鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』

結局のところ、日本の明治から終戦までの国家の「戦略」には、さまざまな「謎」があって、つまり、なんでこんなことをするのかな、と思わずにいられない、外からは「ミス」にしか思えない振る舞いというのがあって、そういったものを、さらに、なぜか戦後の学者も知識人も答えないんですよね。
だから、一向に、「総括」がされない。されないまま、なんというか、大衆レベルでは、そういった「不思議」がくすぶったまま、タブーとされているがゆえに、

  • 同じ間違いを繰り返す

結果になっているんじゃないのか、という印象を強く受けるわけですね。こう考えると、いわゆる知識人と呼ばれている人たちの責任って大きいんじゃないのか、と思わずにはいられない。
日本の知識人って、事実を隠す、本当のことを言わないことが、知識人の役割なんだよね。つまり、そもそも、言い訳ができないようなことについて、正面から向き合わないんですよね。つまり、タブーにするんですよね。そのことについて、語らない。そうして、全然関係ないことで、いつも説教している。国民を怒っている。
しかし、そういった「説教」は、どこか空疎なのだ。それは言っている本人が、どこまで「マジ」なのかが問われるからである。なんとなく、こんなことをくっちゃべってれば、お金儲けできるよね的な軽い考えで話している限り、人々の心を打つことはできない。必ず、その真意を突きつめられることで、適当な思いつきを話していただけであったことを、ばらされる。まあ、そうであっても、お金儲けができればいい、と言うなら、勝手にしてくれ、ということであろう。つまり、そういう「どうでもいい」言説を相手にしているほど、私たちの人生は長くない、ということなわけだ。
この前、NHKのテレビを見ていたら、半藤一利さんが、日本はそもそも、防衛に向かない国なんだ、ということを言っていた。日本の国土は、真ん中を山脈に区切られ、人が住んでいるのは、下流の平野地帯という狭い地域でしかない。しかも、海岸線は恐しく長い。そもそも、外からの攻撃を防衛するようにできていない、と。そこで、明治の志士たちは、国土防衛を考えるんじゃなくて、

  • 防衛線の拡大

を目指した。つまり、日本の侵略は、防衛論の不可能性から始まっていたんだ、というわけである。
ところが、防衛線を「侵略」によって、日本の外の台湾、韓国、中国と広げるごとに、膨大な陸軍の軍人というリソースが必要になる。そして、その「侵略」が結果として、感謝されることなく、戦争が終われば、手放すことになる。
早い話が、いくら、感謝の押し売りをしても、相手の「自治」を破壊して、俺たちが守ってやったんだから、感謝しろは通じない、ということなのであろう。
いずれにしろ、戦後、すべての植民地の解放を行わされ、また、今までの大きさの日本の領土に戻って、やっぱり「日本を守る」みたいな言説が復活してくる。尖閣諸島で、中国の船舶に好き勝手にやられすぎている。だったら、もっと、自衛隊の軍備を拡大しよう、とか。北朝鮮がさまざまに軍事挑発してくるのは、日本の軍事力をなめてるからだ、とか。
しかし、こういった人に限って、そもそも、戦後の戦争って、つまりは、

  • 核戦争

のことだということを分かっているのかな、という印象が強く感じられてしょうがないわけです。少なくとも、中国は核保有国なのであって、日本が中国と戦争をする、というとき、核兵器で主要都市が滅ぼされる、という自覚がどれだけあるのかな、という素朴な疑問があるわけです。
なんというかな。
戦争に対して、「幻想」があるんですよね。なぜ、日本が敗北を認めたのか。核兵器を日本の国土に使われて、「勝てない」と思ったからでしょう。
じゃあ、なんで、その戦争の後に、戦争がありうると思えるのだろう? おそらく、核戦争までいかない「のんびりした、英雄が存在した時代の戦争」が、もう一回可能だ、と思っているんじゃないだろうか。勝った負けたを繰り返す、素朴な昔あったような戦争が、もう一度、起きるんじゃないか、と思っているんじゃないだろうか。
もう、英雄の時代じゃないのにね。
どうして、それがわからないんだろう。
核兵器が誕生したことで、本当の意味での戦争は人類はできなくなった。つまり、それ以降の戦争とは「警察行為」に近いものになった。そのように考えたとき、日本の自衛隊の装備が、憲法第9条の制約により、自衛的な装備に限定されていることは、むしろ「合理的」だと考えることもできるのではないか。
日本は日米安保によって、アメリカに日本国内に軍事基地を置くことを同盟として求められている。そして、その場合に、じゃあ、日本がブーツ・オン・ザ・フラッグで、アメリカの軍隊と同じ行動をやってくれないと困るということを、日米安保アメリカに求められているかといえば、そんなことはない。日米安保条約にそんなことはどこにも書いていない。つまり、日米安保条約は、それぞれの国に「役割」を規定した条約だということになるであろう。そこから考えても、日本は平和憲法の制約の下、やれることが限られていると考えられていることは、多くの場合、共通の認識だと言えるであろう。日本にはやれることが限られている、と。
日本はアメリカから、軍備を拡張しろなどと一言も言われていないのに、自分から「ブーツ・オン・ザ・フラッグ」させて下さい、と言って、売りこんでいるわけである。もし、それが日本の民主党のような、それなりにリベラルな政党であったのなら、まだ分かるのであるが、世界から、A級戦犯の名誉回復を目指すような、戦後レジーム革命論者(=戦中のナチスの再評価を含む?)と認識されているような連中が、

