市民と国民

以下のサイトを見ると、なるほど、市民と国民と人民には、いろいろな分類があるんだな、ということが分かる。

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では、ここで、カール・シュミットにとって、市民と国民とは、なんだったのか、を考えてみたい。
市民とは、古代ギリシアにおける、アテネ市民という表現と同じものだと考えていい。
古代ギリシアは、奴隷制を採用していたこともあり、その市民=貴族のシステムに、現代の奴隷解放とのアナクロニズムを感じる人もいるかもしれない。
しかし、ここでの「市民」という場合のポイントは、違っている。古代アテネの「市民」とは、つまりは、
軍人
のことであった。つまり、市民と奴隷の大きな違いは、奴隷は、軍人ではないが、市民は軍人だった、ということである。つまり、市民と軍人は同じ意味だったのである。市民が都市国家を守っていた。市民とは、「徴兵制」をされる人、を意味していたわけである。
ナチス・ドイツが台頭してきた時期のドイツにおいて、なぜ「市民」が問題だったのか? それは市民が、「ブルジョア」の否定という意味を、含意していたからである。

さらにシュミットはルソーから市民概念を継承したヘーゲルを引き合いに出して、《ブルジョア》を「政治的危険のない私的領域から立ち去ろうとせず、平和と冨の果実を享受し、非業の死をという危険から免れることを欲している人間」と定義している。こうした定義から明らかなように、シュミットにとっても、《ブルジョア》は私的利益のみを追及し、国家のために生命を賭ける覚悟を欠如しているものであった。こうした精神類型としての《ブルジョア》批判こそ、シュミットの著作全体の底流をなしているのである。彼は、『現代議会主義の精神史的状況』においても、《ブルジョア》を、「金銭と所有についての不安のために堕落し、懐疑主義相対主義、議会主義によって精神的に損なわれている社会層」と酷評した。

シュミット・ルネッサンス―カール・シュミットの概念的思考に即して

シュミット・ルネッサンス―カール・シュミットの概念的思考に即して

第二次大戦以前の世界における、流行的な考えが、これであろう。ホッブス、ルソー、ヘーゲル、シュミットの流れにおいて、最も問題だったのは、
ブルジョア
つまり、自由主義であった。つまり、彼らも、マルクス主義と同じ問題意識を持っていたと言っていい。
ここで言う自由主義とは、利己主義と言っていい。つまり、私的利益だけを考え、基本的に、国家に関心のない、現代人を言っている。私的であることは、公共を考えていない、と同じである。むしろ、国家を私的に利用する、国家を手段としてだけ考えている、と言い換えることもできる。そういった存在によって、古代アテネ都市国家が構成されていたら、戦争が起きれば、みんな逃げていなくなるであろう。つまり、その国家は維持されない。
これを左翼の側から見れば、多くの貧困にあえぐ人々が街にあふれても、自由主義は、関心を持とうとしない。なぜなら、貧乏人が死んでも、ブルジョアの「私的利益」につながらないからだ。こんな国家でいいのか、と倫理的に問うたのが、左翼であろう。

シュミットの《市民》概念は、J・J・ルソーの祖国防衛の義務を彷彿とさせる。ルソーは、『社会契約論』の中で、「統治者が市民に向かって、お前が死ぬことが役に立つのだと言う時に、市民は死ななければならない」と述べている。
シュミット・ルネッサンス―カール・シュミットの概念的思考に即して

ホッブスからルソーへつながる流れにおいて、大事なことは、「国家の同質性」だと言えるだろう。古代アテネ都市国家が「生き残る」には、市民たちの
自己犠牲
が必要とされる。市民が、死を選ぶと、古代アテネ都市国家は、滅ぼされない。
つまり、「市民」とは、自由経済と対立する概念だということである。自由主義を否定するために「市民」という概念が使われている。
まとめると、「市民」という概念は、まず「国家が崩壊してはならない」と考えたときに、導かれる、ある意味における「必然的な形態」を問題にしている、と言えるだろう。
他方において、「国民」とは、なにか。
今度は、その逆と言える。つまり、市民が「国家が崩壊してはならない」を前提にしているとするなら、国民とは「なぜ国家は崩壊してならないのか」に関係した概念だと言える。
つまり、国民という言葉を使う場面において、問題とされているのは、民族とか人種とか、どの土地に住んでいるかとか、使われてる言語はなにか、のような、実際の生活の場における、実際の生活者の「差異」と言える。

