原発とリバタリアニズム

いつの時代も、パターナリズムに耐えられないと思う人はいるのではないだろうか。

  • 自分の子供を義務教育に通わせたくないと思っている人。
  • 福島第一の半径20キロ圏内に住みたい人。
  • 法律で禁止されている、放射性物資に汚染されている、食糧を食べたい人。
  • ドクターキリコに、自分を安楽死にしてもらいたい人。
  • 一夫一婦制ではなく、-多夫多婦制にしてもらいたい人。
  • iPS細胞で、自分のクローンを作りたい人。
  • アメリカのように、拳銃を所持して、自衛したい人。
  • 原発を好きなだけ動かしたい人。

まだまだ、あるだろうが、言いたいことは、つまり、リバタリアニストは、

  • 禁止されたくない

のである。やりたいことに、理由なんていらない。とにかく、やりたい。禁止されたくない。もっと言えば、

  • 禁止されているから、やりたい

と言っても間違いではない。つまり、「やりたい」「やりたくない」が問題ではない。なんだろうが、

  • 禁止されている

という「事実」が、「生意気」で許せないのだ。なんであれ、

  • 禁止されるくらいなら、死んだほうがまし

というわけだ。それが「自由」だというわけだ。そんな、ある、リバタリアニストが、ある日、自分の家の庭に、原発を作ったとしよう。そして、家のお風呂を湧かすのに、その原発由来のお湯を使ったとしよう。
ある日、そのリバタリアニストが、急に、心不全で死んだとする(まあ、その原発由来の、放射性物質でガンになって、死んだ、でもいい)。その場合、そこには、原発が放置されることになる。
さて? これは誰が管理するんでしょうね?
同じことは、今、日本中にある、54基の原発と、そこから出た放射性廃棄物についても言える。ある日、東電を始めとする、日本の大手電力会社が、軒並み、倒産をして、社長を始め、みなさん、夜逃げをしたとしよう。
(みなさんは、こんな「空想」、奇想天外で、トンデモだと言うかもしれない。しかし、この日本でだって、借金で夜逃げなんて少しも、めずらしくない話であるし、そういえば、3・11のとき、東電の社長が、病気を理由に、一ヶ月、雲隠れしてましたね。また、東電社員を全員引き上げるかどうかの騒ぎなんてのもありました。私は、もし、あの時、本当に危険だったなら、逃げるべきだったと思うわけです。今だってそうです。危険なら逃げてほしい...。)
さて。
どうしましょうか。
どこかの誰かは、国家が始末すべきだ、と言うかもしれない。しかし、リバタリアンが自分の責任で、やったことですから、なんで国家が、そんな尻拭いをしなければならないのだ、となるだろう。もし、尻拭いをしなければならない、などということが分かっていたら、それのどこがリバタリアニズムなんだ、ということになるだろう。
だれも動かそうというモチベーションがないのですから、日本中の原発は、そのまま、放置され、野晒しにされ、何十年、何百年と、そのまま。だれも、近づくモチベーションもない。動かさない限り、ただの、コンクリートの塊の、ゴミですから、まあ、邪魔ですけど、片付けるにしても、どこにも持っていく場所がない。とりあえず、だれも、近づかなければ、いずれ、だれも、そこになにがあるかを分からなくなる。とにかく、その周辺に近づかない方がいい、という「タブー」だけは、後世に引き継がれて、...。
(そのまま、放置は、テロに使われる可能性を考えたら、危険ということなんでしょうけど、そういう意味では、今の状態だって、十分テロに襲われる可能性を考えたら、危険なんじゃないですかね。北朝鮮のミサイルに、原発を狙われたら、どうなるんですかね orz。)