山崎恵人『GIGAZINE 未来への暴言』

管総理大臣は、「一に仕事、二に仕事、三に仕事」と言ったそうだが、経済学者に、この発言は、恐しく不評だ。
一国のリーダーが考えるべきは、国富論であって、慈善事業じゃないだろう、ということらしい。国がお金儲けをできなかったら、国民に福祉をやるためのお金の捻出さえできないのだから、
一番効率的に国民にお金を稼いでもらって、より多くの税金を払ってもらう。これしかないだろー。
ということは、どういうことか。お金持ちがいっぱい稼いいただいて、お金持ちがいっぱい税金を払ってくださるというのが、最も効率的なんじゃないか、ということになるらしい。
お金持ちたちというのは、学歴も高く、もともといいとこの、おぼっちゃんで、エリートで、産後の肥立ちが良くて、親の七光で、つまりは、英雄なのだ。彼らの肩に、日本の未来がかかっている。
がんばれ、おぼっちゃん!!!
しかしね。
そうなると、ほとんどの人たちはなにをしたらいいのでしょうね。
はっきりしていることは、不況は、仕事の「数」そのものを減らす、ということだ。
日本中、ほとんどが、アルバイトになるのだろうか。
しかし、よく考えると、アルバイトというのは、びっくりする。中学生や高校生さえ、やってたりするわけだが、びっくりするぐらい、安い。こんなに、低賃金労働というのも、すごい話だと思うが、高校生に頼むくらいの仕事だから、急に休まれても、なんとかできると考えるくらいの、責任が重くもの、という見なしなのだろう。だから、これくらい安くても許されるだろう、と。
自給千円で、もし、月150時間だったら、15万円。まあ、アルバイトでこの時間はないのかな。保険とか交通費とかなくてこの金額ですからね。それでも、海外の発展途上国に比べれば、ケタが違うという話なのか。
しかし、なんなのだろう。デフレというやつで、モノの値段が下がるなら、労働者の給料は、さらに下がるだろう。しかし、労働者の給料の下げ幅に限界があるなら、その不足分をどこで取り戻すかと考えるなら、労働者を雇わない、という選択肢しかないだろう。
しかし、それでは、労働力不足になる。
そこで、「アルバイト」「パート」。
なんなんだろう。この、奴隷労働的な発想。
つまり、正社員と「アルバイト」「パート」では、結果的に行う仕事の内容が、どんなに変わらなかろうと、圧倒的な給料の額の差になる。
ここから、私が、奴隷制と言いたくなる理由が分かるだろう。
マネタリストは、これを、地続きにすべきだ、となる。マネタリストの戦略において、ようするに、奴隷と貴族、を「階級」によって分けるのではなく、
価格均衡点
で制御しよう、ということらしい。需要と供給で、ある点で「均衡」するはずだ。それでいいんじゃない? つまり、
均衡曲線。
ところが、こういった、デフレ期になると、バブルの頃と違って、
全員奴隷以下
で「均衡」してしまう。しかし、マネタリストに言わせると、それの何が悪い、となる。たとえば今、それでも、さらには、仕事にあぶれるケースが拡大する。そもそも、仕事がない。報道ステーションでやってたが、山谷では、抽選で週に何日か、仕事が「当たる」。すると、マネタリストは、さらにのたまう。もっと、給料を下げないから、失業者なんてもんがでるんだよ。そんなに仕事をやりたいっていう連中がいるんだったら、さらに半額以下で、倍の人数を集められる、ってことじゃねーか。倍にできれば、半分の時間で終わるじゃん。
しかしね。そこまで、安くなって、働くんですかね。
もし、半額で人を倍にすることが「効率的」なら、やる価値はあるのかもしれないが、普通、人をいくら増やしたところで、効率的になるものではない。逆に、教育のためのトレーニング時間の全体での増加がコストになることもある。
そもそも、半分の額の給料になってしまっているわけだから、それだけ、働く側のモチベーションが低下している。
もともと、日本人は「勤勉」とラベリングされているから、どんなに給料が安くても、みんな真面目に働く。安いからといって、手を抜かない。しかし、そうなると、
人を増やす必要がなくなるんですよね。
もしかしたら、この日本人そのものの、勤勉根性、優秀さが、日本のデフレを招いているのかもしれない。
ホリエモンが言っていたのが、ベーシック・インカムだが、彼のアイデアでは、その財源は、すべて間接税だそうだw。捕捉率がいいから。間接税内相互扶助システムを作ればいい、ということらいい。いかにもお金持ちの人が考えそうな発想だ。
しかし、ベーシック・インカムというのは、うまくいくのかな。みんながもらうんだったら、それって、必要経費ってだけのことじゃないのかな。子ども手当から、給食費を天引きするみたいに、結局いろんな経費を天引きされて、手元になにも残らない人が続出って感じなんじゃないですかね。