歴史は、少数民族に対する政治的権利のみならず、基本的な人権をも剥奪してきたことを教えているし、シュミット自身がナチス期になるとユダヤ人を公務員から追放する職業再建法やドイツ人とユダヤ人との結婚や性的関係を禁じた一九三五年のニュルンベルク法に賛成しているからである。
シュミット・ルネッサンス―カール・シュミットの概念的思考に即して

例えば、もしも、私たちが、住んでいる地域の、回覧板を回しているエリアだけが、独立した国家だった場合を考えてみよう。
そうした場合、その範囲に住んでいる人たちが、「国民ではない」とは思わないのではないか。実際に、その範囲に住んでいて、そこでの生活実態があって、その地域の人たちと、さまざまな意思決定に関わっているなら、たとえ、日本語が話せなくても、「この地域の人」と考えるのではないだろうか。実際、人手が足りなくて困っていたとき、とりあえず、近くにいる人が手伝ってくれたら、ありがたいと思うであろう。
また、もしも、その地域の外から、武装集団が襲ってくることが分かったとき、その土地を守ろうと思うなら、彼らは全員で、一緒になって、戦うのではないだろうか。だって、戦わなかったら、自分の住んでいる土地を奪われるのかもしれないのだから。
確かに、同じ言葉を話せた方が、意思は通じ合うだろうから、親近感はわくだろうが、それは、「別の言葉を話せて、ここでの言葉に不便している人は、外に出ていくのではないか」という、不信感に関係しているように思われる。少なからず、同じ土地に住んでいれば、いずれ、その土地の言葉も分かっていくだろうし。
つまり、問題は、そういった地域が大きくなっていったときに、「どこからどこまでを上記のような感覚で考えられるのか」に関わっているように思われる。
しかし、この感覚は、特に、都会のような所では、複雑になる。ジェイン・ジェイコブスが主張したように、ただでさえ、都会では、人々の繋がりがない。そもそも、隣の部屋の人とさえ、ほとんど、関係していない。逆に、短期的に見れば、仕事場の人や、SNSの人との方が、ずっと、深い関係を作っている。
都会においては、身近な人との「余所者感」を、

  • それをとりまく「多く」の人の「監視」

によって、補っている。つまり、その多くの「見ている人」の中に、少なくともだれかは、その人が敵対化したときに、自分を助ける側に立ってくれるのではないか、という期待がある。多くの視線は、人々に「犯罪行為」の決意を留まらせる力がある、と考えるわけである。
つまり、都会における、「敵味方」のアイデアは、少し異質な関係にある、と言えるのかもしれない。
これを、近年のリベラリズム社会自由主義)に対応して考えることはできるのかもしれない。
興味深いことに、ロールズの正義論においても、古典的な自由主義では、問題がある認識においては、上記と共通している。つまり、人々が各自の私的利益を追及していったとき、どうしても、私たちが考える人権以下の生活を強いられる人たちが生まれてしまう。だとするなら、国家は、そういった人を生み出さないために、積極的に介入したっていいんじゃないのか。
この場合、そもそも、そういった救う側と救われる側が「仲間」かどうかは問われていない。単に、救われる側の今の状態が、

  • もし自分がそうなっていたら

つらく思うだろうから、そういう場合は、国家が積極的に救済しよう、という形になる。つまり、その関係は「仲間」でなくていいわけだ。仲間でなくても、今その救われる側の「様子」が、「もし自分がそのようになったら耐えられない」と思えば、「もし自分がそうなったらだれかに救ってもらいたい」のだから、今、この人を救う、という論理になる。
つまり、この論理から行くと、「敵味方」の区別は、必要なくなっている、と言えないだろうか。言ってみれば、これは「敵味方」を越えて、成立している論理なのだ。
つまり、どういうことか。ロールズの正義論は、たとえ「敵」だとしても、成立する、つまり、たとえ戦争だったとしても、ロールズの正義論によって、

