ETV特集「60年安保 市民たちの1か月」

おとといの、NHK教育でやってた、ETV特集 シリーズ 安保とその時代(3)「60年安保 市民たちの1か月」、は、私たちのような、60年安保を同時代で生きていない年代には、非常に分かりやすいまとめ方だったように思う。
私が特に、印象付けられたのは、この運動が、こういった
早い段階で
大衆レベルまで巻き込んだ、あれほど
大規模な
大衆運動となっていたことでした。60年代の最初の、日米安保の改訂において、ここまでの、大衆運動の規模になっていたということは、まさに、驚きの一言ではないでしょうか。それは、現在、これだけの規模の国民運動が、どういった事態を契機にしてなら起きうるかと考えてみると、ほとんど驚天動地のことのようにさえ思えるわけです。
たしかに、ある程度の、大学を中心とした、左翼知識人の存在というのは、どこの国でも普通にいたと思うし、そういった先進的な思想を勉強している人たちが、左翼活動を行うことは、想像できるわけです。そして、実際にこの、60年安保闘争でも、そういった人たちが活動の中心だったことは事実なわけですね。しかし、それだけなら、あそこまでの活動の大きさではなかった。
一番の原因が、岸信介の政治手法だったことは、多くの識者の見解と同様に私も見ていて、その通りだと思いました。
岸信介は、A級戦犯容疑者として、逮捕されていたのに、アメリカの冷戦体制の都合で、
釈放
された、いわくつきの人間です(昭和天皇と同じような感じですよね)。普通に考えて、
A級戦犯
で死刑にされているべき人間だということです(別に、A級戦犯自体を否定される方に同意を求めませんけど)。ところが彼は、刑務所から出てくる。さかんに言われるのが、アメリカと取引したのだろう、と。つまり、CIAと、ということですから、彼は、
アメリカのスパイ
だった、わけですね(ソ連のスパイなんて比べものにならないくらい、アメリカのスパイ(アメリカから金をもらっている人)は日本の中枢にいたのだろう...)。
刑務所から出て、4年で公職追放解除(いくらなんでも早すぎでしょう)、そこから、5年で、総理大臣まで、登りつめる。
すごいですよね。戦争が終わって、たったの
15年
で、
A級戦犯」総理大臣
誕生です。そして、この、
戦中の亡霊(ぼうれい)
が、最初にやったことが、日米安保の改正であった。しかし、改正というが、それはつまり、
始めて
オキュパイド日本じゃない、主権国家日本が、自ら、安保の意味、アメリカとの同盟を求める、という意味なんですね。今度は、自分たちが、

  • アメリカさん、私たちが困ったら助けて下さい
  • そのかわり、アメリカさんが、どこかのアクセス・オブ・イーヴィルを侵略するときは、「日本が」他国侵略させてもらいます

