河田惠昭『津波被害』

今回の地震を、たとえば、400年に一度だとして、たとえそうだったとしても、400年の間には一回は起きても不思議ではなかった、ということを意味しているのだとしたら、それが、3日前に起きたとしても、不思議じゃなかったということになるだろう。
そうであれば、これくらいの規模の地震がここで起きない、ということを「想定」することは、どこか人間自身の感覚、「計算」がおかしくなっているのではないのか、ということを、どうしても言いたくなるわけである。
近未来SF小説なんか読んでいると、簡単に、テクノロジーの発展を描いてあったりするが、ほんとにそうなのか。そんな未来がくるのか。そんなに簡単じゃないだろうし、そもそも、そんな未来が来るべきなのか、とさえ言ってみたくなる。
掲題の本を読んでいると、いきなり、8、9ページに、日本列島が描かれていて、「津波災害に関連して本書に出てくる地名など」とあり、まず、目に飛び込んでくるのが、三陸海岸
久慈(くじ)
田老(たろう)
釜石(かまいし)
大船渡(おおふなと)
気仙沼(けせんぬま)
女川(おながわ)
とあり、つまり、ここのところ毎日、被災が報道されている地名が、すでに、名前入りで、紹介されているわけである(釜石と大船渡は逆に安全に「なった」地域として紹介されている。

津波の大きさを低減させるには、湾口の大水深部に津波防波堤を作るのが一番効果的である。岩手県釜石市や大船渡は際立って安全になっている。
ところが、まちは安全になったにもかかわらず、企業活動が低迷し、人口が増えていないのである。たとえば、釜石の湾口防波堤の総工事費は一二一五億円であるが、現在、人口が約四万人であるから、住民一人当たり三〇〇万円の税金が投入されたことになる。

)。北米プレート、と、太平洋プレートが、合わさる、千島海溝と日本海溝の間で、潜り込み運動(毎年約10CM)と書いてあって、
1896年明治三陸津波:死者二万二千人
1933年昭和三陸津波:死者三千人
とある。また、他の関西の方の潜り込み運動が、2-3、4-5CM、とあるから、ちょっと、2、3倍あるわけで、とてつもない、危険地帯だったわけでしょう。
上記の、8、9ページの日本列島の図は、多くの人が見る必要のあるものだと思う。頭に刻み込む必要がある。この図を、じっと眺めるのだ。そして、千島海溝のこの辺りで、プレートがずれたら、どういた「波」が、三陸海岸を襲うか。海岸の地形から、どの辺りに、どういう波が「反射」するか。こういったイメージが、非常に大事である。日頃から、こういったイメージをもつことによって、始めて、この日本列島で暮らす資格が生まれるだろう。
しかし、この本は、ある意味「異様」に感じた。原発のことが、一切書いていないからだ。
このことは非常に重要なことを示している。専門化は、自分の専門に特化する。この本で言えば、津波災害だ。すると、「他のこと」は「専門外」となる。
このことが明らかに異常であることは、今回の地震で証明されただろう。地震によって、まず、考えなけばならなかったことは、間違いなく、原発についてであった。専門家でさえ、自分のさらなる細かい専門という、小さな穴に潜って、考えないわけだ。
原発は、戦後の日本を象徴していたことは、間違いないように思われる。非常に、国家の中央で、秘密裏に、極端に情報を公表せずに、動かしてきたのが原発だった。
戦前、戦中において、日本が戦ったのは、外国であった。それが戦後、平和主義となるわけだが、闘いの相手を、外国侵略から、原発稼働に、切り替えた、と言えないだろうか。戦艦大和は、原発に変わる。
原発が、日本の「戦場」となった。
原発を動かし続けることが、日本の「先進国」としての、防衛ライン、戦場の最前線と考えられ続けてきたのではないか。
よって、人々は、原発について語ることをタブーにしていく(今の若い知識人で一人として、原発問題を正面から取り組んできた人がいるだろうか)。

  • エネルギー:地方(原発) --> 東京(ワンダーランド)

若い知識人たちは、この「ワンダーランド」を守るためには、どういった言論コントロールが必要かを考え続けていた、と言っていいだろう。
(後期バブル世代にあたる彼らは「頽廃=世紀末」的であったのかもしれない、バベルの搭を思わせるような。彼らは最初から、そういった問題を、経済的な成功と、強烈な自意識=ルサンチマン、をリンクさせて考えてきた。むしろ問われているのは、その「強度」なのかもしれない。)
彼らは、さかんに、情報やメディアやネットに言及するわけだが、それは、この

を前提にするものであった。情報やメディアやネットの「発展」を夢見るためには、それに代わるオールタナティブが提示するされることが必要だ、という問題意識を最初から喪失していたのだろう。
さて、問題は、これからだ。

巨大な津波が文明を滅ぼした事例がある。クレタ島のミノア文明は紀元前二〇〇〇年ころから同一四〇〇年ころに栄えた地中海文明であった。この文明が紀元前一六三〇年ころサントリニ島の大噴火で発生した大津波が原因で衰退し、木材の大量伐採による環境破壊も加わって、滅んだといわれている。大津波クレタ島の社会基盤、すなわち、港湾、船舶、物揚場などを破壊した。そのために交易に支障をきたしたことが、もっとも大きな衰退の要因と考えられる。津波が来襲した地域での津波堆積物の発見がこの説の妥当性を裏付けている。被災地が津波による大被害から復旧・復興できずに衰退してしまったのである。
このような大津波は数百年に一度起こることもめずらしくない。ギリシャクレタ島沖にはヘレニック海溝に沿った断層が最近発見され、ここで起こった三六五年七月二一日の地震が原因で同島西部が一〇メートルも隆起したことがわかっている。そして発生した大津波がエジプトのアレクアンドリアを壊滅させたといわれている。

ほかの一つは、一七五五年リスボン地震津波で、死者は六万二〇〇〇人から九万人に達した。リスボンには高さが六〜一五メートルに達する津波が来襲した。地震マグニチュードMw八・五の巨大地震であり、当時の証言によれば、揺れは三分半から六分程度続いたそうである。そして海水が沖方向に引き始め、四〇分後、津波が来襲し、大きな津波が三波続いて市街地はん濫がくり返されたといわれている。そして、火災が発生し、五日間も延焼してリスボンの市街地を焼きつくした。当時のリスボンの人口は二七万五〇〇〇人と推定されており、市民数人に一人が犠牲になったことがわかる。この災害は、ポルトガルの弱体化を一層進め、以後はイギリスとフランスに西ヨーロッパの政治・経済の主導権が移行した。

古代ギリシア文明を象徴するものこそ、ギリシア哲学と呼ばれるものであったとすれば、リスボン地震こそ、最も、当時の啓蒙思想家を、
根底
から考えを変えさせた事態であったわけで、カントを始め、理性の根源的な問い直しを促した事態であることは、あまりに有名な話である。
つまり、哲学とは、最初から、こういった「危機」が強いたなにか、でしかなかったわけで、それ以上でもそれ以下でもなかったはずなのだ。ところが、まったくこういった原理的な問いから離れて、「カジュアル」ななにか(つまり、文学)を語れるという勘違いが、日本というバベルの搭をもたらしてきたのかもしれない。
これからは、一日一日が、未体験ゾーンである。
原発もまったく予断を許さない状況が続いているということであるし、ひき続いて、状況を見守るしかない(今後とも、専門家の日々の状況報告が期待される)。
文明人として、たのむから、「想定外」や「念の為」という言葉を使わないですむような、未来を子供たちのために残していけないものだろうか...。

津波災害――減災社会を築く (岩波新書)

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