  • もっと戦争の道具を日本に、たくさん持たせてくれ

とか言ってきているわけなわけで、ようするに、アメリカも日本を「警戒」しているわけであろう。そんな状態で、「ブーツ・オン・ザ・フラッグ」やりたいんで、やれるように、アメリカも応援してくれ、と言ってきて、そんなに簡単にイエスと言えるか、という問題であろう。安倍首相は、世界からは、A級戦犯の孫として、「あの戦争は間違ってなかった=むしろ間違っていたのはアメリカを中心とした連合軍の方だ」と言っていると思われているわけであろう。その状態で、

  • 俺らが率いる日本がもっと戦争できるように、アメリカ、応援してくれないか?

とお願いしている、と見られているわけであろう。
しかし、いずれにしろ、日本はアメリカの要求に反対できないのではないか、といった日本の「運命論=自称リアリズム」を主張するヘタレ評論家が後をたたない。
TPPの交渉で、日本がアメリカの要求を拒絶できないのではないか、とか、日本が脱原発できないのは、アメリカの原発維持政策に半旗を翻せないことにあるんじゃないのか、といった。
しかし、だからといって、TPPで日本の企業が極端に不利になる条件を全て飲まされるとか、アメリカの原発はこれからどんどんと減らそうとしているのに、地震国の日本において、福島第一のあれだけの事故が起きてまで、原発をもっと日本に増やせ、とかいうムチャブリを受け入れなければならないとかいった「運命論=自称リアリズム」は、あまりにも抵抗しなさすぎであろう。
日米安保は日本とアメリカの間の軍事同盟である。もし日本が一国で、安全保障を考えるとなると、北朝鮮のように、自国で核兵器の開発を行うことになるであろう。しかし、そんなことをすれば、東アジア地域は極端に軍事的緊張が高まることが考えられる。
そのように考えるなら、日本がアメリカと軍事同盟を結んでいることは、ある程度の合理性が考えられるのかもしれない。世界中には、日本など比べものにならないくらい小さな国はいっぱいある。こういった国々だって、自国を守るために、周辺国と軍事同盟を結んでいるのであろう。というか、世界中に自国だけで自分の国を守っている国なんてないんじゃないか。
しかし、他方において、日本と韓国は政治的に歴史認識などで緊張関係にあると言われているわりには、同じアメリカとの軍事同盟にある。もっと言えば、近年、中国の経済的発展は目覚しく、アメリカの企業の多くが中国内の企業に依存するようになり、今や、アメリカと中国の結びつきは、日本以上ではないかと言われるほどに、政治的にも仲良しになろうとしている。
それは日本だって同じだ。日本企業のかなりが中国に進出しようとしているし、現状においても、オフショアなどで、経済協力をさまざまに行ってきている。
このように考えてきたとき、日本における政治の右傾化の、本当の意味ってなんなのかと、思わなくはない。
むしろ、彼らが考えていることの「本質的」な意味とは、

  • 軍隊の復活

なのではないだろうか。もちろん、今も自衛隊がある。しかし、それは戦中の帝国日本軍の「大きさ」や「影響力」とは比べものにならないであろう。あの頃ほどまでのものをイメージしているのではないだろうが、そうやって、「巨大な軍隊」を「復活」させることによって、

  • 戦中の軍人の「名誉回復」

がやりたいのではないだろうか。戦中の軍隊は戦後、進駐軍によって、解散させられる。そして、60年安保闘争を経て、自衛隊として現在に至るわけであるが、大事なことは、それは、

