都の青少年条例

(今回のネタは今週の、videonews.com のかなり、受け売り。)
都の漫画規制案が民主党が賛成するとかで成立しそうな勢いとなっている。
今回の条例の問題とは、なんなのだろうか。
まず、今回の問題は、若者が、かなり直接の当事者になっていることもあって、「議論が」ヒートアップしすぎている感じがいなめない。まず、冷静になることが、なによりも重要だろう。
結局、いろいろな人たちが語っているが、論点がダメな感じがしてならない。まず、文芸批評のように、印象批判から入ってしまっている。自分にも子供がいるからどうのこうの、みたいな。
そうではなくて、そもそもこの条例は、これまでの国家運営の流れから、どういった位置に置かれて考えられなければならないのか、の基本を踏まえなければならない。だから、簡単に、
「当局」側が戦いたい舞台
に、ひっぱり出されて、言質を取られて、逃げ場がなくなっている印象がある。
そういう場合に、どうすればいいのか。
なんにせよ、専門家って大事で、こういうことには、大抵、専門家っているのだ。ずっとこのことをやってきた方っているもので、そういう人に、どういうふうに見えているのかを聞くのが、一番最初の、
ジャーナリズムの初歩の初歩
なのだろう。

保坂展人 都議会議員の皆さんの話を聞いていても、当局、当局、と。つまり、当局というのは、この場合、青少年治安対策本部というですね、ものものしい名前の、警察庁キャリアの方が本部長を務める、まあそこなんですが、ある種、そこが条例改正案をだせば、これまでの都議会で継続になることもなかったわけですよ。いろいろ議論はあっても必ず成立していた、と。それが今回継続にまでなり、廃案にまでなって、メンツまるつぶれであると。やはりそこはどうあれ、年内で通させてもらうと。ということで、民主党はどこが気に入らないんだとさんざん聞いたはずなんですよね。

保坂展人 6月に廃案になりましたよね、非常にショックだったと。それで、地域のPTAの会合がありますよね、地域協議会とか、というところに治安対策本部の方がですね、突然のりこんでいって、該当する漫画ですね、こんなひどいんですよと見せながら、これがたとえば子供の目につくところに、がんがんあるんですよ、と言って見せたと、でそれを民主党が邪魔してるんですよ、反対してるんですよ、というようなことを72回やったそうです。その結果地元のPTAの方とか支持者から、なんで反対したんですか、なんで都条例反対なんですか、ゆう雰囲気がでてきたと。

保坂展人 東京都の治安対策本部自身が、志布志事件という公職選挙法違反で、非常に小さな集落の人たちをひっぱってきてですね、すごい調べをして、どいうことをやらせた、それが露見したのが、2006年ですね、そのときに自白の強要がなかったと県議会で答弁していた大島県警本部長がやってんですよ、東京都治安対策本部で。

保坂展人 今から5年前に国会でいわゆる共謀罪、国際組織犯罪に対する条約を批准するからには、日本に共謀罪を入れなきゃいけないんだという議論がさかんにあったんですね。これもよく似ているのは、立法事実はないってことなんですよね。つまり、法律を作らなければいけない、状況は日本には一切ないがこの条約に入るために必要だということで議論になったんですけど、実は共謀罪を推進してた人と、昨年の国会で提出された、児童買春児童ポルノ禁止法案の単純所持規制ですね、これを推進していた人たちは人脈的に同じ人たちがやっていらっしゃるんですよ。また、単純所持規制が成立した後の運用の実態をどうするというシンポジウムでは、たしか、FBI駐日代表部ですかね、というところの方が発言されていたり、そこでの議論の中では、やっぱり児童ポルノの取締りには共謀罪が必要だね、という話がでたということを私は国会の参考人質疑で聞きました。ですから、この共謀罪という大きな網をかける法律と今回の青少年条例ですけど、刑罰法規に触れるって、あっさり書いてますけど、来年できる刑罰法規にも再来年できるものにも「触れる」というだけで、まあ自動化装置っていうんですかね。こういう法律って、憲法違反だというふうに思いますし、法律の程をなしていないと。

