槌田敦「核武装を準備する日本」

私の素朴な疑問は、そもそも、ウランを採掘・精錬している「企業」がいるんでしょ、っていう事実だ。
つまり、この企業は、もちろんお金儲けのために採掘・精錬しているわけで、そうやって作ったウラン原料を、ただ作るだけのために、毎年、それなりの量を作ってるわけがないわけでしょう。
つまり、それらは、どういう形であっても、売らなきゃなんないわけ。そうじゃなきゃ、儲からないんですから。だから、なにがあっても、毎年、ある一定量を売らなきゃならない、という命題が厳然として、あるわけでしょう。
近年、アメリカとロシアは、核軍縮の流れから、どんどん核爆弾を減らしてる。減らしてるくらいですから、新しく作るなんてやるわけもなく、ということは、原爆の原料としてはウラン原料は、ほとんど売れなくなっている。その代わりとして、登場したのが、原発の燃料として、ですよね。
ただでさえ、原爆の原料として使われない。でも、ウラン企業にとっては、毎年、それなりの量を売らなきゃ、ジリ貧なわけで、じゃあどうするか。なんとかして、嫌でも買わせるしかないよね。
当然、ウラン企業がアメリカ政府に圧力をかけられるなら、そのアメリカを通して、日本に買わせるんだろうな。日米構造協議で、日本は毎年、アメリカに圧力をかけられていて、もし日本がウランを買うことによって、その他の項目のアメリカによる日本への圧力が相殺されるなら、利害関係者たちは、「ウランなどたいしたことはない」とか思うのだろう。
掲題の論文集は、少し前の、自民党の保守派が、さかんに日本が核爆弾を保持すべきだ、という議論がさかんになった当時に出版されたものだが、この日本の核武装原発が非常に関係していることを指摘していて、今読むとこの311以降の政府の対応の雰囲気について考えさせられるものがある。

この北朝鮮の核実験は、予告した爆発規模の四キロトンに比べて一キロトンと小さいことから、技術的には失敗であったことが分かる。技術も経験もない段階で最初から小さな原爆を作ることは難しい。したがって今回の核実験は、大きな核爆発装置の不完全な核爆発であったと思われる。
核爆発に使用できるプルトニウムは二種類ある。

  • 普通の原子炉で作る発電用(原子炉級)プルトニウム(濃縮率は六〇%程度)と、
  • 特殊な原子炉で作る軍用(兵器級)プルトニウム(濃縮率は九四%以上)である。

軍用プルトニウムは、フランスや日本では高速炉で作るが、多くの国ではチェルノブイリ原発のような黒鉛炉で作る。北朝鮮にも小型の黒鉛炉があるが、熱出力は五千キロワットで、東海原発の一〇〇分の一だから、軍用プルトニウムはごくわずかしか製造できない。北朝鮮がこの貴重な軍用プルトニウムを今回の実験で使い果たしてしまうような馬鹿なことをする筈がない。
今回程度の不完全な核爆発ならば、軍用プルトニウムを用いる必要はない。比較的多量に得られる発電用プルトニウムを使っても核爆発は可能で、世界を脅すには十分である。日本のマスコミは、まんまと北朝鮮の思惑にはまってしまったことになる。

昨日の朝日新聞にもあったが、北朝鮮がもし「本気」で日本を攻撃しようと思うとするなら、(原爆の独自開発なんて遠回りなことをする以前に)日本の原発に向けてノドンを撃ち込むと考えるだろうと想像できるわけで、そう考えると、北朝鮮が日本に向けての核爆弾の開発のための実験をやった、と考えることはあまり説得的ではないのだろう(どちらかと言えば、世界の国々を、北朝鮮が核保有国になったということで、脅すため、と考えるべきだろう)。
ひるがえって、日本はどうなのだろうか。