  • 復活ではない

ということなのである。解散したということは、それが「悪い」ものであったということを意味するであろう。よって、それは、いずれにしろ、「そういった日本の軍隊を動かしていた指導層が悪かった」というふうに解釈される。しかし、そうだとすると、そういった指導層の「子供」や「孫」は、学校などで「悪人の子」として、いじめられるわけである。
8月15日の、戦没者追悼集会で、安倍総理は、毎年恒例のこととして言われていた、総理大臣による、アジアへと謝罪の部分のコメントを、今回行わなかった。それは、彼自身がA級戦犯の孫として、

ことを、なんとしてでも、国際社会に認められるための戦後の国際レジームの転換を認めさせるための行動を、残りの3年なりの間に行うのではないだろうか。
これこそが、おそらく、彼自身の残りの人生を賭けた政治活動になるのではないだろうかと思われるわけである。このことに比べたら、憲法を実際に変えるかどうかといったことは、たいしたことではないのではないか。
彼は、日本の戦前の「A級戦犯は悪くない」と言ってさえくれるなら、中国だろうとロシアだろうと仲良くするわけである。ところが、アメリカが反対している。彼が最も仲良くしたいアメリカが、その方針に反対する。彼が考えていることは、おそらく、アジアにおいて、中国と韓国と北朝鮮を除いた東南アジアの国々と

  • 濃密な友好関係

を結ぼうとするであろう。それは、こういった国々が比較的に日本の戦前の「A級戦犯」に悪感情をもっていないからである。こういった地域は、それ以前から、欧米列強の植民地だったわけで、こういった地域がなぜ戦後、独立できたのかには、少なからず、日本の影響があったと考えている地域もあるであろう。つまり、こういった国々は、そういう意味で、日本の戦前の「A級戦犯は悪くない」を受け入れてくれそうな国々であるだけに、彼は無条件で彼らと仲良くなろうとすると思われるわけである。
安倍首相が進めるアベノミクスも、興味深いのは、こういった政策が必ずしも、富裕階級の優遇政策だけを意図した政策ではない。むしろ、労働階級が本来求めるような政策だということであろう。つまり、こういった政策を推進できるというところに、安倍首相の精神分析がある、と言えるであろう。彼は大衆でも労働者でも、結果として、自分の「A級戦犯は悪くない」を支持してくれるなら

  • 味方

なのである。そういった彼らを「助ける」わけである(おそらく、こういった問題意識に共感するなら、日本共産党とさえ手を組むであろう)。
おそらく、これからの日本の政治は、自衛隊をどうやって強大にするか、巨大にするかの具体的な方策を探ってくるのではないだろうか。
自衛隊を、強大にすること、その装備をより攻撃的にすること、徴兵制を復活することで、自衛隊の組織としての「巨大化」、権勢の拡大することには、たんに物理的なパワーの拡大を意味するのではない。そのことが、

  • 戦前の帝国日本軍の「組織」に近づく

ことが、反転して、「戦前の帝国日本軍は悪くなかった」ということを「象徴」として証明するわけである(悪くないから、もう一度、「復活」するわけだから)。
ようするに、戦前の帝国日本軍という「構造」が、戦後の今の世界に、もう一度、その「形」として、元に戻ることが、

  • 戦前は間違っていなかった

ことの「証明」となるわけである。
おそらく、ここが、大きなポイントなのであろう。つまり、彼らは「分かってほしい」のである。自分たちは、不名誉な家系ではない、と。自分たちの親やじっちゃんばっちゃんは間違っていなかった、と。
上記で、私はなぜ、日本が東アジアに対して「侵略」的であったのか、について考察した。つまり、その「たてまえ」がいくら、「善意」であったとしても、「やっている」行為自体が、「侵略」である限り、感謝されない。それは、「自治」の否定だからである。
しかし、そもそも、日本人は、本当に「自治」を「正しい」と思っているのか、という疑問が、私にはぬぐえない。というのは、他方において、天皇という「国王」を「戴く」ことに疑問を思っていないから。もしも国王なるものが存在するならば、あらゆることは、国王の命令のままに従うことが、「正しい」ということになるのではないか。だとするなら、「自治」を行うというのは、矛盾していないか。
つまり、日本人は自分で考えて自分で決めて自分で生きたくないのではないか。あくまでも、国王の命令の通りに生きたいのではないか。
掲題の本が描く、戦前の「謎」は、ある意味、私たちの今までの通念を「逆転」している、と言っていいのではないだろうか。というのは、よく考えてもらいたい。なぜ、戦争は続くのか。なぜ、戦争は長びくのか。そしてそうやって長びかされた戦争がなぜ終わるのか。
こういった問題を「経済」と離して考えることは、欺瞞だからだ。戦争を続けるということは、

  • 誰かが「儲かる」

ということなのである。

笠原和夫らの『昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫』の一部を紹介した。この本の中に書かれていることに注意したい。