  • 仕事 - 能力(人) - お金

この関係をどのように、バランスするのか。どういったアイデアのもとに、税体系を構築するべきなのか。
そう考えるなら、まず、その税をもとに組織されている国家が、どういった理念のもとにあるのかから考えるべきだろう。そこから、憲法にある、「必要最低限度の文化的な生活」というところが、ひっかかってしまうだろう。
つまり、必要最低限度以上の人たちについては、勝手にやってれば、という考えである。それが実現できている範囲では、税金はとりますけど。
今度は、どうやって必要最低限度の少し上から下までの人たちに文化的生活を保障していくのか、これこそ、国家の命題となる、と考えましょう。立岩真也さんのアイデアでは、

  • 収入の低い人からは、できるだけ、徴収する税金を少なくすることができないか(あるいは、徴収しない)。
  • そもそもお金を稼げない(稼げていない)人には、逆に、税金をあげなきゃいけない。

稼げているお金が少ないのだから、税金でもっていかれたら、なにも手元に残らない。このグラデーションをできるだけ、自然な曲線にしよう、という、もう一つの
均衡曲線
で対抗できないか、ということですね。
今の法人税がそうですが、赤字の会社は、税金を払わなくていいよ、とやる。すると、税金対策で、なんとなく、全体として、数字のマジックで経理上赤字にして、税金を払うところから逃げる、という会社が続出する。さらに、この考えだと、もうかってない会社がいつまでも、生き残るということなのだから、非効率な会社が整理されず、新しい産業が生まれにくい。
おそらく、個人もそうなるだろう。働いても、働かなくても、それほど生活水準が変わらないとするなら、なんでそこまでして、体壊すまで、がんばんなきゃいけないんだ。どんどん、やる気のない人が増えないだろうか。
ここまで考えて、どうしても気になったのは、デフレという考えだ。つまり、不況についてである。景気には、絶対に波がある。だったら、その波に合わせて、国家の税金徴収金額を、上下させなきゃダメなんじゃないのか、という気がする。もちろん、今の税金も、上記の意味で、均衡曲線となっているはずで、もうかっていない所からは、少ししか徴収していないだろう。
しかし、それだけではなくて、もうからないということは、その少ない収入に合ったライフスタイルに変えなかったら、苦しいだろう、という考えである。国家も同様である。もうからないのだから、金回りのよかった頃のような、お金の使い方をしていたら、すぐにお金がなくなるだろう。少ない予算で、回るような使い方をしないといけない。場合によっては、せっかくいろいろスキルを身につけてるれた職員でも、首を切らなきゃいけない。
しかし、デフレ期に、そうやって、図体をみんなが小さくしてしまうと、景気の波が戻ってきても、図体を戻そうとしなくなりますよね。万年デフレになっちゃいそう。
あとは、「新しい産業」というアイデアだ。今、さまざまに生まれている、新しい産業とは、基本的に、人がいらない産業だ。人件費が一番高いから、まず、ここがかからないビジネスモデルを選ばざるをえない。しかし、それはITによってかなり実現できてしまっているのだから、文句を言ってもしょうがなくもある。産業が新しくなればなるほど、人がいらなくなり、人を募集しているのは、旧産業ばかりなのに、ここの割合は、新産業の増加とともに減る一方なのだから、なんというか、「新しい産業」って、国民は求めているのか? とも、皮肉を言ってみたくもなる。
うーん。
今働いていないということは、仕事以外のことに没頭できる、と言えなくもないのだが、仕事がないと考え始めるのは、仕事をさがし始めたときに気付くのだから、金銭的に余裕のなくなった、難しい時期だといえよう。
北欧のように、高齢の方が不況でリストラされたとき、次の仕事に移転するために、国が「教育」をするというスタンスは現実的なのだろうか。若者は、なんだかんだで、売れる。安い給料で社内で教育をすればいいのだから。しかし、年寄りは、どうせ近いうちに、定年になり、去っていく。教育費がもったいないとか言われないかな。
一言で言うと、現代日本は「成長しなくなった」ということだろうか。
だから、成長していた時代の常識で行動すると、
期待通りにならない。
いずれこうなるだろうと待っていても、いつまで待っても、そうならない。期待が間違ってしまう社会...。
