北野一『デフレの真犯人』

(videonews.com で紹介されていた本。)
日本が、バブル以降の、最も大きな変化が「デフレ」であることは、だれもが認めるところであろう。
では、日本のビジネス・サイドで、大きく変わったことを、二つあげるとするなら、非正規雇用の増大と株主配当金の増大ではないだろうか。
前者は、小泉構造改革として、人口に膾炙していることもあり、多くの人に、賛否両論の議論がかまびすしく続けられてきた。他方において、後者については、どうだろうか。
なぜ、バブル以降に、後者の増大が著しいのかは、一つの理由は、それ以前のジャパニーズ・カイシャは、基本的に、「系列」による、株式の持ち合いが、普通だったから、といえるだろう。しかし、バブル以降、その「反省」と一緒に、株式の公開、市場化、アメリカ化が著しく進むことになった。
しかし、問題は、それによって、何が起きたのか、であろう。それ以前の日本企業は、基本的に、企業は、株主に配当をしていなかった(配当金が0%と同様に考えていた)。なぜなら、株とは、自社の「系列」の間で、持ち合うものだったから。つまり、自社の株を持っているのが、基本的に、自分の「仲間」だったので、「配当」し合うということの「動機」が働かなかったから、ということになる。

株主から見ると、企業が稼ぐ利益も「金利」である。株主は善意で投資しているわけではない。預金者が善意で銀行にお金を預けないのと同じである。
日本ではリアリティを失いつつあるが、お金を預ける際に我々は見返りを求める。それが金利だ。株主も投資の見返りを求める。それが企業収益(利益)である。金利も利益も、お金をすぐに使う予定のない人が、他人にそのお金を預ける代わりにもらうものである。したがって、預金金利も利益も、基本的な性格は同じである。

その意味で、グローバル化で恐いのは、我々の人件費が中国の水準に下がることもさることながら、我々の「金利」がアメリカの水準に上がることなのである。

なぜ、日本は、これほど長い間、デフレが続いているのか。その脱出に成功しない理由が、たんに、日銀の通貨発行量の問題なのか。たんに、発展途上国の急激な発展にあるのか。
掲題の著者は、それに対し、日本企業の株式配当金の増大に注目する。

「物価は貨幣量で決まる」というアメリカの経済学者、ミルトン・フリードマンは、日本でも有名だ。しかし、資本コストが企業の意思決定を左右し、景気に影響を与えることを研究したフランコ・モジリアニは、1985年にノーベル経済学賞を授与されているにもかかわらず、日本ではほとんど知られていない。

アメリカの高い平均のROE(株主資本利益率)に、ひきづられる形で、日本の経営者たちは、外国人投資家たちの配当を上げろ、という要求に、負け、自社の実力に合わないような配当を払い続けることになる。
しかし、それは変であろう。なぜ、そこまでの配当を払うのか? そもそも、企業が、どこに資金を重点的に配置するかは、その企業の「戦略」に関係するはずだ。その企業が、今後、どういった方向に、発展を目指すのか。
言うまでもなく、企業は、今後の「戦略」を立てる。そうして、その戦略の「成功」によって、企業の「成功」を目指す。その「成功」の結果として、株主への配当が増えるという事態に至ることはあっても、問題は、その「戦略」のはずだ。
株主への配当を増やすことによって、その企業の足腰が弱り、企業「戦略」の、脆弱さに至るのであるなら、たんに、

  • 本末転倒

であろう。その結果、「株主」への配当は不可能になるどころか、倒産でさえ、ままならないだろう。
ところが、バブル以降の日本の経営者は、どうも、そういった「性根」が坐っていないようだ orz。

日本の企業経営者も、海外の投資家に会うたびに、「ROEの目標は何なのか?」「達成できたのか?」「なぜ、達成できないのか?」と責めたてられていることだろう。

つまり、「どうして、こんなに儲からないのか」、「なぜ、約束を守れないのか」、「もう言い訳は聞きたくない」、そう言われた時に、ちゃんと言い返してこなければならなかったのだ。

