なぜ福島第一は事故になったのか?

たとえば、福島第一原発も、柏崎刈羽原発も、両方とも、東京電力のものであり、「すべて」関東地方に送電されていて、福島県新潟県も、東京電力の電気を

  • まったく使っていない

ということは、あまりにも「明らか」なことであるのに、なぜか東京人は、そのことへの自覚がないように思われる。
そもそも、私はそのことの非倫理性を問題にしているだけのつもりなのだが、なぜか理解されない。
つまり、原発を作りたいなら、原発を動かしたいなら、自分の家の裏庭や軒下に作れ、そして、そこから、一切の放射性廃棄物を出すな。何万年も、そこから出すな。自分の不始末は自分でぬぐえ、と言っているわけである。
東京のセレブたちが原発の電気を使いたいのなら、

  • 東京の高級住宅街

原発を作れ。だって、安全なんだろ? 放射性物質は体にいいんだろ? だったら、東京の高級住宅街に作って、よそ様に迷惑をかけるな。石原元都知事が言っていたように、東京に作ればいいのである。そこまでして、原発を動かしたいのなら。
そうすれば、多くの人が東京を怖がって、より地方分権が進むのかもしれない。東京への一極集中が避けられて、地方への産業誘致や、地方の車社会からの脱却が進むかもしれない。
ようするに、私が気に入らないのは、

  • 東京人のエゴイズム

なのである。福島の原発も、柏崎刈羽原発も、両方とも、

であって、福島県の人も新潟県の人も関係ないのだ。こんな非倫理的なことがあるだろうか。私は、この東京電力がもっている、福島県新潟県にある原発は一基たりとも、絶対に再稼働させてはならないと思っている。あれだけの事故を起こした東京電力に、その資格はない。彼らが動かそうとする限り

  • 絶対

に同じことを繰り返す。一回やった失敗は必ず繰り返す。それは、そういう「構造」になっているからである。よって、絶対に再稼働は許されないし、今すぐにでも、すべてを廃炉にしなければならない。
なぜ、福島第一は、3・11で、あのような事故になったのか。それは、東京人が自分たちの「お金のもったいなさ」のために、他人様の土地を「お借り」して置かせてもらっていた危険施設の安全管理を怠ったからだ。それは、東京人が、地方の田舎を

  • どうでもいい「僻地」

としか考えていない、興味がないから、である。彼ら東京人は、東京さえよければいい。自分たちさえよければいい。いくら、地方が疲弊して、人口が減少して、衰退していっても、なんの興味もない。だから、福島第一のように、あんな事故が起きようが、「どうでもいい」から、安全対策を「もったいない」と言って、怠ったわけである(どうせ、自分たちの東京から「はるか遠くの土地」であるから、

  • 事故が起きようがどうなろうが、どうでもよかった

わけである。そんなことより、毎日の「電気代の安さ」だけが唯一の関心であった)。よって、この事故は、

  • 起こるべくして起きた

のである。東京人は、「錬金術」を発見した。東京以外の田舎に、危険な「ゴミ捨て場」だとか、原発だとかを、押し付けてしまえば、自分たちはその「醜いもの」を見なくてすむ。自分たちの生活環境、高級住宅街だけは、

維持できる。そして、その「裏」にある、汚いものを「全て」地方に押し付けてしまえば、

  • 未来永劫

東京は「輝く都」でいられる、というわけである。東京の内部から次々と生まれる「不都合な真実」は、全て、地方に押し付ける。札束でひっぱたいて、有無を言わせず「原発再稼働」をさせて、地方を汚れた、

  • 捨てられた土地

にしていく。一つだけはっきりしたことは、東京電力という会社が、今後、原発を稼働させることは、東京電力の管轄内の関東圏に作った原発以外に

  • 原理上(=倫理上)ありえなくなった(=許されなくなった)

ということである。
東「さん」という人が、チェルノブイリのあるウクライナという国が今でも原発をやめられないのは、ソ連との地政学的な問題だと言っていて、もしからしたら、日本もその問題があるんじゃないか(リアルじゃないか)と言っているわけだが、しかし、そのことと、福島や新潟にある東電の原発を今すぐに廃炉にすることは、両立するんじゃないのか、と聞いているわけである。
つまり、原発再稼働派や原発推進派と、福島や新潟にある東電の原発の即時廃炉派は、両立するんじゃないのか? 原発再稼働や原発推進は、どうぞ「自分の家の庭」でやってください。関東に原発を作ってやってください、と言っているわけである。
私は、東京をまるで、「日本と同一視」するかのように話すことは、倫理的に許されないと思っている。皇居はいつでも、京都に戻られていいわけですし、いつまでも、

  • 日本の首都を東京にしておく必要はない

と「本気」で、思っている。関東に原発を作れば、当然、東京は衰退していくであろう。しかし、いいではないか。だって、自分が使いたい電気を自分のところでみつくろった「結果」なのだから(たんに「当然」の結果なだけ)。少なくとも、今までのような「非倫理的」な「負い目」を感じなくてもよくなる。
東京を日本の中心だとか、東京キラキラだとか、そういった東京人の

  • 自分を中心にセカイが回っている

的な感性が、心底気持ち悪いと思っている私のような人間には、それくらいのショック療法があった方が、東京人の勘違いした鼻っぱしらをへし折れて、バランスがよくなって、結構だと思うんですけどね...。
(それにしても、どうして東京人の口から「懺悔」の言葉がでてこないのだろう orz。自分たちの「せい」で、福島があんなことになっているのに、一言の謝罪の言葉も東京の人から聞かれないのだが。)
(もちろん、北海道や中部や関西や九州における、脱原発運動もあるのだろうが、私がそういった地方については、ほとんど知識がないので、そういった地域の方には、そこでは、そこでの検討をされてもらいたい、と思うわけだが。)