エルンスト・ユンガー「総動員」

ユンガーを知ったのは、カール・シュミットについて読んでいるときであったのだが、シュミットにとっての、初期のもの(「政治的なものの概念」など)を除いて、中期以降の作品というのは、完全に、その以降、ユンガーの影響下にあるのではないのか。正確にはお互いが影響を与え合ったということだろうか。
どうしても納得がいかないのが、ユンガーの主要な著作がまったく翻訳されていないことだ。一体、なにをしているんでしょうね。意味が分かんないんですけど。どうも、初期のナショナリズム的な作品が、日本の戦後の平和主義的な雰囲気に合わない、ということのようです。日本の戦中の多くの著作がGHQの検閲と共に、今でもほとんど人口に膾炙していないのと、同じのように。
そういった状況の中で、この三つのエッセイ

を収録した、「追悼」三部作は、初期ユンガー理解にとって、まずもって、参照されるべき、重要さがあるという印象を受けた。特に、始めてその全体像が示された「総動員」は、こうやって読むと、この20世紀という「戦争の世紀」の
全体
をイメージする上で、多くのことを考えさせられる。
そもそも、戦争とはなん「だった」のであろうか。

この経過を分かり易いものにするために、ここで総動員という概念を導入しよう。というのも、例えばヴォルテールの『カンディード』で描かれているように、信頼できる指導部の下に徴募された十万人の臣民を戦場へ送ることで十分であった時代、そして陛下が戦闘に破れたときには、平穏が第一の市民的義務として要求されえた時代は、とうに過ぎ去ってしまったからである。
(エルンスト・ユンガー「総動員」)

一言で言えば、戦争とは「騎士階級」のものであった。一般国民には関係のない、または、台風や地震で人々が右往左往することになる、天災と区別がつかないような、そういった出来事でしかなかった。
しかし、それが決定的に変わるのが、第一次大戦での、塹壕戦であろう。この塹壕戦はよく考えると変である。なぜなら、こんな何年も続くと分かっていたなら、どちらだって、始めなかったのではないか。そう考えると、なぜ始まったのか。

なおマルヌの奇跡とは、第一次大戦の開戦当初ベルギーとルクセンブルクを越えてフランス北東部に侵入した大規模なドイツ軍を、フランス軍とイギリス軍がマルヌ川の北まで押し戻すことに成功したことを指す。これ以後西部戦線では、塹壕戦と呼ばれる一進一退の長期にわたる消耗戦が始まった。西部戦線に大群を一気に投じることで速やかにパリを占領することを目指したドイツ軍の作戦計画は、これによって挫折した。
(「総動員」訳者注)

では、なぜここまで続いたのだろう。それはもちろん、お互いが、こういった「事態」を打開する解決策を持つことなしに、始めたからに決まっている。しかし、もっと考えを進めよう。こんなに続いたということが何を意味しているのか、を考えるのだ。それこそ、
「総動員」である。

すなわち、国を代表して武装することは、もはや職業軍人だけの義務と特権でなく、兵役に耐えうる者全ての任務となるのである。また、固定された軍事予算から戦費を賄うだけでは経費の法外な増大に対応できないとなれば、戦争機構を作動させ続けるために、ありとあらゆる公債を発行し、なけなしの蓄えまでをも掻き集めることが不可避となる。さらにまた、武装行為としての戦争のイメージも、ますます、巨大な労働過程といういっそう広がりを持つイメージへと流れ込む。戦争で遭遇する軍隊と並んで、運輸、食糧、軍需産業という新種の軍隊が成立する。総じてこれらを労働の軍隊と言えよう。すでにこの戦争の終わり頃に暗示されたような最新局面では、少なくとも間接的にさえ戦争遂行と関わりをもたない運動は----たとえ自分のミシンで作業する女性家内労働者のそれであれ----、もはや存在しないのである。戦争を遂行する産業国家を火山のような鍛冶場へと変貌させる、潜在的エネルギーのこのような絶対的掌握という点に、第四身分の時代の始まりがひょっとすると最も分かりやすく示唆されているのかもしれない。この点が世界大戦を、フランス革命の意義に少なくとも匹敵するだけの歴史的現象たらしめている。
(エルンスト・ユンガー「総動員」)