2011年度の決算説明会で、ある企業が、いきなり中期経営計画にROEの目標を盛り込んできた。「なぜ、急に、ROEの目標を入れたのですか」と聞く証券アナリストに対して、社長はこう答えたという。「自分は、四半期ごとに海外の投資家を訪問してきた。そのたびに、ROEの目標はどうなっているのかと要求されるので、それに応えたのだ」と。
あまりにも正直な社長の説明に、質問したアナリストも、唖然として二の句が継げなかったという。

もう古い話になるが、ホリエモンが、「会社は株主のものだ」と言ったとき、なにか非常に嫌なものを見るような感じがしたものである。
それは、株式会社の一つの「解釈」であったはずなのだが、彼は、自らのステータスをかさにきて、「大衆」を啓蒙したのだろう(彼は言うまでもなく、東大出身で、それを鼻に着せるような、イライラとした話し方をすることが、よくある)。
言うまでもないことだが、社長というのは、その会社の所有者だ。つまり、社長は、自分以外の社員全員の給料を、最低賃金にして、それ以外の「儲け」を、全部、自分の懐にすることが可能な人のことを言う。
しかし、株式会社においては、自社が発行する株を所有する人たちから、集めたお金を、元手に事業を展開する形になるため、

  • お金を借りている

側である、経営者が、「利子(株主配当金)」を払えるのかが、一つの問題となる。
このことを逆から考えると、その会社の株を、かなりの割合で所有したとき、その会社の「経営権」を奪うことが可能かもしれない、という発想になる。ここから、企業の敵対的買収の成立の可能性を追及したのが、ホリエモンだった、ということになるだろう。
株式会社が、株主のものであるということは、株の過半数を取得している側が、経営者の交代を、株主総会で求めたら、従わなければならない、という考え、ということになるだろう。そこで、バブル以前の日本企業は、系列化し、株の持ち合いをすることで、「友好的株主」による、経営権の保護を狙っていた、ということであろう。
株式会社の特徴は、この「敵対的買収」行為にある、と言えるのかもしれない。株式会社は、共同体でありながら、他者がその存在を、丸ごと、「所有」することが可能になっている。もちろん、そこには、「売る側」の、
利益
があるわけで、その当否の良し悪しの判断は、簡単ではないが、いずれにしろ、こうした形態の「共同体」は、異様であろう。
つまり、株式会社には、「共同体」というより、「ゲーム」的存在、といった側面が強い、ということが言えるのではないだろうか。
一般に、ある共同体が存在したとき、もしも、そのリーダーがメンバーの気に入らない人に交代したとき、どうなるだろうか? 普通は、その共同体の
全員
退社して、別の共同体を作り、そこのリーダーに「前のリーダー」を据えるのではないか。
しかし、その場合、会社の資産の移動は最小限になるであろう。新卒入社で、多くの学生が大企業を目指すのは、その会社の「資産」が、自分を食べさせてくれる、という考えがあるのかもしれない。
明治以前の日本の会社とは、「一子相伝」の奥義を伝え続けてきた、秘密結社のようなところがあったのではないだろうか。基本的に、なにかの他人が知らない秘儀を、自分たちが所有しているから、他人ではない自分たちの、商売が成功する、と考えている、と。
しかし、近年のIT社会において、情報は「秘密」にすることとは、あまり相性がよくない。日本の技術者は、どんどん、韓国や中国に引き抜かれて、いろいろな「ノウハウ」が、流出する。
というか、どんどん「解雇」しているのだから、引き抜きもなにもないわけだが。
つまり、企業がそんなに簡単に社員を解雇するなら、秘密保持なんて、そう簡単にはできないだろう(ノウハウというだけで、その多くは、一般に知られている情報だから)。
しかし、それは、その日本企業の姿勢が、株主への配当を「優先」して、社員への給料を減らし、社員のリストラを増やし、社員という企業の「資産」をないがしろにしてきたこと、そのものを意味しているようにも思える。
企業経営者といっても、雇われ経営者にしても、社内からの、たたきあげにしても、結局は、「自分の任期の間にヘタをうたなきゃいい」ということになるなら、株主のご機嫌取りをして、一時的な株価の下落を防いでいれば、ミスがないように見える、というだけであろう。しかし、それでは、長期的なヴィジョンにもとづいた、行動とは言えない。

