浅見雅一『韓国とキリスト教』

(安廷苑との共著。)
日本の知識人の特徴として、一つ考えられることは、彼等が、人文学問を志していると言いながら、こと、宗教史の知識を勉強していないことにあるのではないだろうか。
それというのも、彼等、日本の知識人にとって、自らが知識人であるということと、在野の宗教が、まったく、なんの繋がりもなく、感じられているというところにあるように思われる。
彼らが好きなのは、科学(サイエンス)であって(実際、彼等が義務教育過程で習ってきた、物理、化学、生物、などの勉強を非常に熱心に行ってきた)、宗教はサイエンスではない(むしろ、進化論などでは、鋭意に対立している)。ニーチェが言うように、宗教(=キリスト教)は、むしろ、人類が
乗り越える
べきなにかでしかないのだから、自らがそういったものにコミットしない(学ばないし知識がない)ことは、むしろ、知識人のあるべき姿なのだ、と。
しかし、こういった姿は、さまざまな意味で、現代の日本文化研究に、大きな負の影響を残しているように思われる。つまり、こういった大衆文化に対しての、一つ一つのミクロ研究を、ないがしろにする姿勢が、日本の社会研究が、今だに、「エア御用」的な、国家体制の補完的な性質のものばかりに、偏っているふうにも思われるからである。
むしろ、日本の文系学問の特徴は、一言でいえば、すべてが、
国家学(=国体学)
になっている「からくり」があって、平泉澄がそうであったように、大衆レベルの現象に、関心をもたない(興味をもたない)ことが、一貫した姿のように見えるわけである。
たとえば、500年後の地球において、「日本人」と呼ばれている人たちは、果して、残っているだろうか、と考えてみると、どうなるだろうか。一方において、日本の人口減少がさかんに言われ、日本国内の格差の拡大やグローバリズムやフラット化が、
不可避
と(自らがセレブ階級であることを棚にあげて説教する)「エア御用」知識人が後を断たない状況で、私が言いたいのは、だったら、日本人なんて、いらないってことであろう、ということなのだ。
今、この瞬間から、私たち日本人は、自らが日本人であることをやめて、日本語で話すことをやめて、世界にちりじりに散って行き、その現地で、英語などの現地語を話し、現地の人たちと交流して、現地の人たちの文化に吸収され、
現地化
していけばいいではないか。そうすれば、日本や日本語や日本人は、この地球上からいなくなる。
自らがセレブ階級であることを棚にあげて、日本国内の格差の拡大、グローバリズムやフラット化が、不可避だと言う連中は、そもそも、日本自体が、未来において、残り続けること自体に、なんの意味も見出していない。彼らは日本の今の秩序が破壊され、日本人が世界に散り散りに分散していくことに、なんの感情ももっていない。つまり、彼ら自身が、
日本人でなくていい
わけだ。いつでも、彼らはアメリカ人になる。それが、彼らにとっての、
クール
なわけで、というか、むしろ、こういった「姿勢」こそが、日本の知識人の一貫した特徴なわけであろう。

まず、韓国の全人口に占める宗教別の信者の割合を示したい。韓国では、宗教を信仰していると答えた人が、全体の五三・一パーセント、約二五一〇万人いることになる。韓国で最も信仰されている宗教は仏教であり、その信者は人口比二二・八パーセントである。プロテスタントがそれん次いで多く、一八・三パーセント、カトリックが一〇・九パーセントであるから、キリスト教徒の合計は約一三八〇万人になり、全人口に占める割合は二九・二パーセントと三割近くになる。

現在の韓国のキリスト教徒が、これほどの割合に登っているというのは、日本の隣国であり、同じ東アジアの国でありならがら、その日本との、あまりにもの違いに驚かれるのではないだろうか。
この驚きは、日本人が自分たちの「実感」において、日本でこれだけしかキリスト教徒がいないのだから、同じ東アジア人の韓国や中国も同じ
感覚
なのだろう、という「類推」から来る違和感であることがわかるであろう。しかし、その感覚と「実際」が違っているということは、そこには、なんらかの「歴史」的理由があることを理解しなければならない。