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一番の問題は、まずもって、この条例の条文が、著しく「あいまい」ということなんだと思います。問題は、この条例の「意図」ではなく、「意図がなんであれ」なんとでも解釈が可能な条文としておくことが、警察側が、いざとなったら、いくらでも拡大解釈で、国民をしょっぴけるようになっているということですね。
しかし、よく考えると、そんな法律ばかりが次から次へと、成立していく。
児童ポルノ所持の禁止から、放送法の改正から、こういった
思想犯
といった、人が何を考えているのかを取り締る、「心」処罰法のオンパレードとなっていく...。
国民はしょせんポピュリストだから、「こんなひどい漫画がお子さんの目に触れるんですよ」と、地域のPTAで、何時間もお説教をされたら、まいってしまう。こんな鬼畜の漫画を「守る」なんて、なんて鬼畜な人間なんだ、というコンセンサスが、PTAを中心に世論形成されていき、
この条例に反対って、こんな鬼畜の漫画を、擁護しようって、どういう神経してるの? こんな連中の存在自体が「テロリストや性犯罪者並みに」危険人物すぎる。まず、そういう連中「そのものを」、取り締った方がいいんじゃないか?
これが、ポピュリストである。
しょせん、この程度。
しかし、その先は、共謀罪であり、戦前の治安維持法ですよね。実際、保坂さんの話だと、「治安対策本部」が、漫画の「表現の自由」(言論の自由)を、あれはダメ、とかやってんでしょ。もう、治安維持法そのものですよね。
近年、検察の冤罪の問題が大きくとりあげられるようになってきましたけど、志布志事件って、本当に想像するだけで恐しい、鹿児島県警の暴走じゃないですか。しかし、そういった「実行犯」は、別に、別の部署に左遷されるくらいで、同じ警察という組織にいるんでしょ。どうして同じことを繰り返さないと「市民が思えるのか」、ということなわけでしょう。
そもそも、こういった企業の商品を誰の目には触れないようにするかとか、買えないようにするか、ゾーニングが必要とか、こういったようなことは、今までだって、映画の18禁のように、業界の自主規制でやってきたわけでしょう。だったら、その方向で努力するのが筋だろう。時間をかけて、ルールを作っていけばいい(こうならいい、じゃなくて、どうであれ、法で作ってはならない、となぜ言えないのだろう)。
そもそも、国家ってそういった、市民側の存在じゃないわけでしょう。あらゆることで、国家を監視して、国家の抑圧に抵抗していかなければならないのが、市民の側のジャーナリズム精神のはずなわけですよね。
国家に睨まれることに「よって」、若死にしようが、です。だいたい、そんなに裕福や長生きは重要でしょうか。
自分には家族がいるからとか言うけど、むしろ、戦前から、そうやって権力側が家族とかを利用してきたわけでしょう。家族こそ「罠」なのであって、まず、そういった関係から自由であろうとすることを決意しないことには、ものを考えようとする人にとって、なにも始まらないでしょう。
子供だって親がなにをやろうが、勝手に生きていくにきまってる。勝手に道をさがしてサバイバルするにきまってる。親の生き方が子供にどうこうなってしまうとか考えてること自体が、傲慢だし、保守的だ。
人なんて、なんとだって生きていけるはずだし、どんな仕打ちをされようと、それによって自分の夢や商売の事業計画が狂おうと、一番大事なのは、そういう、憲法でもうたっている、
思想信条の自由
を絶対に国家に譲り渡さないという意志でしょう(戦中だって、間違いなく、多くの人たちが言いたいことを言えなかったはずで、そんな状況で、自分は表現者とかいっても、お前の作品の価値はどれほどのものかと考えるなら、当時の人たちも忸怩たる思いがあったはずだ)。これを手放してまで、長生きして、未来の子供たちに何を残すというのか。