どうだろう。以下のように考えてみようじゃないか。なぜ国家は、国民を教育するのか。それは、国民がいつか働いて、国家に、多くの税金を払ってくれることを期待して。しかし、上記で考察したように、基本的に、ビック・ビジネスでもうけるのは、いいとこの大学に入った人ばかりだ。そういう人しか、実際に、税金を払わない。だって、他の人はみんな
バイト
で、月15万円で、ペーペーで生きるのだ。税金なんか払えるか(消費税はんたーい)。
そうすると、大学は、「そういう人」にしか必要ない、ということになりそうだ。もちろん、「そういう人」が行く大学があってもいい。しかしそれは、国家が一切援助をしない、民間の教育機関として、「大学という資格」を与えない(そういう、大学としての資格を満たしているかどうを判断するための、税金が無駄だから)。
この日本は、エリートに「いい国」にしてもらおう。私たちペーペーは、エリート様について行きます。エリート様が、ご立腹されているときも、ちゃかしたり、はやしたてたりするのをやめようじゃないか。だって、彼らが、我々国家をしょって立っていってくれるんだ。彼らが、私たちの福祉の分まで、稼いでくれるんだ。ちょっとくらい、常識外れだった変態だって、目を瞑ろうよ、この際。
彼らは才能がある。
そう自分で言ってるんだから、そうなんでしょ。だったら、その才能を存分発揮してもらって、私たちに福祉のお金を恵んでもらおうよ。
な。
なぜ、失業者が生まれるんだろう。これは、逆に考えると、ちょっと分かる気になれる。もし、失業者がいなかったら、どうなるだろうか。企業は、どうやって
優秀
な学生を集められるのかな。それが、バブルだった。バブルの頃は、企業の方が学生を「囲い込んだ」。つまり、この世界には、「なんとしても失業者がいなければならない」。
かませ犬
が必要なのだ。人事は、「ばか」な学生を一方で落とし、「優秀」な学生を採用したという、ライフログ、を会社の上層部に、ちら見させることで、「いかに自分が人事として優秀かをアッピール」する。そうやって、企業では、上司と部下がお互いで、「ほめ殺し」。気持ち悪い傷の舐め合いを、夜な夜な、飲み屋にくりだして、ちちくりあってる。そんな自分をほめるのに忙しい人たちの集まりが会社。そんなもんさ。
一般に、なぜ、人は仕事をしたがるのか。よく言われるのが、キャリアである。履歴書のある期間に穴が開くと、社会人として、ドロップアウトしたとして、社会人として、一人前扱いされなくなる。この前このブログで紹介した、リクルートの人の本があったが、自慢気に書いてあったことは、プロパーであると、ビックビジネスのリーダークラスの仕事をやれる。そういった経験は、プロパーにしかできない。こういったことがやれるためには、大きい会社で、若い頃から、面倒を見てもらうことによって、現場での、経験値を増やすことで、信頼されることによって、ということらしい。
なんか聞いたことがある話ではないか。官僚が、法律書くときを思い出さないか。一子相伝、秘伝の技は、「中の人」でなければ、体得は遠く及ばず。5年? ひよっ子め。球拾いを、あと、十年やらねば、まだまだ、一人前には、ほど遠いわ。
なんのためにアカデミズムなんですかね。
法律作成学が必要なだけではなく、ビックビジネス運営学も必要ということなんですかね。
今後、目指すべきなのは、社会人の社会人化ではなく(だって、仕事なんて、もう、ないんだろ? 正社員なんかなれないんだろ?)、
マチュアの「ビジネス」化
だと、どうして言っていけないのだろう。大学を卒業したら、みんな、自分という会社を立ち上げて、
社長
になる。みんな、リーダーになるんだから。最初から、リーダー学を学びまくりですね。よかったね。10年も、球拾いをやらずにすんで。
しかし、リーダーになるって、なにをやるんだ。どうやるんだ。お前、自分が何を言ってるか、分かってんのか? 社会人なめんなよ(プンプン)。
だれもが、
社長=リーダー
になる、私の日本社会構想は以下だ。まず、大事なことは、
限りなく、少額のお金だったとしても、援助すること自体が、「コスト」にならない仕組みを作ることだ。近年現れてきた、少額小口ネット募金システムだ。

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これにより、「無料戦略」におけるコンテンツに付随する広告の閲覧とクリックによる収益だけでなく、コンテンツにユーザーが直接お金を落とすことが可能になります。

