山口義行「”中小企業の国際化”が日本経済を救う」

アメリカの「失われた10年」が始まったようだ。住宅販売が、まったく回復しない。まったく、昔の日本を思わせる事態になっている。ここ何年かの、日本の景気は、アメリカへの輸出でしのいでいた。アメリカの住宅バブルが、庶民のクレジットカード散財を促し、そのおこぼれが日本の「小泉新自由主義」における、一部外資系企業の好景気であった。ところが、このアメリカの不況。これは、あと何年続くのかは分からないが、ということは、日本の不況なのであろう。円高、株安。どうなるのだろうか。アメリカ中心だった、日本の経済構造は変わっていくのだろうか。むしろ、アメリカと一緒に没落していきそうな雰囲気なのが、なんとも分かりやすい印象ではあるが。
この前のNHKスペシャルでは、中東の国々が、クリーンエネルギー分野の覇権を握ろうと、動き出している、というものであった。考えてみれば、中東は、赤道に近く、直射日光も強いし、日中も長い。年中、太陽が、降り注ぐということは、それだけ、エネルギーが強いということなのだろう。
ロッコから、ヨーロッパに線を引いて、エネルギーを運べば、ポスト石油時代のエネルギー供給国として、今の存在感を維持していくのではないか、というものだった。
石油産出国って、言ってみれば、掘って売れば、それだけで、もうかるんだから、楽なもんだよな。そのお金で、国民に福祉をすればいい。足りなくなったら、さらに掘ればいいんだから、単純だ。
ところがそんな、錬金術国家が、技術立国しよっていうわけだ。ますます、日本
まにあってます病
だ。みんな、日本の技術力を盗んで盗んで、「あんたもういらない」。
困ったな。
ほんと、これから、どうやって生きていけばいいのだろうか。よく考えると、日本って、なんにもないじゃないか。中国なんて、日本の10倍の人で、競争して、物価の安いこの国で、いい製品を安く作ろうというわけだから(ということは、日本の10倍、優秀な人がいるのだろう)、どうやったって勝てる気がしねーだろー。経済学者が説教するように、いい加減、足洗った方がいいんだろうか。まったく、歯が立たないのだろうか...。
それにしても、この「世界」という、岩波書店の雑誌を読んでいる人というのは、どれくらいいるのだろうか。
今月の、特集「グローバル資本主義・国家・規制」は、それなりに、おもしろかった。ようするに、資本主義がどんどんグローバル化している。資本の移動が、国家間をどんどんまたいで移動するために、一国単位のコントロールが、どんどん不可能になってきている。ある一国で規制すると、資本は、そういう、
規制の厳しい国家
を嫌がる。なので、その国を出ていって、別の国に行く、と言われている。だから、各国の企業「接待」攻勢が激しくなる、ということらしい。
しかし、ある学者は、むしろ、その仮説「底辺への競争」(the race to the bottom)は、学会においては、否定的であると言う。

瀧川 レース・トゥ・ザ・ボトムの議論については、これは経験的に正しいのかということについて、確認しておいたほうがいいと思うんです。例えば、実証的な研究によると、グローバル化と社会的保証支出は正の相関関係があって、グローバリゼーションが進むと社会保障支出は増加しているということがあるわけです。これはなぜかと考えてみると、さきほどのインセンティブの話に関わってくるのですけれども、おそらく福祉水準が低い国に企業が行くインセンテイブというのは必ずしも高くない。むしろ、一定の福祉が保障されていて、そこに来ている人たちが一定程度教育も受けて、一定の福祉水準が保障された生活を営むことができる。そして一定の社会資本が蓄積されている。こういった国に企業が工場などを置くことに、いくら人件費が高いとはいえ、メリットを見出している面があるのではないでしょうか。

瀧川 まず現状として、人件費のことだけ考えるならば生産拠点を全部移すほうが経済的に合理的であるにもかかわらず、これだけ日本国内に残っているということは、日本国内に留まることになにがしかメリットがあることを示しているのでしょう。また、企業行動について、狭い意味での経済的利益だけで規律されていないのではないかと思います。利益追求だけではなくて、対外的イメージ・社会的評判のような利益に還元できない基準で考えている面があるのではないでしょうか。