おそらく、外国人投資家が自社の株価の命運を握っていると考えているからではないか。株価は、経営者の成績表だ。株価が下がると、経営者の評価も下がる。その株価に影響力を持っているのが外国人投資家なら、彼らに頭が上がらないのは、当然である。

しかし、外国人投資家は、本当に株価に影響力を持っているのだろうか。そんなはずはない。ちょっと考えればわかるはずだ。過去20年以上、外国人保有比率は上昇しているが、日本の株価は下がり続けているではないか。
むろん、短期的には、外国人が買うと上昇し、売ると下がるという関係が見て取れる。確かに、外国人投資家の売買動向と株価の間には相関関係がある。ただ、「相関関係」と「因果関係」は別である。因果関係は、「外国人投資家の買い(売り) --> 株価上昇(下落)」ではなく、「株価上昇(下落) --> 外国人投資家の買い(売り)」である。
ところで、経済学を勉強したことがない人でも、ちょっと常識があれば、この因果関係は不自然に思えるはずだ。なぜならば外国人投資家は、株価が高くなると買い、安くなると売っているからだ。

おそらく、バブルの頃から比べて、日本の企業が株主に払うようになった、配当金は、ものすごい額に増えているのではないだろうか。そして、おそらく、その額に相当する分、日本の「景気」は悪くなっている。
一般に、デフレであるから、その国は、まったくの「損」とは考えない。

10年前、トヨタの100万円の自動車と、フォードの1万ドルの自動車が同じ性能だったとしよう。そして、その時のドル円相場は1ドル=100円だったとしよう。この1ドル=100円というドル円相場は、トヨタとフォードの競争力をちょうど反映している。100万円のトヨタの自動車を輸出すると、1ドル=100円なら、アメリカでは1万ドル(100万円÷100円)になる。フォードの1万ドルの自動車と対等だ。同じ性能の自動車が、同じ価格で売られているということだ。この場合の1ドル=100円は、トヨタにとってもフォードにとっても「中立」である。
さて、それから10年経過した。トヨタは、同じ性能の自動車を50万円で作れるようになった。フォードは相変わらず1万ドルだ。今、日本には自動車しかないとしよう。
自動車の価格が半分になったということは、要するに物価が半分になったということであり、デフレである。トヨタが自動車を半分の価格で作れるようになったのは、技術革新の賜物かもしれないし、人件費などの費用を削減したからかもしれない。ただ、ここでは、物価と為替の関係を説明したいだけなので、物価下落の背景にまでは立ち入らない。物価が半分になったということで先に進もう。
このように、物価が半分になった時に、1ドル=100円のままだと、日本で50万円のトヨタ車のアメリカでの価格は5000ドル(50万円÷100円)になる。トヨタは、フォードに対して圧倒的に有利だ。同じ性能なら、価格が半分のトヨタ車をアメリカ人は買うだろう。「見た目」は同じ1ドル=100円でも、競争力を勘案すると、この場合の1ドル=100円は「円安」である。輸出企業が得をするのが「円安」だ。
では、トヨタとフォードが対等になるためには、ドル円相場はいくらになればよいのだろうか。
そう、1ドル=50円である。1ドル=50円なら、50万円になったトヨタの自動車もアメリカでは1万ドル(50万円÷50円)だ。この場合、1ドル=50円というのは、「超円高」に見えるが、物価(ここでは自動車価格)の変化を考えると「中立」である。トヨタとフォードはこれで対等だ。円高でも円安でもない。このように、為替相場は物価格差を相殺する方向に変化する。デフレ続く日本における現在の円高は、この事例の1ドル=50円のようなものである。「見た目」は円高だが、実質的には中立だ。

しかし、デフレとは「合成の誤謬」といわれるように、雪だるま式に、どんどん悪くなっていく「悪循環」としての側面があるわけで、なんにせよ、デフレの脱却ができることは、あらゆる問題を解決するようには思えるのだが、どちらにしろ、中国の人件費の低水準に引き寄せられ、アメリカのROEの高水準に引き寄せられ、日本の労働環境の厳しさが、そう簡単に好転することはない、ということなのだろう...。

デフレの真犯人 ―脱ROE〔株主資本利益率〕革命で甦る日本

デフレの真犯人 ―脱ROE〔株主資本利益率〕革命で甦る日本