韓国のプロテスタント教会の研究者である延世(ヨンセ)大学名誉教授の柳東植(ユ・トンシク)は、韓国のキリスト教の出発点にはいくつかの特徴があるとしている(柳[金忠一訳]『韓国の宗教とキリスト教』)。その特徴とは、次のようなものである。

  1. 天主教(ローマ・カトリック)から出発している。
  2. 外国人による布教ではなく、韓国人が自発的に摂取している。
  3. 知識人階級から浸透している。
  4. 文書と学問を通じて摂取されている。

日本における、キリスト教の歴史は、フランシスコ・ザビエルが有名であるが、ああいった外国人の宣教師が中心に担って進められ、日本国内の知識人との関係が弱かったことに特徴があると言えるだろう。他方において、韓国においては、韓国独特の儒教知識人階級が、
西学
として、中国で出版されていた、西洋学問の書籍と「一緒」にキリスト教関係の書籍を「輸入」し、すでに存在した儒教知識人階級が、こういったものを、同じ「漢籍」として、渾然一体に、「学んだ」というところに、日本との大きな違いがあった、ということらしい。
つまり、韓国においては、儒教儒学書を中国から輸入し、仏教が仏教書を中国から輸入したのと同じように、キリスト教関係の書籍が、シームレスに韓国知識人社会に「輸入」され、知識人レベルで、その「知識」が、一般教養化されてきた文化があった、ということになるだろう。
宗教の歴史は、「迫害」と「殉教」の歴史である。なぜ、戦後の中国や韓国でキリスト教がアクセクタブルであり続けたのかは、たんに、日本における西学受容の形態に違いがあっただけでなく、戦中における、歴史的な事実が大きかったのではないだろうか。

一九一〇年八月、朝鮮半島は完全に日本の植民地となる。初代朝鮮総督寺内正毅は反キリスト教政策を明らかにした。教会は全国的な組織力を持っていたうえに、この時期の知識人層の多くが信者であった。一九一一年に起こった、総督府による知識人弾圧事件として有名な一〇五人事件では、逮捕者の大半はキリスト教信者であった。寺内は反キリスト教政策のなかで、学校において天皇の写真に敬礼する儀式を強制したが、教会はこれを偶像崇拝であるとして拒んだ。一九一五年、総督府は改定私立学校規則を公布し、学校教科における礼拝と聖書教育の撤廃を要求した。さらに日本は、総督府の政策に賛同する日本のキリスト教徒を通して組合教会を設立し、日本の政策に取り込もうとした。
プロテスタントの各教団が近代教育事業に力を注いだ結果、知識人層の新たな中心となる人々がキリスト教の信仰を持つようになった。やがて日本の侵略を受けて、そうした知識人たちは民族意識を持つ集団として抗日運動の中心勢力となっていった。
一九一八年にアメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンは、民族自決や植民地問題解決などを謳ったった「一四カ条の平和宣言」を発布した。これを受けて、朝鮮では民族意識が高揚していった。そこに高宗の死が引き金となって、朝鮮の独立を主張する全国規模の運動が起きた。一九一九年三月一日、朝鮮民族代表三三名の名前で日本からの独立宣言書が発表された。これに呼応した各界各層の参加によって、抗日独立運動が展開されていった。いわゆる三・一独立運動である。この運動は約半年間続けられた。
多数のキリスト教徒が、この独立運動に準備・計画の段階から積極的に参加しており、教会の持つ全国的組織と国外との繋がりが独立運動の中心的役割を果たすこととなった。この時期、政府の官僚組織を除けば、キリスト教会は全国的組織力を誇る唯一の集団であった。例えば、長老派は一九一二年九月に総会を組織したが、その集会に出席するために全国から平壌に二二一名の同教派の聖職者が参集した。この聖職者の総会は、韓国で初の全国的会合であったと言われる。当時の交通網などを考慮すると画期的なものであり、教会が抜群の組織力を持っていたことが知られる。
日本はキリスト教会が独立運動を操っていると見なして教会を破壊したり、キリスト教の信者を検挙したりしていた。教勢が盛んな地方では、信者に対して過酷な処分がなされた。そのなかでも、韓国南西部の水原(スウォン)の近くにあった堤岩里(ゼアムリ)教会の放火・虐殺事件は有名である。一九一九年四月一五日、日本軍は堤岩里地域のキリスト教の信者を教会に集めたうえで、放火して焼き殺したのである。このような行為は、朝鮮国内はもちろんのこと、遠く中国東北地方の朝鮮教会にまで及んでいたという。しかし、その一方で、この危機的状況は教会に教勢の拡大をもたらした。一八九五年と一九〇七年に続いて、二〇年には三回目の飛躍が見られたのである。とりわけ、キリスト教系学校の学生数の増加が著しかった。

