小野善康『「脱原発」は今最も効果の大きい経済政策である』

我々が驚いたのは、復興予算と呼ばれていたものを、民主党が、かたっぱしから、東北の復興と、なんの関係のない所に使っておきながら、今だに、

で「なんとかやり通せる」と思っていることであろう。おそらく、いろいろな既得権益集団に対して、
飴玉
をここで渡すことで、選挙を有利にしたい、ということだったのであろう。
民主党は、マニフェストにまったく書いてなかった、消費税増税を、自民党と行うことで、事実上の、

  • 自公

の2大政党という形の、

  • 民自公

の(裏で手を結ぶ)一党独裁大政翼賛会」をやっていたわけだ。
自民党に対し、民主党を「対立」する二大政党として構成することで、民主党政権が選挙によって誕生しておきながら、民主党はことごとく、公約を反故にして「自民党の公約」を実現していった。だから、民主党が多くのマニフェスト違反となったことは
当たり前
なわけだ(そもそも国民は野田さんを選んでいない)。
つまり、日本において、二大政党制は、意味をなしていない。というのは、民自公の「独裁」とは、財務省の「独裁」と同値だからだ。基本的に、この「独裁」は財務省の独裁である。
それに対して、今、第三極と言われている日本維新の会は、地方自治と言っているという意味では、財務省と対立しているであろうが、しかし、
それ以外
においては、そもそも、「民自公」と変わらない。つまり、やっぱり、

  • 民自公+維新

の「独裁」なわけだ。今回の選挙の争点は、だれがなんと言おうが、

であるはずなのに、この「民自公維」グループは、基本的にそこにおいて対立がない。もちろん、民主党脱原発を言いたい人を中に抱えているということは、そうなのかもしれないが、今民主党が言っていることは、

  • 2030年代

ということなわけで、つまりは、

  • 今は脱原発をしないこと「だけ」を決めました

つまり、脱原発「したくない」というふうにしか聞こえない。民主党内のそういった勢力が、例えば、原発再稼働の動きに、それなりの抵抗を行ったとしても、基本的に

を大量に内部(与党内)に抱える限り、その圧力に抗えないだろうことは予想できる。つまり、原発問題は次のように対立軸を変えなければならない。

こうすれば、今まで、いかにも「自分はいつかは脱原発しなければならないと思っているという意味で脱原発派」みたいに口先で人をたぶらかしていた連中を、事実上の原発推進派だと認定できるのではないだろうか(つまり、私の分類では、

となる。大事なことは「正名」である)。
よって、選挙の争点は、かなり明確になってきた。

おそらく、「民自公維」が政権をとった場合に、次々と、原発を再稼働してくるし、消費税を次々と再現なく、増税してくる。
それが嫌なら、「国民の生活が第一」を中心とした「第二極」に投票するしかないように思うのだが、

  • 小沢一郎さんへの検察による積年の政治生命潰し(この構造は田中角栄とまったく同値だ)

が続いていて、国民に小沢さんは「犯罪者」のイメージがはられていて、この攻撃が、終わることがないように思われるだけに、なかなか厳しい状況が続いている。
しかし、いずれにしろ、こういった「イメージ」攻撃に、国民が負け、自分たちが損をする消費税や原発推進に投票して

  • しまう

ことが続く限り、日本の政治が変わることはない、ということなのだろう。
独特のケインズ経済学的な主張をする、管政権の経済ブレインと呼ばれた、小野善康さんが、掲載のインタビューで、むしろ「経済学」の側面から、

  • 脱原発」は経済政策として正しい

と主張しているのは、非常に特徴的であるように思った。

要するに今の日本は、安全で安心な生活を送るために少々我慢しましょうという派と、脱原発なんてことをやったら日本経済は大変だっていう派に分かれている。それで、反原発の動きが民衆の運動にまでなって、何か悲壮感すら漂っていますよね。でも、脱原発自然エネルギーの推進というの、そういう対立項を生み出すものじゃないんです。むしろ日本経済にとってはいいものなんです。

一般には、池田信夫を始めとして、脱原発をすれば、年間で何兆の赤字だとか言って、ふき上がっているので、経済学者は、全員、原発推進なのか、と思われているかもしれない(そもそも、池田信夫は、ビルゲイツと一緒に原発を推進する利害「当事者」だが、こいつが、多少、原発推進に批判的な報道に対して、