大事なことは、少額であることが、決して、無駄にならないこと。可能なら、一円から募金できた方がいい。そして、手数料を取らない(最終的に、一切の手数料を取らないサービスを提供するビジネスモデルが生まれるかだろう)。
次に大事なことは、この、募金(ベット)者、被募金(ベット)者、のリレーションを、世界中につなげることだ。
なぜ、今、日本中の人々が、日本が滅びへ向かっていると思っているか。工場が、貧しい国に移っているからだ。それによってモノを作る人が、日本人でなくなる。工場が日本から無くなることで、自分たちが暇になってしまう。仕事が無くなってしまう。逆に、発展途上国は、工場が来て、仕事が生まれて、うらやましい...。
しかし、そういった工場の単純作業は、非人間的な仕事で、つらくてつらくて、しょうがなかったんじゃないのか。だったら、逆に、
その工場に、あんたが考えた、商品を作らせてみようじゃないか。そう考えれば、できるだけ、安い労働者が作ってくれた方が、給料を商品に上乗せしないですむんで、うれしいんでしょ。
(まず、プロトタイプをあんた一人で作ってみてもいい。その手順を、オートメーション化して、そういった、安い国の工場に仕事を投げるのだ。)
私が言っているのは、その「上流工程」の、
国民主権」化
である。だれもが、要件定義を行い、だれもが「世界中の人」にプレゼンする。大事なことは、そういった、各一つ一つに、「ほんの少しだけ」でも、募金(ベット)、を可能にする、ということである。あまり、実現性のない話に思えたとしても、もう少し変えれば、いい提案になるかもしれない。だったら、少しお金を払って、いいアイデアに変わるのを待ってみてもいいではないか。ちょっとくらい、お金をあげてみようよ。

  • 思っていること(やってみたいこと)のプレゼン:社長(自分) --> 世界中の人
  • ベット(募金):世界中の人 --> 社長(自分)

大事なことは、「ちょっと可能性がありそうな」なにか、には、その「価値」の可能性に見合った「ちょっとのお金」をあげちゃうんだ。いい話を聞いたと思って、小銭を、大道芸人にあげるように、もう、あげちゃうのだ。いーじゃない。缶コーヒー飲んだと思えばいーんでしょ。
こんなことを、何度かやっていくうちに、
本気になっちゃう
エンジェル、が現れる。俺それ欲しいー。

アメリカにある「NASCAR」というラリーカーによるイベントは20世紀の禁酒時代から続いており、アメリカでも絶大な人気を誇っていますが、その運営を支えるのはスポンサーの存在と、そのスポンサーあっての NASCAR であることをよく理解しているファンたちによる忠誠度、ロイヤリティの高さです。
NASCAR のファンは NASCAR のスポンサー商品を購入する割合が非常に高く、スポンサーからの支援なくして NASCAR は存在しないことをよく理解しているため、スポンサーの商品を積極的に購入することによって間接的に支援している、というわけです。

お金持ちは、別に、お金が手元にあること「だけ」がうれしいわけじゃない。そのお金を、「自分がやりたい」ことに使えたとき、始めて真の喜びが、心の奥底から沸き上がってくる。「それ」をまさに、実現してみる、とプレゼンしている、日本という、世界の片隅の国の中の、どっかのだれか、がいるというんだ。お前の全財産から考えたら、「はした金」。ポンってくれちゃおー。そーしよー。
では、そうやって、仕事が取れたら、どうするか。あとは、「参謀」探しだ。これを実際に実行に移せるのは誰か。お金はいくら必要か。何人エンジニアがいるか。営業は何人いるか。マシンは何台買う必要があるか。納期はどれくらいか。
大事なことは、「結果として」大プロジェクトになるか、自分一人で、日曜に全部やれるか、は関係ない、ということである。
結果として、たいしたことのないものだろうと、いいわけである。いい、というのはどういうことか。つまり、「払う方にとっても」です。

むしろ今まではなかなか対価を払われなかったものに対して価値を見いだして払うという現象が現在進行形で起きており、そうであるならば、さらにその先、「価値のないものに対価を払う」、つまり「無料であるものに対価を払う」という時代が来るのではないか? と思い至った次第です。

もう一つ大事なことは、今、別の仕事をもっているかどうか、も関係ない。以前にここで書いたように、だれもが聖徳太子なのであって、日々の仕事をやりながら、
自らが社長
として、残り9件くらい「同時並行で」こなしちゃいましょー(聖徳太子にやれて、私たちにやれないわけがない)。

GIGAZINE 未来への暴言

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