加藤徹『怪力乱心』

儒教のおける教典は「経書」と呼ばれている。地球儀で言えば、「経度」だ。じゃあ、「緯度」は何か。それが、「緯書」だ。しかし、緯書と言われても、あまり、聞き覚えのない言葉であろう。
つまり、経書は、ある決定されたテキストであるが、緯書は、それをネタにして、民間伝承的な占いなどの、いわば、「サブカルチャー」と考えればいいのではないだろうか。いや。もっと言ってしまえば、

  • 庶民の知識

である。中国の普通の民衆が、どのような「土俗」の民間信仰をもっていたのか。こういったものと「通底」する、いかがわしい「トンデモ」。これが緯書である。
以前も書いた記憶があるが、日本という国は、飛鳥時代天武天皇が周辺の部族を平定していって、ある程度の形の律令国家を作る。しかし、それ以前においても、日本には、国家らしきものがあった。それが、魏志倭人伝で書かれているような「卑弥呼」の時代、ということになる。その頃、どのような日本であったのかは、文字による記録が、海の向こうの魏志倭人伝しかなかったから、なかなか、想像がつかない。
ところが、近年、発掘などによって、分かってきたことは、「経書」のような信仰についてはよく分からないけど、緯書的な「中国の民間習俗」、緯書的な占いなどについては、さまざまに実践されていたのではないか、ということが発掘品などから、推測されている。
つまり、言いたかったことは、例えば「古事記」のテキストから、

  • 太古の日本

を中国の「経書」的なものとの「異質性」を強調することは、意味があるとして、果して、「緯書」的なものとは、かなり深く繋がってる、というか「同根」とさえ言わざるをえないほどに、区別できないような関係にあったのではないか、と考えてしまうし、その二つを区別することに、ほとんど意味がないんじゃないのか、と思うわけである。

漢語で死者のたましいのことを「魂魄」という。「魂」は人の精神をつかさどる霊、つまりバァである。「魄」は人の肉体をつかさどる霊、つまりカァである。

人が生きているときは、魂魄は一つになっている。しかし死ぬと、魂という気は肉体を離れて天にもどり、魄は死体とともに地にもどると、古代中国人はイメージしていた。

このように、精神と肉体が深く関係していると考えるのが、東アジアの土俗的慣習の特徴だと言えるであろう。
体はたんに、「物」ではない。この物は、非常に精神と深く関わって存在している。例えば、日本において、江戸時代、切腹が非常にたくさん行われた。これは、

  • 肉体

を傷付ける、という行為である。つまり、肉体を破壊する、ということである。しかし、破壊するとは、何を意味しているのか。それは、上記の引用にあるような、魂と魄の関係に、なんらかの「瑕疵」がもたらされた、ということを意味する。

日本語で「腹のうちが読めない」とか「腹黒い」と言うように、昔の日本人は心が「腹」にあると考えた。昔の武士が自決の方法として「切腹」を好んだのも、自分の腹の内をさらけ出して潔白を証明するという意識があったようだ。

中国でも、自分の「腹のうち」を人に示すため、割腹して自分の肝胆をさらけ出すことがあった。

自分の言っていることを、真面目に受け取らない人たち、聞く耳をもってくれない人たち。ふざけてばかりで、真剣に人の話を聞こうとしない人たち。
こういった人たちに、自分の言うことを

  • 届ける

手段として、源氏や平家の時代から、日本では武士階級は「切腹」を行うようになる。お腹の皮膚を切るとどうなるか。中に収まっていた「内蔵」が、次々と外にあふれてくる。つまり、その

  • 内蔵を見せる

それを見てもらうことで、「自分の言いたいこと」を、「そこに読ませる」という関係になっていることが分かるであろう。
つまり、

つまり、切腹とは、「被切腹者」に対する、「最後のメッセージ」だということである。死んだ人は、もう、二度と、話すことはできない。しかし、たとえそうだとしても、そのたった「一回」のメッセージによって、

  • 相手に届けたい

のである。聞いてほしいことがあるのである。大事なことは、その切腹が、誰に向けて、何を言いたいから、切腹をするのか、ということなのです。
切腹者は、そもそも切腹者が、切腹をする前まで、切腹者に対して