すが 宮中某重大事件って、活字でしか知りませんでしたけど、なんであんなに重大なのかわからなくて(笑)。
笠原 それで、秩父宮もそういう自負を持っていたわけですね。若い時から、兄貴よりも自分が皇位を継ぐべきなんだと。それで自分に協賛してくれる人がほしいということで陸軍の中に入っていくわけですよ。彼は陸軍の将校でしたけども、例えば安藤輝三大尉は非常に秩父宮に恩顧をうけたりしていてね。
荒井 それで銃殺される時、安藤だけは「秩父宮殿下万歳」となるわけですか。
笠原 そう。それで二・二六事件というのは、そもそもの出発時から三つの波(ウェーブ)があって、最初の末松太平とか大蔵栄一とか、あのクラスの連中が起こし始めた時はアナーキズム的なんですよ。で、次の第二波で、いわゆる皇道派というのが出てきて東条英機とか石原莞爾といった軍官僚=統制派を排除しようと。つまり、ある種の軍革命をしようとするんですよね。それで第三波というのは一種の実践主義で、組織化された反乱に持っていこうと。だから、僕は大蔵さんに会って話を聞いたんですけどね、「違う」というんですよ。自分たちが考えていた革命というのは、ああいう二・二六事件みたいなものとは違うんだと。じゃあ、大蔵さんたちファースト・ウェーブが考えていた革命というのは何かというと、結局のところ、天皇制をなくすことだったんですね。それで、秩父宮がどのへんで主導権を持ったのかはわからないんだけど、秩父宮としても天皇制なんてもう古い、廃絶しなければダメだと。それができるのは皇族である自分しかないんだと、そういう自負がすごくあったらしいんですね。で、ある日、安藤と二人きりで話した時に、自分としては天皇制をやめるつもりだと。大統領制----共和制にするんだと。ただし、最初の大統領は自分がなるしかないんだけども、何年かあとには一般の人から選ばれる大統領制にしていこうと。それで安藤は絡まれちゃったわけですよ。それまで安藤は、そういう革命に対して批判的だったんですよね。でも、秩父宮さんがそういうふうに打ち明けてくれて、その時に秩父宮さんから、自分がいかにお前を信じているかわかってくれと銀時計を渡されたわけです。それで安藤はガターンと惹かれちゃってね。しかも、他の若手将校たちにしてみても、ある種の行き詰まり感があったわけですからね。つまり軍縮だとかいろんな問題で、陸軍の将校クラスでも、いつクビになるかわからない状況があったわけでしょ。今のリストラと同じですよ。あの頃は、みんなサーベルをマントに隠して電車に乗ったという時代ですからね。

すが 軍人の地位が下がってきたわけですね。
笠原 そうです。軍人とわかるとイヤミを言われるんで、軍刀をわざわざ抱えてマントに隠していた。それくらいの時代でしょ。みんな行き詰まっていたわけですよ。そういう時に、ひとつの波(ウェーブ)が起きてきた。それで、飢える者が食べ物に飛びかかっていくように、それに乗っかっていったんですね。それを秩父宮さんはうまくリードしていけばよかったんだけど、そこが皇族出身のアレでね、あとは他人任せになるんだよ。”まあ、安藤、あとはよろしくやってくれ”みたいなことになっていっちゃう。
荒井 それで反乱が起きた時、秩父宮弘前にいて、東京まで上ってこようとするんですよね。
笠原 第二師団を率いてね。それで仙台で武装列車をつくって歩兵連隊をつんで、二月二七日に上京するはずだったんですよ。ところが、ダメになったという知らせが反乱軍将校のほうから第二師団に行って、第二師団急遽、武装列車を中止させる。それで、弘前秩父宮のところに天皇がじきじきに連絡して「動くな」と。そういう指令を秩父宮は受けちゃった。それは大元帥のおっしゃることだから動けないわけだ。結局、秩父宮もそこでだと思ったんだよ。それで事故が収拾したあと、秩父宮は富士山麓へ追放されるでしょ。もちろん結核の療養という名目があったけど、はっきりいって、あれは追放なんですよ。