瀧川 付け加えると、労働基準や環境基準だけではなくて、統治のあり方も企業行動に大きく影響を与えていると思います。ルールが透明で、何か問題が起きた時に公正に判断してくれる裁判所があるかどうかとか、古い言葉で言うと「法の支配」がどの程度確立れているか。確かに中国のほうが人件費は安いけれども、何かちょっとしたことでトラブルが起こるかもしれない。その時に、公正に裁いてくれるのかわからない。日本はその点まだ若干優位だというところがあるのではないか。そうすると、国家のあり方というものが企業に一定のインセンティブを与え得るのではないでしょう。

瀧川裕英(他)「討論 国家と規制」

論者によっては、これから、日本の産業は、生き残れない、という。だって、オフショアなら、10分の1の給料なのだ。これで、どうして、日本企業に仕事を頼もうなどと思うだろう。特に、近年の、日本の不況による、新卒採用人数の減少は、一方で、大学教授の、採用されない学生の「人格攻撃」「罵詈雑言」の言説を再生産しながら(お前がネクラだからサイヨーされねーんだよ)、他方において、大学教授、学生、両方に共通した、
自信喪失、元気のなさ、
が目立つようになってきた。しまいには、日本の未来に対する、悲観論となる。
どうせ、この国は滅ぶ。
いずれ、日本人は世界からいなくなる。
いずれ、中国に日本は吸収される。
困ったな。誰が? 金持ちが。今の「生活水準」を維持できねーじゃねーか。じゃあ、どうしよう。ビンボーニンのなけなしのカネをむしりとるしかねーな。民は、
生かさず殺さず。
なんだよ。なんのコネもないビンボーニンは、ジリ貧じゃねーか。一体、
明日から、わたしは、どーやってい生きていけばいーのでしょーか。
うーん。とにかく二つしかないんだ。
内需でやるか、外需でやるか。
内需は、国内で、モノを生み出し、モノを交換し、もちろんそれは、国民の間で、バケツリレーをしていているだけじゃないか、という話もあるけど、いーのである。おカネが回っている限り、
あまねく行き渡っている
ということなのだから。
しかし、他方において、外需も捨てがたい。それは、別に、外資系や大企業だけではないのである。
ちょーマイクロファイナンス
中小企業も、
世界中で売りまくり、
やっちゃえばいーのだ。

「ODAの調査でドイツに行った時に、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)というシステムを知りました。それは、一言で言えば、官民連携ということなんですが、ドイツの場合ODAを中小企業のビジネス振興に活用しているんです。日本政府はODAの調査に経団連の大企業を連れていくんですが、ドイツの場合中小企業を連れて行って、各国政府に中小企業の宣伝をする。ドイツでは中小企業による850件のビジネスをODAがらみで成立させたそうです」
「たとえば、従業員22人のあるソフト会社がドイツにある。文字通り中小企業ですよね。そこは、国内で何をやっているかっていうと、刑務所に入っている麻薬中毒の患者さんの依存症を治療していくプログラムを作っている。そのソフトをドイツ政府がインドに持っていって、『このソフトを使った事業をやりませんか、ODAの予算で支援しますよ』ともちかけるわけです」(『スモールサン・ニュース』2009年9月号より)

経済は、結局は、さまざまな人のつながり、恩を受けたり、恩返しをしたり、そういうものが大きかったりするのではないだろうか。単純に、能力だけとか、学力だけとか、お金の大きさだけで、世間は動いていない。コネも含めた、生涯に渡っての、バーター取引。そういう、慣習的なものを、遅れた非近代的な村社会的な因習として、カルテル的な不正競争として、否定するのは勝手だが、逆にもっと、それを広げる(グローバル化させる)という方向だって、なくはないのかもしれない。それをバケツリレーと言おうがなんと言おうが、カネが回っている限り、それは、あまねく行き渡っているということなのだから、どうして否定できよう。
きっと、日本人はもっと、世界中で、商売をやる可能性を、一人一人が考えるべきということなのだろう。大学の新卒が国内に就職先がない。
それがどーした。
日本の企業が「あんたいらない」と言うなら、あんた自身を海外に売り込めばいい。あんたのよさを分かる人間は、もう、日本人ではない、ということなのだろう。
今回の、不況でよく分かったではないか。日本の年寄は、すべからく、日本の若者が嫌いなのだ(あんなチャラチャラした連中)。同じ日本人として、日本の若者を心配し、共感する感性すら、今の日本の年寄たちには残ってないのだろう。

世界 2010年 10月号 [雑誌]

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