と「経済学者という肩書を使って」相手の信用を失墜させようとレッテルをはるのは、利害「当事者」としては「当然」であり、御用学者としては「露骨」なヤクザ・チンピラということであろう)。
しかし、問題は、「失業」だ、と掲題の著者は考える。失業が多いということは、労働力が余っている、ということである。彼らには、失業保険を払わなければならないわけで、すると「なんとかして、社会保障の額を減らせないか」みたいな、本末転倒な話ばかりがでてくる。

けれど、現実の日本はずっと不況で、人も生産能力も余っていますよね。そうすると、新しいことを始めるのに、これまで100個作っていた所から生産力を奪ってくる必要はなくて、余っている生産能力を使えばいい。

つまり、社会保障をあげたくなかったら、みんなに働いてもらえばいい。つまり、仕事場を与えればいい。原発が日本で、今後、動かせない、となったら、否が応にも、日本は、再生可能エネルギーをどんどん推進していかざるをえなくなる。つまり、再生可能エネルギー産業が、たくさんの労働者を雇ってくれることになるかもしれない。
では、原子力をやめることで、電気代が上がることになるんじゃないか、という点については、どう考えているのか。

とりあえず、すべての製品に一律に電気コストがかかったとしましょう。本当は製品によって電気料金値上がりの負担が違いますが、それについては後で話します。それで、その一律値上がり分を価格に上乗せしたとすると、日本全体の物価が一定率で上がったのと同じです。

日本全製品の相対的な価格は変わらないから、それらの相対的な売上げ比率も変わらない。だから、全部の値段が上がるっていうことは、お金の実質的な量が減ったのと同じなんです。

それじゃあ、日本国内のお金の量が下がったら、全般的に物が売れなくなるか? と言えば、図1の「マネタリーベースと名目GDP」というグラフを見ていただきたいんですが、このグラフが示しているのは、90年代からのこの20年間で日本のお金の量は40兆円から110兆円まで増えたり減ったりしているんですね。にもかかわらず、GDPはほぼ横ばいのままです。つまり、お金の量がこれだけ増減しても、みんな物を買う量を変えていない。

つまり、ここで問うているのは、「人々が物を買う量」である。よく考えてみよう。なんにせよ、「買う量」が変わっていない、ということは、いずれにしろ、

  • 生活の質が落ちていない

ということである。いつもは買って便利だなーと思っていた商品を、ある日から、「あきらめよう」となったとき、それは「生活の質が落ちた」と言えるでしょう。しかし、そうなっていないとするなら、私たちは、

  • 困っている

と言えるのでしょうか?
しかし、たとえその理屈が通ったとしても、実際に「手持ち」のお金が減ることは、大変なことと言いたくなるかもしれない。

じゃあ、再生可能エネルギーに転換した場合、平均的な日本企業にとってどのぐらいの費用負担になるか。これを計算してみました。たとえば、仮に電気料金が現在の1・5倍になったとする。経済団体は、日本経済が大変だって、あれだけ騒いでいるんですが、いったいどのくらいコストが増えると思いますか? これが、たったの0・75%程度なんです。何も知らないと、10%ぐらいは上がるんじゃないかって思いますよね。

これってどのくらいのダメージかを為替変動にたとえると分かりやすいんだけど、今、1ドル=80円だとしますね。それが0・75%円高になったとすると、1ドル=79円40銭になる。もし電気料金がもっと上がって2倍になっても、円高で78円80銭になった程度のダメージです。こんな程度の為替変動は日常茶飯事ですね。それなのに、これでは世界に負けるから海外移転だ、と騒いでいる。騒ぎ過ぎでしょう。

ここで、非常に重要なことを言っている。日本の多くの企業も個人も、「ほとんど電気を使っていない」。ということは、どういうことか。

  • 無茶苦茶使っている一部の企業が存在する

ということなのだ。その企業は湯水のように電気を使うことで、自らの産業を維持している。もしも、そういった企業と、その他、ほとんど電気を使っていない企業や一般家庭が、