言うまでもなく、昭和天皇は三兄弟である。秩父宮は弟として、深く陸軍に関わっていた。自らも、軍人であった。よく、日本の軍隊は、2・26などを例にして、国家反逆的暴走を繰り返してきたと言われる。つまり、そういった傾向がある、と。しかし、本当に軍隊が軍隊内部の論理から、反逆的でありえたのかは、大きな疑問を感じる。それは、例えばアメリカであれば、部下が上司の命令に逆らうというのは、そう簡単に考えられないからである。
そう考えたとき、日本の軍主導のクーデターの多くの場合に、なんらかの、皇族の人たちの関与があったのではないか、という仮説が成り立つ。というか、そうでなければ、日本の軍人は、ずいぶんと忠誠心のない「ひどい」人たちという印象をまぬがれないように思うわけである。
(上記の指摘が重要なのは、ようするに、2・26のとき、秩父宮が主張していたような、共和制と言っていますが、ようするに、そういった制度は、アメリカ占領軍による指導の下だろうとなんだろうと、いずれにしろ、戦後の日本は採用していくわけですよね。そう考えると、戦後において、2・26の主張が実現されていくわけです。だとするなら、考えるべきは、2・26のクーデターがあろうがなかろうが、なぜ、日本の政治の方向はそっちの方に梶を切れなかったのか、アメリカと戦争をしてまで、日中戦争の泥沼を長期化させようとしたのか、そのアメリカとの戦争も、いつまでもやめられなかったのか、その「原因」、戦争が長期化することによって儲かっていたのは誰なのか、となるんじゃないか、と思うんですね。)
こういった視点は、私たちの今までの「戦犯」を、軍の暴走、軍主導の暴挙に見出すような考えに、一定の再考をうながすように思われる、そういった傾向を「相対化」するように思われるわけである。
そもそも、戦争や侵略は、なぜ行われるのか。それによって、「誰」が儲かるのか。戦争とは、

  • 儲かる人に「とって」のなにか

である。戦争は、「ある人」が「儲かる」から「やりたい」のである...。

第二次世界大戦はどのように仕掛けられたのか。その第一はヴェルサイユ講和条約にあった。
このことはすでに触れた。ドイツの植民地をとり上げた。そのお陰もあり、ほとんど戦争に参加しないのに、日本は委任統治諸島を手に入れた。
もう一つの大きな原因があった。戦勝国はドイツに支払えないほどの賠償金を課し、再軍備することを禁じた。そして、国際連盟をつくった。日本はこの連盟に加わり、大国の夢を追うことになった。領土の略奪と資源の獲得競争の渦中に必然的に日本は突入した。ドイツの賠償金を受け取るとの名目で、国際決済銀行ができ、ドイツに秘密裡に多額のドルを貸し与えた。そしてナチス・ドイツを育てた。共産主義の恐怖を煽る一方で彼らは太平洋問題調査会をつくり、中国を共産主義国にすべく動いた。日本の天皇野坂参三を使い、共産党国家中国の援助をした。これらはすべて、マネー・ゲームの面を持っている。
これらの動きに国際決済銀行がからんでいるからである。彼ら、この国際決済銀行を実質的に支配する国際金融同盟は、次々と日本に甘い汁を与え続けた。
たとえば、一九三二年二月五日、多門師団(多門中将率いる関東軍師団)がハルピンに入城する前に、ハルピンのシナゴーグロマノフ王朝の遺宝の数々が置かれていた。ハルピンの富豪のソフスキーの財宝などが服部正彦の部下に押収されて満洲国建設の資金へと化けた。青島(チンタオ)の中国銀行の倉庫に大量のヘロインがあった。これから軍人たちはヘロインやアヘンの売買をやって大金を稼ぐ。
すべては彼らユダヤの国際金融資本家たちが考えた、日本を戦争に導くための甘い汁だった。満洲国建設の金は麻薬によったと認めるべき時がきているのだ。

三井と三菱はペルシャから年ごとに船を出し、アヘンを仕入れ、朝鮮に送った。それをアヘンかヘロインにして中国人に売りつけた。その金の大半は天皇と三井、三菱の懐へ入った。その一部で国際決済銀行を通じてアメリカら必要な軍需物資を仕入れ。戦争を長びかせるよう、国際決済銀行を実質的に支配する国際金融同盟が、天皇を指導したのだ。天皇とその忠実な部下である東条英機首相は、戦争を長びかせることで天文学的な利益をあげた。「戦争を続けよ」、これが天の声であった。

戦争は「ある人」にとっては、想像もつかないくらいに「儲かる」。上記の引用において、「ロマノフ王朝の遺宝」を接収できれば、それが、「そのまま」財産に変わる。いや。こんなものではすまないであろう。中国の王朝の財産が、どこかの財閥によって所有されていれば、それを丸ごと接収すれば、これが「財産」であり「戦利品」だ。これが

