リアリズムの彼方

アニメ「ストパン」の愛すべきキャラを一人あげるなら、エーリカ・ハルトマン、しかいないだろう。
この、一見、目立たない存在は、このアニメに関心をもち見ている、オタク、たちにとっては、その存在は、明白である。
例えば、私たちは、テレビや、サブカルチャーの中に、何を求めているのだろうか? 一体、なにを求めてこういったものを
消費
するのだろうか? 私の問いは変だろうか? 例えば、そういったメディアに、ある種の、勉強の代替機能を期待する、という考えがあるだろう。近代世界史や、現代政治学の授業の延長のようにして、「学問する」という立場である。また、もっと実践的に、ビジネスのツールの獲得を求めて、というのもあるだろう。各業界の情勢を、ニュースから得よう、と。
しかし、多くの場合は、そういった観点を第一要因としないだろう。多くの場合、たんに見たいから見る、つまり、そうすることが楽しいからである。もちろん、そう思うことの原因はあるのだろう。翌日の友達と話すネタになる場合もあるだろうし(いずれにしろ、それは、その人の中にある快楽であり、我々の興味をもってもしょうがないところではある)。
だとするなら、それは、どういうことになるのだろう?
恐らく、私たちは、二つの「快楽」をそこに見ている。
一つは「理想」である。自分があこがれる何か、理想的な、自分が学んで、まねしたい何か、を「そこ」に探し出し、確認していく。
もう一つ、そして恐らく、最も大きいものは、「現実」である。私たちの日々は、つらく、八方塞がりである。日々、ギリギリなのだ。なんで、こんなギリギリでやってるのかと思うほど、なんの目的かも分からないような、ギリギリ。
そんなとき、理想は、たしかに「努力する価値」はありそうに見えても、他方において、「案外そーでもない」、
かもね。
エーリカ、は、なんというか。
だらしない。
部屋は、こんな汚ない部屋で寝てる、
ヒロイン
アニメじゃ見たことねーよ、ってくらいの
片付けられない女
だし、なにせ、

  • 朝ちゃんと起きれない。

しゃべりも、どー見ても、軍人としては、だめだめ、に、やる気のなさが、漂いまくりの、しゃべりが、いやはや、なんとも...。
こいつ。
だめだな。
終わってるな。
社会人失格。
人間失格
(自己嫌悪)
困ったなー。
まー。
どーでしょうか。たかが、「アニメの中」、じゃないですか。ここは、大目に見てやってもらえませんかねー。
やるときゃやってるみたいだし、思いたったときは、人一倍、能力発揮してるみたいだし。なんにせよ、楽しそーにしてるし。...
まー、どーせ、しょせん、「アニメの中」、ですんで、そのー、許してくれませんかね、どーも、すみませんねー(EMT)。