日本人は、島原の乱など、日本において、キリスト教徒迫害・弾圧の歴史があったことを忘れている。そして、上記の朝鮮の日本による植民地化の歴史は、そういった日本において、かつて存在した、キリスト教弾圧の歴史と非常に
よく似ている
印象を受けるわけである。このように見たとき、韓国にとり、自らのアイデンティティキリスト教「そのもの」が深く結びついていることが分かるのではないか。
日本の知識人が、日本の韓国植民地化の歴史を、韓国キリスト教徒(=当時の韓国の事実上の国教)の迫害・弾圧の歴史として、理解できないことは、日本の知識人の「レベルの低さ」を象徴している。彼らには、世界史的視点によって、日本の韓国植民地化の歴史を把握する能力の欠如を示している。日本の国内のローカルな「国家学」的な視点からしか、歴史を見ることができないでいる、ということなのであろう。
それは、日本の島原の乱などの、過去の日本におけるキリスト教徒迫害の歴史を、過去の日本の知識人が、まったくコミットする様相を示すことがなかったことに、なにかしらの「伝統」のようなものを感じる。つまり、日本においては、本当の意味での知識人など存在したことがない。つねに、いたのは、国家御用学者でしかなかった、ということなのかもしれない(そして、今だに、こういった国家御用学者のことを「知識人」と呼んでいる)。
知識人が基本的な宗教についての知識がない、ということは、つまり、過去の歴史において、存在し行動した、最も基本的な「聖者」の名前や、その聖者が行った重要な「事蹟」、すら知らない、という事実を示しているわけで、つまり、そもそも、その程度の国家主義者が、世界中の人たちと、なにかを話せると考えることの方が、どうかしているのだろう。
宗教とは、過去の人類の抑圧の歴史そのものなのであって、そこにおいて、一人一人が何を考え、どんな行動をしたのか、そういった人類の行動の積み重ねを「知る」こと以外に、これから私たちが、どう行動するのかの指針を示すことなどできるはずがない、と考えることの方が普通ではないだろうか。
つまり、過去の人々の行動の何が、善と呼ばれるべきものなのか、なにが正義と呼ばれるべきものなのか、について、こういった「その人」という、固有名すら知っていない時点で、宗教史を学ぶモチベーションをもっていない、という時点で、どうも私のような歴史主義者の側面をもつ人間としては、日本の知識人に対して、弱々しい印象をまぬがれない。

通常、教会に金銭を寄付することは「献金」と呼ばれている。韓国では、「十分の一献金」として、毎月の収入の一割を教会に献金する熱心な信者も少なくない。そもそも、収入の十分の一を神に捧げることは聖書の教えに基づいたことである。
カトリック教会とプロテスタント教会のいずれもが、日曜日のミサや礼拝の際に少額の献金をすることが慣わしとなっている。たとえ少額の献金であっても日曜日ごとに教会に赴く信者が多いだけに、その総額が莫大なものになっていることは容易に想像できるであろう。