  • 戦争

である。戦争とは「盗み」である。しかし、こういったモノは、ある意味、足がつく。こういったもので、さんざん、富の収奪をしたのであろうが、それ以上に儲かったのが

  • アヘン

だというのである。アヘンという錬金術は、アヘンを買って使う人たちだけでなく、アヘンを「売る」人たちにとっても、その錬金術性によって、そう簡単にアヘンを売ることを止められなくなる。
つまり、こういった「手段」でお金儲けを行っていた「組織」にとって、そう簡単に「戦争は止められない」。なぜなら、もし戦争を止めるとしても、そういった「組織」の収入がそれによって、止まる、ということだからである。つまり、戦争を止めるということは、それによって蓄財を行っていた連中の収入源がなくなる、ということを意味するわけで、つまりは、そういった「勢力」からの「合意」がなければ、終戦を行えなかった可能性がある、ということなのである。

工藤美代子の『香淳皇后』には次のように書かれている。

日本でも、外面的には、あくまで戦争を続け、本土決戦に臨むという態度ではあったが、その実、敗戦を予測してのそれなりの動きはあったようだ。
木戸幸一をはじめ、当時の日本の首脳部にいた人々の日記には、すでに幾つか刊行されているのだが、不思議なことに、敗戦を予測しての具体的な準備について触れた記述は全く見あたらない。
しかし、実は何者かによって着々と、手は打たれていた。そう思わせる証拠の一端が、ロンドンの公文書館に保存されている。
それはスイスの赤十字国際委員会とイギリスの外務省との間で、昭和二十一年八月から昭和二十三年九月にかけて交わされた一連の外交文書である。(Fo 369/3969, Fo 369/3970)
これらの文書によると、昭和二十年の四月に、日本の皇后が赤十字国際委員会に一千万スイスフランの寄付を申し出たというのである。
一千万スイスフランといえば、現在のレートで換金しても約七億円近い金額である。まして、当時のレートで換算したら、莫大な金額だったずである。
まず興味深いのは、四月の時点で、すでにこの寄付の申し出がなされていたことである。
これは、日本の敗戦を予測して、皇室の財産を処分しておこうとする動きではなかったかという見方ができる。それ以外に、こんな莫大な金額を寄付する理由はかんがえられないというのスイス側やイギリス側の見解だ。

それでは結果はどうなったのか。天皇の資産のほとんどは国際決済銀行の秘密口座を通じて運用された。その金は、いかなる政府の干渉も受けないという超法規条項を持っていた。それでほとんど無事であった。天皇スイス国立銀行(ほとんどの役員が国際決済銀行の役員)に「特別勘定口座」(既述)をつくり、国際的な商取引をしていた。公的な二口座と天皇名と皇后名の二口座が確認されているが、他にもある可能性がある。
工藤美代子が指摘したように、天皇終戦工作をしていた。ヨハンセン・グループから原爆投下の日を知らせてもらってからは、スイス、アルゼンチン、スウェーデンの各国の秘密口座にも資産を移した。それを”陰の政府”が支えたのである。スティムソン陸軍長官はグルー国務次官を通じてヨハンセン・グループに伝えた。そして言った。「グルー、彼らをたきつけ、持てる影響力を行使させよ」
では、ヨハンセン・グループは天皇とその仲間たちに、どんな影響力を行使したのであろうか。私がまず第一に考えたのは、原爆投下によって数十万人が確実に死ぬが、これを国際的にも、国内においても報道するな、という脅迫をグルーから受けて約束したと思う。
あれだの大惨事を見て、米内海軍大臣は”天佑”と叫んだのである。天皇も「終戦詔書」の中で一回触れたが、それからは一言も非難の声をあげなかった。あの時だけが例外ではない。死ぬまでだ。新聞もヨハンセイ一味の脅しに屈したのは、ほとんど報じなかった。スティムソンの思惑どおりである。
日本にとって、天皇にとって都合のよいことが原爆投下によってもたらされた。天皇はこの直後に、アメリカから”天皇制護持”の約束を与えられていることだ。そして、御前会議を開き、ポツダム宣言受諾を決定する。間違いなく、原爆投下と交換条件である。アメリカは、アメリカ国内よりも日本での非難を恐れていたと思う。どれだけの人々が、アメリカの蛮行に激怒するかを計りかねていたにちがいない。

今回の、「終戦」が、そもそも「誰」によって行われたのか、を考えることは、重要であろう。というのは、このことは、反対からも言えるからである。
そもそも、なぜ、戦争はいつまでも終わらなかったのか。それは、そう簡単に終えたくない、終えられない人たちがいたからであろう。
しかし、ここで「終えられない」という意味は、もう一つある。それは、止めたと言っても、「終わらない」可能性がある、ということである。
日本において、戦争を終えるにあたって、唯一、重要だったことは、「国体」であった。つまり、天皇制さえ維持されるなら、それ以外のことは、重要視されなかった。そのことは、あれだけの被害が起きながら、戦争が続けられたことからも分かるであろう。
そのことから、アメリカの原爆投下と天皇制の維持の間に、バーター取引があったのではないか、という仮説が成り立ちうる。
結局、アメリカは原爆を落としたかった。落とすことで、落ちた場合の人間への影響の