つまり、それまでは、アメリカに占領されていたのだから、有無もなく、やらされていた受動的な立場だった。ところが、この改正って、今度は、
自分たちから、アメリカに「お願いする」
自分たちで主体的に戦争にコミットすることを「国民的に合意する」というまったく意味の違う行為なわけですね。
このことは、なかなかおもしろいですね。一方においては、日本がまた、侵略戦争をしかける国になるための口実を国民に合意させてる。他方で、日本をアメリカの戦争の道具として「売っている」、アメリカさん、日本の国民を好きに使ってください、と岸に国民が売られた、とも読めますよね。
まず、岸は国会をこの法律を通過させるために、坐りこみしていた、社会党議員を、警察と右翼ヤクザを国会内に入れて、排除させて、自民党だけで、強行採決をする。
まあ、完全に
戦前の手法
ですよね。戦前の日本の政治こそ、さまざまな場面で、右翼の若者を政治家や軍人が使うわけですよね。まったく、同じようなことを、この、岸って亡霊がやってるわけで、この人の頭の中は、まったく、戦争中と変わってなかったということなのでしょう。
この初期の60年安保の特徴は、かなり、一般の人たちのデモ参加が目立ったことなんですね。普通に仕事をしていた人たち「こそ」が、デモに参加した。
人々が生生しく考えていたことは、また、赤紙で、働きざかりのイエの大黒柱を、国に奪われることだったわけでしょう。
いずれにしろ、一ヶ月後の、条約改正の自然成立を狙うわけですけど、ですから、上記のような意志合意も、「民主的」にやるんなら、まだ、分からなくはないんですよね。それが、まったく関係ないアジェンダで選挙に勝利した国会多数の与党の数の暴力(野党の力による「排除」)で、
アメリカとの約束を守る
というのですから、この戦中の亡霊が、終戦後、15年して、また、戦争中の国家体制に、日本を戻そうとしている、と大衆に受け取られたとしても、不思議じゃないですよね。
まあ。フツーの市民だって、仕事止めてでも、なんかしたいと思うでしょー。
さすがに。
びっくりするのが、映像で紹介されていたが、アメリカの特使が、羽田空港に着いて、車で移動しようとしたら、反対運動の人たちがその車を囲んで、動けなくするんですね。フツーに。しょうがないから、アメリカ軍のヘリが、空から脱出させてた。
この辺りから、ものすごい、
治安
になっていたのが分かりますよね。デモが国会構内に突入して、国会構内でスクラムくんでシュプレッヒコールをあげる。警官との、押し問答なんだけど、なにせ、民衆運動側の数が多すぎる。
最初は、手加減して、重要幹部の逮捕を主眼にしてやってたけど、運動が収まらない。ついに、岸信介は、警官に、警棒の使用を認めるわけですね。
でも、これって、今の私たちから見ると恐ろしいですね。警官が、市民に向かって、飛びかかって行って、警棒(バールと同型ですよね)を、市民の頭蓋骨めがけて、振り下ろしている映像が、何度も何度も、ニュースで流れる。
頭ですよ。まあ、普通に警棒の威力を知っている人なら、ちょっと当たるだけで、
市民が死ぬ
ことぐらい分かりますよね。それを、なんの迷いもなく、警官が日頃の訓練の、鍛え上げられた肉体の、あの素早さで、市民の頭めがけて、思いっきり、振り下ろしているわけですから。
この映像を何度も見させられると、やっぱり、認識が変わりますよね。ああ、これって、
内戦
だったんだな、って。実際、市民側で運動していた人たちも、自分はこの運動で死んでもいい、ってやってたというコメントがありましたけど、まだ、あの戦争から、15年ですからね。また、あの時代に戻されそうだ、と思ったら、それくらいの覚悟をしても不思議じゃないんでしょうかね。
いずれにろ、こんな、警棒を市民の頭めがけて、振り下ろし続けたんですから、死者も出るわけで、有名な、東大の学生の、樺(かんば)美智子さんが、死亡するわけですね。
じゃあ、岸信介は何を考えていたのか? 彼は恐しくも、まったく、火油な発言、をし続けていたわけで、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には、声なき声、が聞こえる」(サイレント・マジョリティ発言)なんてことを言う。この
元祖KY
は、なんでこんなことを言ってられたのか。彼は、最後は本気で、自衛隊を使って、国会構内から市民を排除しようとしてたわけですね。自衛隊を使って、日本中のデモを鎮圧して、我が主(あるじ)
アイゼンハワー米国大統領
を日本にお招きいたそう、と。
バカか。
そんなことをしたら、ホントの内戦じゃねーか。国軍が日本国民に向けて銃を発泡して、樺(かんば)美智子さん以外に、あと何人、「アメリカ人」岸信介に、
日本人
が殺されていたら、彼はご満足してくれたんでしょうかね。番組でもありましたけど、自衛隊側「が」、命令を拒否したんだそうで、まあ、その時点で、岸信介の総理大臣の辞任は決定したのでしょう。
(なんか、ソ連の崩壊、民主化、のときを思い出しましたね。あれも、軍隊の戦車の軍人たちが、デモの市民に向けて、発泡しろという命令を拒否したところから始まったんでしたね。)
でも、こうやって眺めてくると、岸信介の総理大臣の辞任で、急速に、運動が縮小するのは当然ですよね。だって、市民にとっての意志がそれだったわけですから(この、大衆運動がどういうものだったのかは、ここにこそ、よく反映している)。いずれにしろ、ここで今後の、一つの民意、今後の
日本の「正統性」
が、確立したということなのでしょう(現在の普天間まで、安保が、政治のタブー、として続いてきた事態も含めて)。