この世界に「善」を実現する上において、この「献金」という行為が非常に重要なように思われるのだが、日本の知識人は、非常にこういった行為に、冷淡である。自分たちだって、たんになんかの知識があるだけであって、なんの世の中を動かす資本をもっていないくせに、「献金」を集めて、「善」を実現しよう、というモチベーションも弱い。
というのも、そもそも、彼らは、そういった知識への「信頼」が、過去の歴史的なコンテクストにおいて、始めて、人々に認められていく、という「感性」をもっていない。キリスト教の歴史において、多くの聖人たちが、行なってきた「善行」に対しての大衆の「信頼」が、現在のキリスト教への、「信頼」に関係して、受け取られているという、関係を理解していない。
しかし、よく考えてみれば分かるように、もしも、多額の「献金」があれば、福島の復興からなにから、非常に多くの「正義」を行える可能性があるわけである。そのことの大きな意味を、どこまで、考えているのか、ということであろう。

韓国教会の世界進出は海外宣教を目的とするものだけではない。近年の韓国人の海外進出にともなって、彼らのための教会が日本も含めて世界各地に設立されている。
韓国では近年の経済発展を背景として海外移住熱がつとに高まっている。とりわけ英語圏の国と地域に人気が集中している。アメリカとカナダの人気が特に高く、オーストラリアとニュージーランドがこれに次ぐようである。韓国人が移住という形で海外に拡大している状況が、故国を離れて各地に散っていったユダヤ人に譬えられて、「コリアン・ディアスポラ」と呼ばれることさえある。

なぜ、近年の韓国人が、これだけ、世界中に、ちらばっていけているのかには、間違いなく、キリスト教信仰がある。つまり、彼らは、たとえ、母国を離れても、

と、自分たちが切っても切れない関係に続くということへの、大きな理解がある。だから、たとえ、ハングルという母国語を話さなくなっても、朝鮮半島から遠く離れた場所で生きることになっても、自分の「アイデンティティ」が揺らぐことはない、という確信が支えている、ということになるのであろう。
他方において、日本の知識人はなぜ、キリスト教を学ばないのか? つまりは、彼ら日本の知識人のキリスト教

への無関心が、日本の大衆レベルでのキリスト教的文化への親和性を妨げる結果となり、ひいては、キリスト教

の日本における、「軽視」に繋がっているのではないだろうか。日本の知識人は、韓国における知識人が、長い歴史をかけて、学び、血肉化してきたキリスト教的教養受容の歴史を、軽視してきた。なぜなら、キリスト教が「大衆史」そのものであったからであって、国家護教的イデオロギーにしか興味のなかった日本の知識人は、むしろ、
敵対
してきた、ということなのであろう。
しかし、そのことが、上記の韓国人がそうであるように、日本人が近年、特にビジネスの場面で要求されている、海外への移住に、うまく適合できていない、大きな原因になっているように思われる。
つまり、日本人的アイデンティティと、キリスト教が体現しているような、大衆的「倫理」を、うまく「教養レベル」で、接続できていない。
(日本社会が、キリスト教が代表するような「グローバルな大衆倫理」を、日本の知識人レベルでの「学ぶべき」自らの「姿」として、日本的アイデンティティのレベルにまで落として、それを、自らそのものに血肉化できていない。)
このように考えてきたとき、私には、中長期的に、日本人と呼ばれてきた民族は、近年の少子化と共に、衰退していくのではないか、という印象をまぬがれない。
それは、(韓国の知識人は、まったく、その反対でありながら)日本の知識人が、キリスト教的教養を軽視し続けてきた歴史が象徴しているように思われる。
知識人レベルで、キリスト教が体現しているような、「大衆的倫理」への「軽視」、国家護教的イデオロギーへの「偏重」を、変えることができない。
そのことが、そもそも、

  • なぜ日本人でなければならないのか?

への、疑問をもたらし、日本という「アイデンティティ」の空中分解を、漸進的に、日本社会にもたらしていくように思われて、しょうがないのだが...。

韓国とキリスト教 (中公新書)

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