この事態を直視すること

東京も、まだまだ少し、余震が続くだろう。揺れは大きかったが、個人的には比較的冷静であった。東京に上京する前にも、地震にあったことがなかったこともなかったことが理由だろうか。
今は、歩いて家まで帰り、テレビを見ている。
それにしても、東京は、今日も「冷静」だった。JRが終日全線運休だったこともあり、人々はまるで、民族大移動のように歩道を歩いている。駅の地下歩道には、多くの人々が、地べたに坐り、JRの復旧を待っている光景をみかけた。
人々は、とても、規律正しく、冷静に抑制的に振る舞っている。あちこちで、行列をつくり、人の波ができていても、スムーズに人が流れ、このような緊急事態の時にも、もめごとやトラブルを起こすことなく、「静か」に人々は行動している。それは、いつも、毎日、私たちが東京の都会の街並みに見ている、いつもの光景であった。
たとえ東京での被害が少なかったとしても、東京の人たちも大変ショックを受けているのではないだろうか。こういったショックは、外面的なものではない。長く、後から、感情に襲ってくる場合もある。
思っている以上に、精神的に人々はこたえ、
疲れている。
事実を謙虚に、常に黙祷の気持ちを忘れずに、冷静にみる必要がある。
思ったのは、最も情報を必要としている、震源地近くの人たちが、停電で、あまりケータイを使えていない、とテレビのニュースで言っていたことで、結局、ケータイといっても、定期的な充電がマストのツールであるわけだから、非常事態に弱いという印象だった。
原発も注視が必要という話であった。テレ東で、専門家が説明していたが、冷却ができなくなる事態であるとすると、非常に危険な状態である「可能性がある」という説明だった。冷静に推移を見守る必要がある。
さまざまな援助、ボランティアの仕組みが、求められていることは間違いない。
幼稚な臆断や感情的な戯言は、今日、この時に、ふさわしくない。
今日一日で、多くの人が亡くなっている。
ほんとうに多くの人が亡くなっている。
最も被害の大きい場所からの情報が最も最後に入ってくる。そもそも被害が甚大すぎて情報の発信すらできないからで、最初に流布される情報から、災害の規模を臆断すことは、事実の大きさを見誤ることになり、行動を浮薄にする。
震源地近くで、多くの人が亡くなっている情報がこれから、さらに報道され始めることは間違いない。我々は今から、その、これから次々と伝えられてくる事実に立ち向かう心構えをしなければならない。どんなにつらくても。