実関係の申告が必要となる。ということは、経理のプロを雇うお金がない、中小零細企業は、非常に煩雑なため、事実上、仕入れ税額控除の申告などできない、ことを意味する。
ということは、どういうことか。国家は、そういう、儲からない仕事を
やるな
と言っているわけである。国家が国民の生き方を、税金によってコントロールしようとしていることを意味しているわけであり、以前にフーコーの議論に沿って描いた、経済「規制」の姿が「証明」されていると言えるだろう。
国はスローフードに敵対的ということだ。みんながスローフードをやられたら、大企業は優秀な社員の獲得に失敗する。大事なことは、常に、雇用不足の労働市場を実現することである。
国が少しでも、お金を獲得したかったら、貧乏人や老人や障害者といった、国の福祉に依存する人たちを「早く殺して」、若者にタダ働きをさせて、彼らの稼ぎを、テラ銭で、全額税金で、めしあげればいい。しかし、これが、戦前の、いわゆる、全体主義思想の言っていたことなのではないだろうか。「去私」になった、哲学マインドコントロールされた庶民は、ようするに、こういう生き方をやれ、ってことだったのだろう。
受益者負担、という考えがある。この本にもあるが、竹中平蔵は、税金は国家による、盗みだと言った意味のことを(金持ちの家の子供が、貧乏の家の子供に、おもちゃを奪われる例を通して)説明したわけだが、ということは、富裕層の方が、より多額のお金を取られるわけで、
より悪の被害が大きい
という発想になる。国にお世話になっている量なんて、一人一人そんなに違わないなら、みんな、同じ額だけご奉仕すべきだ、という考えである。日本は、戦後の平和ボケの中で、いつのまにか、この
クーデター
が起こされてきた。戦後のGHQの、財閥解体などを通しての、応能負担の原則は、自民党によって、少しずつ破壊されてきた。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で、昔は良かった、などと郷愁にひたってるバカ学者がいるが、なんのことはない、
実際に
昔は良かったのだ。
よく、セーフティネットということを言う。しかし、これはなにかと言えば、例外領域ということである。ばったばったと落ちてくる、敗者を、ネットでつかまえる。しかし、つかまえてどうするのか。一律の、福祉で「最低限の」人間らしい生活をさせてやる、というわけだが、しかし、その最低限なるものは、なんなのか。ようするに、国の都合、サジ加減で、そのラインは勝手に上下させられるわけだ。国にお金の余裕がないと、屁理屈さえ通れば、いくらでもこのラインは下がっていく。
ということはどういうことか。そもそも、こういった、一律の福祉的アイデアは、うさんくさいということである。
例えば、どうして以下のように考えられないのだろうか。
今の法人税がそうであるように、うまくいっていない人には、国が受益者負担の義務を放棄すればいい。だって、そうすれば、
ネットに落ちなくてすむ
のだから。その方が、人々の心理的な健康状態を考えても、ずっとましだとは思わないだろうか(この本も指摘するように、近年の、自殺者の急増と消費税は無関係ではない)。
ようするに、はっきりしているわけである。管直人首相は、
そういう
消費税増税的生き方を国民はやれ、と命令しているわけである。具体的に、消費税増税カードで、国民を脅すことによって。

消費税のカラクリ (講談社現代新書)

消費税のカラクリ (講談社現代新書)