日本最大の謎

時々、日本人にとっての究極の「謎」ってなにかな、と考えることがあるが、それは間違いなく、明治維新になるのではないか。
なぜ、江戸幕府は崩壊したのか。いや。崩壊するのはいいのである。なぜ、それが、ほとんど「抵抗」もなく、レジームチェンジを受け入れたのか、なのである。
一般的に、こういった権力構造が変化する場合に、なぜ、人々が「それ」を受け入れるのかを考えたとき、二つのケースが考えられるだろう。

  • レジームチェンジ前の、権力者たちが、チェンジ後も引き続き、権力を掌握し続けたから。
  • レジームチェンジ前の、権力者たちが、そもそも、自らの手にしていた権力を自分の「所有権」と考えていなかったから。

この二つを見たとき、前者は多くの人にとって、違和感を感じないのではないか、と思われるが、普通に考えると、そうなら、それをレジームチェンジと言わないのではないか、と聞こえるだろう。
ということは、どういうことか。
つまり、前者は確かにそうなのだが、そこには、後者の側面が深く関与しているため、前者の「不完全」さを、後者が補って成立している、ということになるのではないか。
しかし、問題は後者で、後者は普通に考えると、あまりにも「異様」だ。自分の権力を「自分の物と思っていない」とは、どういうことなのか?

那覇 (中略)中世までの武士なら自分の土地に土着している封建領主で、その意味でヨーロッパの貴族に近かったけれども、戦国時代に城下町に集住させられて殿様から給料をもらうだけのサラリーマンになったから、その意味では、江戸時代の武士は西洋貴族よりも、中国の科挙官僚に近い。試験でなく世襲で選ばれている点が違うだけで(笑)。
これは、鎌倉幕府法からコモンロー的な法の支配につながる道があったはずなのに、それが消えたという問題の続きでもあります。日本人は「江戸化」する道を選んだ時点で、「中国化」と同時に「西洋化」の可能性も捨てた。社会的エリート層が自己の所有する土地を基盤に立法府を構成して、法制定を通じて王様を縛るのではなく、むしろみんなして殿様の子分として行政府に入ってしまって、要は「裁量行政」の旨みを吸うことで、実質的に自分たちの既得権を守るというかたちを選んだ。

「日本史」の終わり  変わる世界、変われない日本人

「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人

私たちが後者を異様に思うことは、私たちが、そもそも、東アジアにおける律令的な感覚、御恩と奉公の関係を理解しなくなっているということなのかもしれない。
江戸時代において、武士とは何物だったのだろうか。上記の引用において、著者はそれを「中国の科挙官僚」に近いと言っているわけであるが、江戸幕府がすでに、天下を統一した時点で、日本中にある、あらゆるものは、江戸幕府の将軍のものであったわけであろう。
そこにおいては、ヨーロッパにおける国王を、封建領主や商人たちが、法によって、コントロールしていこう、というような、ブルジョア革命的な、緊張関係は見られない。
むしろ、江戸幕府の将軍は、戦国時代までの儀礼的な戦(いくさ)の過程を経ることによって、

  • 天下

を統べる者としての、律令的な関係に位置付けられている、というような認識に変わっている。つまり、武士は、あくまで、この「秩序」に従属する、従属変数なわけだ。
しかし、そうであることが、必ずしも、彼らをして「奴隷」的な精神状態に置かせることになるとは限らない。もちろん、日々の営みは「忍従」だったとしても、そういう意味でなら、日本中の人々が「忍従であった」と言ってもいいわけで、自由とは、そういった「忍従状態」に対する、相対的な何かなのであるから。
それは、明治以降における、日本の国家官僚が、何度も反乱(クーデター)的なサボタージュを代表とする抵抗を行ってきた、現前とした歴史が示しているとも言えるだろう。彼らは、別に、政治家の奴隷ではないわけで、それは、江戸時代における、武士と将軍との関係にも似ている。
江戸時代において、果して、武士が持っていた石高や、屋敷などを、「彼ら自身の物」という自覚がどこまであったのかは疑問だ。天下が将軍と同一視されていたとき、自分の地位も財産も、将軍のご機嫌に依存することは、自明であったはずだ。それが、「官僚」という意味であって、つまり、彼らの権力は将軍と「独立していない」ということなのである。彼らが権力的でありうることは、将軍が権力を「持っている」ということに、完全に、
従属
している。
だとするなら、明治維新が、なぜ、あそこまでスムーズに達成しえたのか、の理由を説明することにもなっていたのではないか。
明治維新において、まず行われたのが、華族という「身分」の創設であろう。この地位は、基本的には、国家へ、それ相応の貢献をした人に与えられる、今のイギリスにおける貴族の称号のようなものだったわけで、そこに、真っ先に、江戸幕府の将軍家は、地位を与えられ、その地位は、小規模ながら、ずっと、続く。
華族は、別に、「ご公務」のような、国家運営上の「役割」を与えられているわけでもなく、たんに、「偉い人」となっている。
つまり、明治維新が行ったことは、国家官僚を、武士というような、世襲による存在によって担わせることをやめて、日本全国から選ぶ、中国の科挙に近い選抜手法に変えた、というところにあるのであろう。
しかし、実際には、江戸時代だって、武家家督の相続においても、養子が非常に多かったと言われるように、実際は、それなりには、能力のある子供が選抜されている側面はあったのだろうが、それを、もっと直截に始めるようになった、ということなのだろう。
つまり、明治維新以降であっても、それ以前の武家にとっては、