  • 情報

が欲しかった。ところが、そもそも、落とせる場所がなかった。というのは、落とせば間違いなく、世界中から非難されるからである。
このことは、これ以降、原爆があらゆる戦争に使われていないように、それだけ原爆が非人道的な兵器であることを意味する。それだけの兵器が「使うことが可能になる」という条件はそうない、と考えなければならない。
つまり、アメリカに原爆を使うことを許すことさえ肯じるくらいに、日本にとっては、「国体」が大事だった、というわけである。

では、どうして広島だったのか。七月二十五日の時点で、スティムソン陸軍長官、マーシャル参謀長たちは爆撃予定地を新潟、広島、小倉、長崎と決めていた。この件について、日本側に最終目的地を決定せよと通知があったと思われる。新潟は長岡市に軍需工場があった。小倉は鉄工業の町だった。長崎は国際金融資本家たち(特にユダヤ人たち)がもっとも嫌うカトリックの、日本の総本山であった。
では、どうして広島か?

この日、間違いなく、第二総軍の全員は、八時ごろに集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第二総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精二は書いている。私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、八月六日午前八時すぎごろの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の八時すぎに、第二総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第二総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるらである。

しかし、戦争で負けるとは、そういうことなのではないか。負けるとは、たんに「負けた」と言えば、そうなるということではない。大事なことは、

  • 敗北の「担保」

ということになる。中国の王朝の交代においては、旧王朝の王族は、ことごとく殺される。それは、必ず、そういった血族が錦の御旗にされて、御輿にされて、反逆してくる。つまり、絶対に「自分たちは反逆ができなくなりました」ということを、構造的に担保して負けを認めなければ、それは「負けを認めた」ということにならないからである。
こういったことを、日本の終戦においても、考えられたはずである。しかし、アメリカ軍は天皇制の維持を認める。それは、「終戦のエンペラー」でも描かれていたように、天皇という象徴が、日本人のレジスタンス活動を抑える意味を見出されていたからである。では、上記の問題はなにによって

  • オールタナティブ

とされたのか?
それが、

である。もしも帝国日本軍の上層部がそのまま、残ったまま、終戦を迎えた場合、彼らが別の皇族を玉として、2・26のように、再軍備を目指すかもしれない。つまり、そうなった場合、そもそも、天皇であっても、アメリカに約束して、その約束を果せないかもしれない、わけである。
だとするなら、求められたことは、

  • 軍の上層部の徹底的な「ジェノサイド」

だったのではないだろうか。つまり、むしろ、その「構造」は、

  • 天皇自身「が」日本の軍隊の上層部を「根絶的なまでに」虐殺する

という形にさえ思われるほどに、無慈悲な命令を日本の指導層に現場に命令させることを要求し、それを「受け入れる」ことを「含んで」国体護持の「条件」とした、とさえ考えられる、というわけである....
このような形であったとしても、帝国日本軍は、事実上、天皇によって、「滅ぼされた」、としよう。しかし、どうであろうか。もしも、「それ」が帝国日本軍の「役割」であったとするなら、天皇を「国体」を守ることだけが、唯一、帝国日本軍の使命だったとするのならば、そういった存在である、帝国日本軍が、天皇ご自身の手によって、滅ぼされることも、一つの「本望」だということになってしまうのではないか?

天皇原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた。一九七五年十月三十一日、日本記者クラブとの会見のとき、アメリカ軍の広島への原爆投下に関する質問が出た。
天皇「エ......この......エ......エ......投下、された、ことに対しては、エ......エ......こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島......市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」
もう一人の記者が戦争責任について質問した。
「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学的方面をあまり研究していないので、よく分かりませんから、そのような問題について答えかねます」

もう一度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。

私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾ソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるっと云うことを出さなこうて済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐しいのでもないし原子爆弾ソ連参戦でもない。一に国内情勢を憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来ると云うのが寧ろ幸である。(「米内海相直話」昭和二十年八月十二日)

まさに、米内海相が語るがごとく、数十万人の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万人の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その一つが広島にある第二総軍であったというわけである。
その第二総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こした、というわけである。