  • 同じ電気料金を払っている

のであれば、その一部の大量電気消費企業は、大変だ、ということになるであろう。ところが、そういった企業は、そもそも今でさえ、非常に優遇されていて、ほとんど払っていないわけだ。しかし、それでも、電気代が上がれば大変になるだろう。
じゃあ、どうするか。
「そこまでして」日本にその企業がいなければならない、というんなら、またさらに「値下げ」してやるしかないんじゃないんですかね?
それだけのことでしかないんじゃないですかね。
私には、一部のワーキング・プアのような人が、脱原発に反対する理由が分からない。だって、電気代が100倍になるっていうわけじゃないでしょう? そもそも、ワーキング・プアの人は、ほとんど電気を使わない生活をしているんでしょう? むしろ、電気代が上がることなんて、

  • 関係ない

に近いんじゃないんですかね(自分を大量電気消費企業だと勘違いしているんですかね)。むしろ、それによって「仕事の機会が増えてほしい」んじゃないんですかね?

けれど一方で、まったく逆の動きも起こっています。このあいだ、日本企業はしたたかだなと思ったのは、これからのR&D(研究開発)投資の品目を調査したときに、どういうものがトップにきているかというと、やっぱり蓄電池であったり、新しいエネルギー関連の開発であったりしている。だから、ちゃんと一方では、あ、それは儲かるなと、じゃあやろうってすでに動きだしているんですよ。

例えば、アラブの石油を買って、日本の赤字が増えて、大変だと言っている経済学者がいるが、じゃあ、なんで日本は「黒字」なんだ?

  • ケチって海外から物を買わない

からじゃないのか? さんざん、海外で物を売っておきながら、日本自体がなににもお金を使わないで、とにかく、貯金だけ増やしていれば、そりゃあ、
円高
になりますよね。そうしたら、つまりは、日本の商品は海外で割高になって、競争力がなくなって、売れなくなる。それが、今の日本の現状ですよね。
だったら、多少の赤字は、それが「必要」なら、ありでしょう? だって、赤字になって、日本の円の価値が下がって、「円安」になれば、国内で生産して輸出する日本の製品の海外での相対的な価格が下がることで、国際的競争力を保てて、国内の雇用を守れるじゃないですか!

たとえば、日本という人がいて、一生懸命稼ぐばかりでほとんどお金を使わないとしまう。そうすると、その人の資産はどんどん貯まっていきますようね。言ってみれば円っていうのは、その日本という人が振り出している手形なわけですよ。これだけ稼いで資産を貯めこんでいる人が振り出した手形なら、価値が上がるに決まっています。これが円高です。それに対し、天然ガスを輸入すれば、その反対をすることになる。経常収支を悪化させるような消費を始めたことになるわけですから、円安のほうに動く。そうするとこれは、輸出産業には有利になるわけです。

私が不思議でならないのは、そりゃ、損な買い物をするのは、得策ではないけど、「必要」なんでしょ? だったら、買えばいいですよね。そうすることで、「国民の生活が向上する」んですから。
蓄電池を作る企業が、その「必要性(=今後、原発がなくなることで、蓄電池の必要性が増大する)」が分かったら、技術開発に投資しますよね。そうすれば、いい品質の安い蓄電池が普及する社会になっていく。
再生可能エネルギーを作る企業が、その「必要性(=今後、原発がなくなることで、再生可能エネルギーの必要性が増大する)」が分かったら、技術開発に投資しますよね。そうすれば、いい品質の安い再生可能エネルギー製造機が普及する社会になっていく。
IT企業が、電気の「節約」の「必要性(=今後、原発がなくなることで、電気の節約の必要性が増大する)」と分かったら、技術開発に投資しますよね。そうすれば、サマートメーターなどの、なんとかして、無駄な電気の使用を減らせるようなIT製品の開発が普及する社会になっていく。
違うんですかね?
いずれにしろ、「失業」者を、この国は、どうしたいんですか? そういった人に働いてもらいたいんじゃないんですか? だったら、どうしたらいいのか? どうやって、そういう人に仕事を与えていくのか?
もう少し、日本の国民は、自分を「労働者」として、自分がどうやって、どういった「仕事」をもらい、働ける社会を実現するのか、そして、その労働が社会に役立てるようにしていけるか、を考えた方がいいと思うんですけどね...。

SIGHT (サイト) 2012年 11月号 [雑誌]

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