  • 華族
  • 選抜を経ることによっての国家官僚

といった手段が用意されているわけで、逆に、重い「役割」から解放されながら、華族といった「身分」への道も用意されていたのだから、そんなに悪い話ばかりではなかったんじゃないのか、とも考えられるだろう。
(最初の出発点として、国家官僚になれるような、英才教育をほどこせるような家柄が、元武家のような所ぐらいしかなかったのではないか、というふうにも考えられるわけだ。)
しかし、多くの人は、上記のような説明にまったく納得できないだろう。なぜなら、武士というのは、それなりに多くの人たちで構成されていたからだ。つまり、

  • 下級武士

にとってみれば、どう考えても、明治維新のようなレジームチェンジは、圧倒的に、損なだけで、納得できないように思われるからだ。
恐らく、そういった武士の不満を、明治政府は、「日本帝国軍人」という形で、身分保証していったのではないか、と考えられる。そして、少なからず、日本のそれ以降の国家形成は、軍隊が中心に進められているようにも思われる。軍隊がそれなりに、戦果を上げて、勲章を与えられることを目的とするような形で、日本の軍を全面に出した(軍に先導されるような)、国家運営が特徴付けられるように思われる。
日清戦争から日露戦争日中戦争、太平洋戦争と、基本的に、なにかしら、

  • 軍の暴走

のような印象が色濃く印象付けられた感じを持つわけだが、そこには、江戸時代における、武士階級が、帝国軍隊に、スライドし、

  • 実際の国家運営は軍隊(=武士階級)が行っていた

というような関係が、少なくとも、帝国軍隊のエリートたちの意識には、あったのではないだろうか。
そのように考えたとき、私は、現在の日本から遡って、最も、「革命」的なレジーム・チェンジは、第二次世界大戦における、敗戦による、アメリカの占領だった、ということになるのだと思う。
そこで、いずれにしろ、日本の軍隊は、完全に解散させられた。また、華族の地位もなくなったことからも、つまりここで、武士階級は、完全に崩壊した、ということなのだと思うわけである。
だからこそ、石原都知事を始めとして、大阪維新の一部が、戦後憲法を「無効」にして、明治憲法

しようという画策が、模索されるわけであろう。
では、ここで、日本の武士以外の人たち、特に、農村の村人たちを含めた、日本人全体にとっての、「権力」とは、どういったものであったと考えるべきなのだろうか。

那覇 (中略)こういう空気の下で社会を運営していれば、寄り合い的な「疑似全会一致」の風習が改まらないのも当然です。つまり党派が割れること自体を恥じるのと同様、「どこからもクレームがつかないこと」を最重要視してものごとを進めるのが日本人だから、ケチがつかないように事前にあらゆるところに根回しをする。
こうなるゆえんも究極的には、江戸時代の身分制秩序が「治者と被治者の入れ替え可能性」を想像の枠外に置いてきたからだと思います。とにかく統治者は武士で、百姓は被治者と決まっていてそこは動かせないのだから、統治者の側の暴政を防ぐ上で、「そんなことをしたら、お前を統治者の地位から追放してやる」という言い方はできない。
では、どこでプレッシャーをかけるかというと、「われわれは拒否権を行使するよ。対立があるということを天下にあからさまにして、騒ぐよ」というところで、脅しをかけていくしかない。
「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人

党派が割れるということが、どういうことなのかを考えたとき、そもそも、国家とは、国家主権を封建領主や商人たちが、法によってコントロールしていこうという、

  • 二つの権力の主張の「ぶつかり合い」

が前提にされている、ということなのだと思われるわけです。つまり、すでに「対立」が前提になっている。世の中には、なんらかの対立がビルトインされているのであって、だから、対立した勢力が、
アプリオリ
に存在することは、自明のこととされる。
ところが、東アジアにおける、律令的な「天」の政治においては、「意志」なるものは、すでに、「天」と同一視される王様が代表してしまっているわけで、そもそも、対立があることが、おかしい、ということになる。
つまり、権力の「交代」が、想定されていない。東アジアにおける、