高速増殖炉もんじゅでは、核分裂プルトニウムが一個核分裂すると、一・二個の核分裂プルトニウムができるから、プルトニウムの増殖だと推進側は主張している。しかし、こうしてできたプルトニウムを再処理して抽出しなければならない。
その作業時間を考えると、プルトニウムの倍増には、五〇年以上かかる。つまり、もんじゅの使用済み燃料を使って第二のもんじゅを建設・稼働するのは五〇年以上も後ということになる。その頃には初代もんじゅは運転を終了しているから、建て替えも必要となる。
そのうえ、プルトニウムは圧倒的に炉心燃料に存在する。しかし、高速増殖炉の炉心には核分裂で貴金属が大量に作られている。これは再処理しようにも硝酸では溶けない。大量のプルトニウムは、貴金属の中に閉じ込められて抽出できないから、実際にはプルトニウムは増殖できない。夢の原子炉とは「騙し」目的の「夢」だったのである。
もんじゅの真と目的は、超軍用プルトニウムを製造することである。そのため、半年に一回燃料を交換する。その際ブランケット燃料集合体の四分の一を交換する。つまり毎年半数のブランケット燃料集合体を取り出し、超軍用プルトニウムを毎年六二キログラム生産するように設計されている。

つまり、IAEAがなにをやってるのかは知らないが、事実として、日本には原発を作るための「材料」がある、ということなのだろう。

日本政府は、この常陽ともんじゅの軍用プルトニウムについて、研究開発用であり、単に溜まっているだけだから問題ではないと説明しているようである。

さかんに、当時の自民党の保守派は、中国との軍事的均衡から、日本が核を保有すべきだ、という論陣をはった。そしてそういった政策的ブラフの裏では、こういった方法によって、日本の潜在的核兵器の「所持」を対抗させていた、ということなのだろう。
では、ひるがえって、今回の福島の事故で、日本の原発政策は衰退するのだろうか。私には単純にそう思えないのだが、その理由は、たんに原発の新規建設が住民の反対でできなくなる、といったジリ貧的な意味ではなく、その「象徴的」な意味において、日本の戦後の「復活」として、あまりにも大きな存在だから、だろう。

しかし、実質的に原子力導入にかかわったのはこの原産会議設立を契機として結成された五つの企業グループであった。グループとして初名乗りを上げたのはこの前年の五五年一〇月に作られた三菱グループで、三菱電気(株)、三菱造船(株)、三菱金属(株)、三菱商事(株)など旧三菱財閥系の三十二社であった。五六年四月には、住友機械(株)、住友金属工業(株)、住友化学(株)、日本電気(株)など旧住友財閥系十四社が住友原子力委員会を結成し、同六月には東京芝浦電気(株)、石川島重工業(株)、三井物産(株)など旧三井財閥系三十七社による日本原子力事業会が誕生した。これら財閥系のほかに、(株)日立製作所昭和電工(株)など十六社による東京原子力懇談会が五六年三月に、富士電気製造(株)、川崎重工業(株)、古河電気工業(株)など二十五社による第一原子力産業グループが同年一一月に結成された。
占領軍によって解体された戦前の財閥が、原子力によって完全に甦ったことの意味は大きい。
藤田祐幸「戦後日本の核政策史」)

日本の原発開発と、アメリカの日本の占領政策の変更の時期が重なっていることは、とみに言われることである。アメリカは戦後直後は、日本の核兵器所持のためのさまざまな動きを、何度も邪魔し、なんとかして日本に核兵器をもたせないための政策を行っていたが、70年代以降の、米ソ冷戦構造の中で、そういった動機を失っていく。それと同時に、日本の戦前の財閥の復活が始まるわけで、その原発の象徴的な意味は大きいだろう。

日本では、原爆について陸軍と海軍がそれぞれ別に研究開発していたが、日本には良質のウラン鉱山がなく、初めから不可能な研究であった。そこで、ウランを同盟国ドイツから購入し、潜水艦で運んだが失敗してしまった。
槌田敦「原爆で戦争が終わったのではない」)

そもそも、戦中において、日本は核開発競争をやっていたわけで、そういった意味での戦中関係者の核開発への執念は今でも、大きいのだろう。戦後の日本的な団結社会とは、つまりは、原発を象徴とした財閥の復活によって生み出されてきたものと考えるなら、日本の原発政策が「ドイツ的な意味での」原発放棄といった方向へと進むと考えることは、そう簡単なことには思えないだろう、残念ながら...。

隠して核武装する日本

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