(著者は、フランス革命において、叫ばれた、第三身分論の、さらに新しい階級の登場「第四身分」について示唆しているわけだが、つまりは、
すべての国民が「第四身分」となる時代
だと言ってるんですね。)
この認識は決定的に重要である。塹壕戦が果てしなく続く、という、

がイメージさせるもの、塹壕戦がこれだけ続くということの意味は、

  • 戦争 = 日常

ということとなる。

  • 日々の日常を生きること = 戦争で戦うこと

日常のなにげない、毎日の仕草、振る舞い、それらの一つ一つは、「戦争行為」としての意味を含意する。私が今日、歯磨きをして、お昼に何かを食べて、という一つ一つが、「敵にどれだけのダメージを与えるか」が見積られる。この世に、戦争でないものなど一つもなくなったのだ。
なぜ、第一次大戦において、ドイツは負けたのか。それは、彼らがまだ「総力戦」とは何かを理解していなかったから、と、ユンガーは総括する。

我々は、数多くの例の中でもとりわけバルビュス[フランスの作家]の例で知っている。紛れもない反戦家を自称するこの人物は、自らの理念に叶う唯一の可能性を、実際ほかならぬ次の点に見出したのである。すなわち、この戦争が彼の意識においては進歩、文明、人間性の、いやそれどころか平和自体の、これら全てに逆らう勢力に対する戦いと映じるがゆえに、さしあたりこの戦争を肯定すること、これである。「戦争はドイツの腹の中で滅ぼされねばならない」。我々はここに、自由主義の最も巧みなテーゼの一つと出会う。それは、この戦争を、被抑圧状態からのドイツ民族自体の解放に貢献する、私心のない十字軍として描き出すことによって、この戦争に後光を与えようとするものにほかならない。
(エルンスト・ユンガー「総動員」)

1849年に制定されたプロイセン下院の選挙法を指す。これは、下院議員の選挙人を選ぶ原級選挙人を直接税の納付額の多寡に従って三等級に区分する、不平等・間接選挙方式を定めるものであった。第一次大戦中、兵役の平等と選挙権の不平等の著しい対照性から、この選挙法の改正問題がドイツ政治の重大な争点となった。進歩と総動員の密接な関連を重視するユンガーにとって、この不平等選挙法は、ドイツが総動員能力を欠いていたことを示す象徴的事例であった。
(「総動員」訳者注)

確かに、ユンガーの言っていることは、真実のある側面を言いあてているように思える。しかし、他方において、思うのである。
こんなもんで済むのだろうか。

とりわけ驚愕すべきことは、迫害の冷酷なメカニズムであり、考え抜かれた処刑の技術であり、巨大機構と化した非情な警察が実行する、リストとファイルとによる犠牲者の調査と監視であった。あらゆる秩序、人間精神が発明したあらゆる事物がことごとく抑圧の道具と化したように思われた。
かくして無数の家族に幾年幾十年にも及ぶ恐怖の到来が告知された。家々はなすすべもなく階級憎悪と血の憎悪、公然たる恣意、さらには剥き出しの獣性にさえ委ねられた。
(エルンスト・ユンガー「平和」)

いまだかつてないほど重苦しくぞっとする思いを抱かえるものは、圧政者が家族をバラバラにし、財産と自由を奪った後、これら罪無き人々に与える死の有様である。地下室やその他の怪しい場所で殺戮が行なわれ、犠牲者の埋葬が人目を避けてこっそりと行なわれる事実から見て、ここで生じていることは、正当な判決の執行ではなく、全くの非行、邪悪な殺人であることがあまりにも明瞭である。
権利を剥奪された人々が謀殺された刑場の和は膨大である。不運な人々が着せられた罪は、単に彼らが存在するという罪、出生の烙印であった。彼らは、彼らの民族、父祖、人種の子孫として、人質として、代々受け継がれた信仰の告白者として、自らの信念の保持者として殺されたのであり、一夜にして、捏造された法律が彼らに恥辱の烙印を押したのである。
(エルンスト・ユンガー「平和」)