  • 官僚の無謬性

とは、つまりは、このことを意味していると考えられる。官僚が導く「天のことわり」は、唯一であって、ということは、

  • 矛盾しない

ということである。つまり、もしも官僚の作った法律が「間違っている」というようなことがあったなら、それは「王の意志に反している」ということになって、大きな「不忠」を指唆していることになる。
しかし、そもそも党派があることが自明と考える前者においては、官僚の主張する「間違えない」という命題が、そもそもの、最初から意味不明なのだ(なぜなら、対立があることが当たり前なのだから、
違う主張
が並立することは、たんに普通に起きるだけでなく、「そうでなければならない」とさえ言えるわけだから)。
よって、政策遂行者が、どんどん代わっていくことも、少しも不思議なことではなくなる。
そのように考えたとき、官僚の無謬「信仰」に私たちは、どのように向き合えばいいのだろうか、は上記の引用が指唆していると言えるだろう。つまり、

  • 自分たちは「それ(=官僚の作文)」を認めない

と言い続けることになるだろう。それが、反原発デモ(=反原発一揆)の意味だったと言えるのではないか。
原発への「反対」を一貫して主張することによって、官僚たちに、「疑似全会一致」信仰への「疑い」を醸成するわけである。官僚たちが自分たちが「天のことわり」を代弁しているという思い込みが、こういった長期的な反対運動の
連続
を前にして、「天子様に申し開きができなくなる」つまり「不忠」の可能性を示すことになる。つまり、そういった、疑問を持たせることによって、漸進的に、官僚の姿勢を変えていく...。

那覇 サンデル教授の授業ではないですが、いかなる社会がフェアかという問いに最終解はないので、大衆的に支持される答は国や文化によって異なります。日本の場合は地位の一貫性の低い江戸時代に、「誰もどこかで勝ったら、別のどこかで譲るのがフェアだ」と考えるメンタリティができて、それが満たされるなら世襲も身分制もOKということになった。
逆に中国の場合、皇帝の官吏になった連中が「全部独占」するけれども、その地位は科挙という形で競争にさらされており、かつ世襲できないから一代限りでころころ入れ替わる、というところでフェアネスの感覚を確保した。ヨーロッパは法の支配の伝統があったので、「法の下の平等」がフェアネスの最大の基盤になった。
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例えば、ルソーによる「一般意志」において、私はルソーが、ホッブズの社会契約を「前提」にしていたと考えられる、という部分を重要視する。
つまり、いずれにしろ、国家は一つの意志で統一されることになる。それは、言わば、「社会契約」の結果なのであって、対立しているということは、

  • まだ国家になっていない

と考えるのだと思うわけである。つまり、ここにおいて「国家の同質性」が、重要視されていると考えられる。
ルソーは政党を否定するが、それは、逆説的に聞こえるかもしれないが、国民は、「個人」として発言することを強いられるわけである。なぜなら、先ほどから言っているように、
政党
ができるということは「対立」が「ある」ことが、前提になっているからだ。ところが、(ホッブズの言う)社会契約をしたのだから、なぜ、同質でないことを前提にするのか、ということになるわけであろう。だから、逆に「個人」で、いなければならない、というわけなのである。
しかし、国民が「個人」としてあることを強いられているということは、つまりは、

  • 国家に対抗する勢力を国民は「構成」できない

ということを意味しているのであって、一つの国民支配の手段を意味していると考えるべきであろう。一見、個人として発言することは、多様性の肯定のように聞こえるが、そう考えてはいけない。

  • 全員には一人一人の意見が「それぞれ」ある

という事実が、

  • 「それ」が「象徴」として「一般意志」と等値できる

という形に、変換して「いい」と主張していたのが、ホッブズの社会契約であったわけで、つまり、

  • 契約したんだからOKなんだろ?

と言っているに等しいわけだ。
しかし、上記の引用にもあるように、国民が何を「フェア」だと感じるのかは、それぞれの国民が決めることであって、別に、アプリオリにその「形式」があるわけじゃない。もっと違った合意形成が、あったって、別に、なにも悪くない。
もっと言えば、つまりは、「自治」ということなわけであろう。上記の引用にある、日本人のフェアネスの感覚は、ようするに、「疑似全会一致」における、村社会の合意形成の方法なのであって、つまりは、地方自治でやればいいんじゃないのか、というふうに読める。
しかしそう言うと、じゃあ「損切り」をどうやって進めばいいのか、とか、迅速な意志決定をどうすればいいのか、みたいな話になるわけだが、上記にあるように、日本人の合意形成は基本は上記のような形なのだから、基本は、その中で模索していくことをベースに考えるということなのだろう。
どんなに、国家レベルで「意志」を、仮構してみたところで、どうせ、嘘なら、説得力は弱いわけで、だったら、地方自治で、現場で、狭い範囲で、「疑似全会一致」であれ、正当性を地道に作り出していく努力の先に、未来を展望するという、地道な手法から始めることを「さぼる」ことはできないという、至極「まっとう」な結論といったところだろうか...。