私たちは、もう少し「戦争に負ける」ということが、どういうことを意味しているのかを、真剣に考えた方がいいのかもしれない。負けるとは、全てを失うことと考えられた。だから、日本人は最後まで戦った。
しかし、負けたのだ。
ということは、どういうことなのか。
無条件降伏によって、日本は、あらゆる条件を飲むことを約束した。その場合、日本は軍人の上層部が、広島の原爆によって、死んだり負傷者になった。もう彼らは、戦線に復帰できる状態ではなくなった。
おそらく、このことが、最も大きかったはずである。日本の戦力において、西日本は、とにもかくにも、上層部が、一人残らず、被爆者になってしまった。これで、戦線が回復できるわけがない。なぜなら、上層部以外の軍人とは、無理矢理、赤紙で集められている人たちであろう。そもそも、軍人ではないわけだ。戦争が終わった、と聞けば、地元に帰って農業をやるような人なわけであろう。
戦争とは、その戦争の「戦略」を考えられるトレーニングを幼少の頃から徹底して帝王学をたたきこまれた、エリートにとってのものなわけであろう。そのエリートが、西日本では、壊滅したわけである。
あとは東日本だけということになるのであろうが、それでは、国家一体となった、レジスタンスは維持できなかった、ということになるのであろう。
しかし、実際に戦争に負けてみると、どうであったか。
大衆にとっては、戦争に負けることは、上層部の上澄みが入れ替わった以上の意味はなかった、とさえ言えるのではないか。
さんざん、いばりちらしていた人たちがいなくなった。アメリカの進駐軍は、いけすかない奴らかもしれないが、彼らにも国際社会の体面があるから、なんとか、占領政策を成功させようとする。だから、モラルに反することを、表向きはやらない。
だとするなら、占領前と占領後は、結果として、変わらなかったわけである。むしろ、戦争が終わった後の方が、戦争中より、人民の人権に対する対応はずっと進歩したであろう。
しかし、大事なことは、「なぜ」このことが成立しえたのか、なのである。それは、終戦の前までに、徹底的に日本の暴力装置であった、帝国日本軍のエリート層が、壊滅していてくれた、からなのである。彼らが、レジスタンスとして地下活動ができなないくらいに、アメリカは、終戦までに、徹底的に日本の軍事装置を破壊した。
日本において、この方法が成功したのは、ひとえに、「国体」という考えを日本人が「盲信」していたから、と言わざるをえないであろう。国体こそ、なにものにもかえがたい価値だと思ったからこそ、むしろ、天皇でさえもが、

  • 日本軍を滅ぼすことに積極的に手を貸した

としてさえ、「それさえも」ひとえに、「国体護持」のため、と考えられた。日本の軍部エリートが、ことごとく、原爆で殺されてさえ、それさえも「ひとえに国体護持のため」なのだ、と納得させる、そういった

  • あまりにも偏った価値観(=教育)

が、あの敗戦を、どこか「喜劇」にしている印象を受ける。日本軍人は、天皇に「私のために死んでくれ」と言われて、彼らは喜んで死んでいった。そして、徹底的に彼らが、終戦までに死んだ「から」、日本の占領政策は、(イラク戦争のような)大きなレジスタンスもなく、

  • 平和裏

に進むことになった。しかし、たとえそれが、天皇が「願った」ことであったとして、それでよかったのであろうか。天皇は、自らの財産をなげうち、最後まで、原爆投下に反対して、最小限に帝国日本軍の被害を最小化させて、戦争を終わらせる、そういった道筋を探ることは不可能だったのであろうか。そのことは、たとえ、国内に大きな混乱を引き起こすことになったとしても、長く続く内戦を結果することになったとしても、正論を貫く「義」の活動はありえなかったのであろうか。
なにか「狂気」の集団にしか、思えてならない。そこまでして、「国体」なるものには、意味があったのか。自分たち仲間を「犠牲」にしてまで、なにほどかの意味があるものなのか。私が芸術だとか、宗教だとかが嫌いな理由はこういうことなのかもしれない。自分たち仲間を貢ぎ物として捧げてまでして、人間と関係のないもの(制度などの「偶像崇拝」)を、なにかの「価値」であるかのように「振る舞う」ことの「形式的な空虚さ」、その

が、私には日本の21世紀において、中国や韓国と友好的な関係が作れないでいる

  • 民族としての欠陥

のように思えてならないわけである。そして、この日本人の「欠陥」、「非倫理性」こそが、日本の未来を暗く、ゆっくりとした滅びへと導くような、そんな不吉なもの、として機能していくのではないか、と秘かな怖さを心のどこかに抱えずにはいられないわけである...。

日本のいちばん醜い日

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