原発一般意志2.0

株式や保険の世界では、よく、ポジション・トークということが言われる。この場合、その発言をする、著名な市場関係者は、あくまでも、「予測」であるので、「風説の流布」のように「嘘」と区別されます。
しかし、この事態を、「利益相反」ということから考えたとき、「嘘」でないから、「許される」行為である、とは、簡単には言えない面があることを理解されるのではないでしょうか。
なぜなら、その市場関係者は、それによって、損をまぬがれることになったとしても、国民はその「予測」によって、損をする。つまり、
非常に多くの人が損をする
ということが予想されるからである。
では、ここで、利益相反について考えてみよう。wikipedia にある例から、

  • 住宅の強度を検査する民間会社X
  • 住宅メーカーY

があったとします。ここから、次の関係が成立しているとしよう。

  • XのYに対するチェック(という関係)Hを厳しく行うことで、Yから住宅を買う国民Zの利益は増大する。

整理すると、

  • H↑ --> Y↓&Z↑
  • H↓ --> Y↑&Z↓

である。ここで、

  • ある人A

が、Yの社長、だったとする。この場合は、

  • Y∈A&H↑ --> Y↓&Z↑&A↓
  • Y∈A&H↓ --> Y↑&Z↓&A↑

が分かるだろう。
もしも、である。Aが、Xの株主だとしよう。すると、どうなるか。Aは、Xの株主になったのだから、Xの方針を決定することができる。Aは、なんとかして、自分が損になることを避けようとするのだから、当然、チェックHの弱体化を目指すであろう。つまり、どういうことになるか。

  • Y∈A&X∈A --> H↓ --> Y↑&Z↓&A↑

つまり、

  • Y∈A&X∈A --> Z↓

なんと、すべての国民は、自分たちが買う家の品質が落ち、「損」になるのだ。
一体、何が問題だったのであろう? 言うまでもない。Y社の社長Aが、チェック会社Xの株主になってしまったからだ。
これが、「利益相反」である。
Y社は、なんとしてでも、チェック会社Xが「がんばらない」ように、手練手管を尽してくる。しかし、その活動が、行われれば行われるほど、今度は、国民(全員)の利益が毀損される。
この関係を、近年の原発に適用するとき、何が見えてくるだろうか。
原発を動かす」という関係M、においては、次の二つの関係が成立している。

  • 国:動かしたい。
  • 国民:動かすのをやめてほしい。

国にとっては、原発を動かすことによって、「わざわざ作った発電所」を有効に活用することで、原発を作ることによって発生したコストの元を取りたい。しかし、国民は、福島第一の惨状を、まざまざと見せられたことで、

  • あれを自分の住んでいる町でやられたら、たまらない。

という思いがある。つまり、利害の対立が、ここにあるわけである。
ここで、我らが「工作員」さんの登場である。
ある人A
が、「なんらかの行為」(という関係)K、をすることによって、国民Zの「原発をやめてほしい」という感情を抑えることができるなら、国Wは原発を動かしやすくなるだろう。ということは、

  • 国Wは、Aに、お金を払っても「割に合う」

と言えるだろう。つまり、

  • W∈A

が成立する。つまり、先ほどと同じように、原発の規制のチェックHは、

  • W∈A(K↑) --> A↑&H↓ --> W↑&Z↓&A↑

となる。つまり、またしても国民(全員)は損をこうむる。
原発の興味深い特徴は、ようするに、国家W、とすべての国民Z、で利害が対立している、というところにある。つまり、「原発を動かす」という関係M、という関係には、

  • M↑ --> W↑&Z↓
  • M↓ --> W↓&Z↑

という、「対照」性が成立している。一般にこういった国家と国民の関係になっているものとしては、

といった、「保守派」が主張してきたアジェンダと対応していることが分かるであろう。彼らが、さかんに「左翼」と呼ぶ相手とは、実在の存在ではなく、上記の
否定
つまり、自分たちが、上記のAになりたい、という考えに、
反対
する人として、彼ら「保守派」が、自分の妄想の中で、こしらえ上げた、
仮想敵
であることが分かる(これを、保守脳、と名付けよう)。
しかし、である。上記の、Aとは、どういうことなのか。国家Wは、Aにお金を払いたい。しかし、このAは、Aだけにとどまらない。国家Wは、上記のアジェンダに賛成してくれる、できるだけ、多くの人に、お金をばらまきたい。つまりこれは、

  • 公共事業

なのだ。
ここで、私たちは、発想を変えてみましょう。つまり、自分たちを、国家の側で考えてみるのです。もし、自分が国家であったなら、原発推進をしてくれた、だれに、どれだけのお金を払いたいでしょうか。どの有名人の、どの発言には、それだけの価値があると思うでしょうか。当然、有名人の方は、それだけ影響力があるわけですから、「お金のウェイト」が必要でしょう。自分がもし、国家だったらと考えてみて、どの人に、どれだけのお金をあげたいかを、計算してみよう、ということです。
ここで大事なことは、だれにどれだけのお金をあげたいかは、実際の国家への「貢献」を計算するわけではない、ということです。なぜなら、もし、国家の利益と、国民の利益が一致していることについて、貢献しているなら、それは、国民との対立にならないので、別に、お金をあげなくても、どうせ、いい方向に行くからです。
ここで、お金をあげたい「行為」として選ぶのは、あくまでも、上記に列挙したような、「国民の利益と国家の利益が対立する」場合、であることを、理解しましょう。しかし、かといって、その行為が、「善」か「悪」かを議論するわけではありません。あくまでも、「国家と国民が対立している」アジェンダに対して、これらを行います。つまり、そういった「善悪」を、ここでは問うていないところが、非常に特徴的であるわけです。
こうして、一人一人について計算し、まとめることで、

を行うわけです。「国家のためだから」。国家が、もしも、国民にお金をあげたり、コマーシャルを作ってもらったり、公共事業を行ってもらいたいときに、だれに優先にやってやりたいと国家は考えるのか、の指標として、もう、あらかじめ、私たちで、

  • 計算しておいてあげる

わけです。私は、以前紹介した、原発御用学者リストの wiki は、とてもよくとできている、と思っていますが、例えば、ここに載っている有名人の方たち、一人一人の、金額がどれくらいになるのかを、計算して、まあ、この際だから、国家に、その金額を、それぞれに払っちゃってもらってもいいかもしれません。
なぜ、私が「払ってもいい」と言っているかといいますと、つまり、それを「公開」しよう、ということです。私たちは、自分がこれで、いくら、国家からお金をもらったのかを、常に、公開しなければいけない、とする。ツイッターで、自分のアカウントの下には、常に、過去から国家からこれによって、もらった金額と、今月もらうことになる、金額を常に、表示してもらいます。そして、この金額は、一生消えないようにするわけです。
こうやって、「公開」することが重要だと言っているわけです。つまり、そうすることによって、私たちに、「こんな国家で本当にいいのか」を考える、プロセスにつながるのではないか、と思っているからです。
(私の考える、利益相反対策は、ちょって変わっていたかもしれませんかね...。)