塹壕という陣地戦は、撤退を続けることで、
市街地
に侵犯する。街で、日常生活をすることは、塹壕で陣地戦を生きることと、区別がなくなる。このことが意味することは、敵と味方の区別の無意味化、である。むしろ、味方を
殺す
ことこそ、この陣地戦で、さかんに行われるようになる。
国家警察は、国民を監視し、犯罪者予備軍リストを作る。しかし、犯罪者予備軍とは、いずれ、犯罪を犯す人、という意味であるから、この陣地戦において、
まっさきに殺すべき存在
となる。しかし、どうだろう。犯罪者だけで、済むだろうか。もちろん、ナチス警察が行っていた、ユダヤ人の虐殺は、戦後、その全貌が白日の元にさらされるようになる。
もう、ここまでくると、警察は、なんだって、だれだって、好き勝手やってたんじゃないのか。なんか適当な理由をつけて、家から、ひっぱって行く。どこかに連れて行く。そして、殺して、森に埋めるわけだ。なんとかの容疑で逮捕する、と言って、連れ去られたら最後、帰ってこないのだ。
しかし、これを「塹壕線」の延長で考えるわけである。敵をだまし、あなたに危害を加えないようなふりをして、ちょっと、うちのビルに来て、一筆書いてもらうだけです、みたいな顔をして、連れ出し、そいつを、そいつの家の外に引っぱり出したら、もう勝ったも同然。あとは、そいつを、だれも見ていない陰に、連れ込んで、
処分
してしまえば、あとは知らぬ存ぜぬ。
敵兵一匹殺しました。
どうせ、塹壕戦もまっただ中、人殺しが「英雄扱い」される、気狂い集団で、味方だって、利敵行為をやってたと言っとけば、味方殺しさえ「英雄扱い」なんだから、なんにせよ、
誰でも
殺したい奴を殺せす「鬼畜」が跳梁跋扈する、
「地獄」
だってことだ。
(よく考えれば分かるように、警察とは、「歴史的に」怖い存在である。多くの国民が警察のエジキとなってきた。捜査権が、警察にしかない。法にもとづいた強制力をもつ。自分の身を守る武器も、警察しか持っていない。)
ただし、塹壕戦については、第二次世界大戦における、ナチスドイツの電撃戦がその一つであるが、それなりに、弱点の研究がされてきて、こういった、膠着状態を想定することには、それなりに近年は戦略として自明視はされなくなってきている、ということのようです(ウィキなんか見てると、そんな書きぶりだった)。この辺りが、第二次大戦以降、比較的、陰惨な市街戦が減っている原因なのだろうか(その代りが、自爆テロのようなものでしょうか)。
しかし、その理念としては、どうなのだろうか。
この認識が重要なのは、そもそも「戦後」などというものは、存在しないのだ。もうそんなものは存在しない時代を、私たちは生きなければならない、ということを、ユンガーの示唆によって、
知って
しまったのだ。8月15日の敗戦の日から、私たちは、一日たりとも、戦うことを止めていない。ずっと、「戦争」をしていたのだ。陣地戦、塹壕戦、としての、
国家総動員戦争
を。もう、日常を生きるということと、戦争には区別がなくなっているのだから...。よく考えれば、その意味は分かりやすい。なんで、私たちは、まがりなりにも、先進国などと呼ばれてきたか。それなりに、日本だって、国内総生産の大きい国だし、それはつまり、経済で稼いできたことを意味している。しかし、そういった「戦利品」を実際の戦争によって入手することと、経済活動によって、同じだけの財産を稼げることと、結果において、どうして区別できようか。ということは、結果において、
「戦争をしない代わりに、なにかを行っている」という戦争
をしていると、どうして言っていけないことがあろうか。(上記の議論からも分かるように)もう、戦争の定義が変わっているのだから...。

追悼の政治―忘れえぬ人々/総動員/平和

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