  • あまりに「過激」に殲滅することは防がれるべき

ということになるのだろうか。
そもそも、シュミットが言っていることは、なんなのか。シュミットの言う「敵味方」において、相手を滅ぼすことは目的ではない。むしろ、相手に対する、徹底した「無関心」なのではないか。それは、逆に言えば、分からない相手への謙虚さ、でもある。
相手を「敵」と言うことは、つまりは、そう簡単に相手に「共感」しない、という宣言だと言えるだろう。しかし、それは必ずしも正しくないとは限らないのではないか。自分が理解できない相手、よく分からない相手に対して、なんでも分かっているかのように、ずけずけと相手の懐に入っていくことを、抑制することになる。
逆に、味方とは、「自分が相手をどこまで分かっているか」の、その「ものさし」を示している、と考えられる。隣近所に住み、いつも、町内会で活動をして、子供の頃から、遊んで親しい。それは、

  • 自分がどこまで相手を分かっているか

の目印であって、つまりは、この「範囲」において、味方と「する」ということを意味している。
味方とはなんなのか。それは、アプリオリに存在するものではない。あくまで、後天的に「獲得」する感覚なのだ。日本人が中国人や韓国人を「知らない」その範囲において、彼らを

  • 味方

と呼ぶことは、ある種の「傲慢さ」を意味する。それは、尖閣において、国家所有を「中国が嫌がっている」「中国は今の関係をなるべく進めたくない」にもかかわらず、

  • こんなことは大したことはない

と、自分が中国人でもないくせに、勝手に判断して、中国を非難する日本の姿勢は、どこか、

  • 勝手に相手を自分の「友達」だと自称している

自己中野郎の臭いがする。
同じことは、日本人にとってのアメリカにも言えるだろう。なぜか、日本は日米安保などの関係から、アメリカを同盟相手、つまり、「仲間」だと思っているが、そもそも、日本人はアメリカ人を「知っているのか」? 日本で暮らしている上で、アメリカ人と、どんな関係があるというのか。年に何回、アメリカ人と話している? そもそも、アメリカ人と話したことすらない人なんて、いくらだっているんじゃないのか。
日本は、アメリカを「仲間」と思っているんじゃなくて、「庇護者」と思っているだけなんじゃないのか。なぜか、彼らが、自分たちが困ったとき、助けてくれると思っている。ところが、アメリカが困っているとき、日本が助けなきゃならないと思っている人がどれだけいるのか。
私は逆に、シュミットの言う、「友敵」を、私たちは、どこまで本気(マジ)で考えているのかが疑問なのだ。
「友」になりたいなら、なにをやるのか。日本が世界中から孤立したくないなら、なにをするのか。
なにか、世界には「普遍的な人権」なるものが存在して、それを勉強すれば、世界中の人を代弁できるようになる、というような、
普遍主義的「立場」
なるものがあるかのような、傲慢さをどこかに、持っていないか。
もっと、泥臭く、相手に話しかけ、自分を知ってもらい、少しずつ、一歩一歩、「実績」を作っていくことで、始めて、その関係を「仲間」と呼べるようになるのではないのか。
しかし、たとえそうであったとしても、その道程は長く厳しい。それは「逆」においても言える。つまり、なにを、自らの生命を賭けてでも、守りたいと思えるかは、そう簡単ではない。
もちろん、だれもが自分自身に対して、そういった気持ちになることは、自然なことと言えるだろう。そして、自分の家族に対してなら、また、同じように思うだろう。また、自分の育った場所、生活している近くに対してまでは、同じような感情を持てるかもしれない。しかし、じゃあ、それが一気に「国家」に対して、生命を捧げたいとまで、飛べるだろうか。そもそもその国家の「誰」の命令なら、従ってもいいと思えるのか。そんなに簡単なものではないだろう。
近年のグローバル社会の進展において、「市民」や「国民」という言葉が、どこかアナクロニズムな印象を大きくしているように思われる。しかし、たとえ、その直接の指示する内容に対しては、あまり大きな意義を感じなくなったとしても、

  • どのように人間関係を深くしていくことが人の道なのか?
  • どのように疎遠な国々の人と親しくなっていけるのか?

こういった問いは、変わらず普遍的に存在するはずなのであって、つまりは、人間と人間の「関係」は、どのようにあるべきなのか、ということにおいては、少しも、終った話ではない、ということになるのだろうか...。