  • 無関心

です。そもそも、興味がないわけである。どうでもいい、としか思っていない。なんか、変な奴が、うるさいことを言っているな、くらいにしか思っていない。
しかし、切腹者は、その切腹という行為によって「死ぬ」。つまり、一種の「応答を不可能にする」贈与となっている。被切腹者は、切腹者から与えらた「贈与」に対して、「お返し」をできない。なぜなら、相手はすでに、この世にはいないから。よって、これは、

  • 無限の贈与

となっていて、被贈与者に対して「無限の応答義務」を残すことになる、という構造になっている。

春秋時代、衛国の君主であった懿公(? - 前六六〇)は暗愚だった。彼はんぜか鶴が大好きだった。立派な庭園を作って鶴を放し飼いにし、人の食事よりも豪華な料理を与え、鶴を大臣待遇にして自分の馬車に乗せた。
前六六〇年、北方の異民族である狄人が攻めてきた。衛の人民は言った。
「わが君が禄位を与えているのは、鶴だ。富貴を享受しているのは、宦官だ。わが君は、宦官と鶴に命じて敵と戦わせればいいのだ。この戦争は俺たちとは関係ない」
民から見放された衛の軍隊は、あえなく壊滅した。懿公は狄人に捕まって殺された。
前三世紀に完成した『呂氏春秋』には、懿公の死を次のように記す。

国を捨てて逃げた懿公は、狄人の軍隊にけい沢の地で追いつかれ、殺された。狄人は、懿公の肉を食い尽くし、肝だけをうち捨てた。

懿公には、弘演という忠臣がいた。懿公が殺されたとき、弘演は外交の使命を帯びて他国に出張していた。弘演急を聞いて駆けつけたが、間に合わなかった。狄人はすでに去り、惨劇の現場には、懿公の血まみれの肝臓がポツンと置かれていた。まさに「肝脳、地に塗る」である
前章で見たように、古代中国人は肝臓を意識の座であると考えていた。

弘演は懿公の肝臓に向かって、外交の報告を行った。それが終わると、天をあおいで慟哭し、悲しみを尽くしたあと、肝臓に向かって言った。
「わたくしめを衣服の代わりになさってくださいませ」
弘演はみずからの腹を割いて贓物を取り出すと、懿公の肝を入れて息絶えた。

弘演の壮烈な殉死の話は、天下に伝わった。斉の君主で春秋五覇の筆頭に数えられる桓公は、感心して言った。
「無道のせいで自滅した衛国に、これほどの忠臣がいるとは。復興させぬわけにはゆくまい」
桓公はいったん滅亡した衛国に援助を与え、国を復興させた。世の人は弘演の忠臣をたたえた。

呂氏春秋における上記の伝記は、その切腹が壮絶であればあるほど、被贈与者が、なんらかの「返礼」を行わなければならないのではないか、という「義務」の感情を引き起こしている、そしてそれは、

  • 歴史的に蓄積されていく

という形になっているわけである。こういった「過去」の範例が、現代における人々の「行動規範」として、人々を(伝統の力として)強いていく面がある、ということである。
しかし、それだけではない。なぜ、切腹は、それほどに「巨大」な一方的贈与と見なされるのか。

前述のように、古代中国人は、古代エジプト人とよく似た魂魄観をもっていた。人が死ぬと魂魄は分離し、魂は天に上るが、魄は死体とともに地に留まる。死体が完全であれば、魄も完全に残る。冥界で魂と魄が再合体し、完全復活できる希望がある。古代エジプト人がせっせとミイラ作りに励んだように、古代中国人も遺体が完全であることを熱望した。
現代人は、どんな死にかたをしても、死は死だと考える。しかし古代中国人にとって、死にはいくつもの段階があった。遺体が完璧な状態で残っている死は、いわば五十パーセントの死なので、それほど恐れなかった。しかし肉体を損壊されると、七、八十パーセントの死になる。首を切断されたり遺体を焼却されることは、魂魄の再合体を不可能にする百パーセントの死を意味するため、極度に恐れられた。

つまり、自らの腹を切り裂いて、体を壊すことは、東アジア的な伝統からいえば、

  • 自ら地獄に落ちることを選択する

ということを意味する。つまり、自分が地獄に行き、あの世での「悲惨な末路」になることと「引き換え」にしてまでも、

  • 切腹によって、なにかを伝えたい

という「壮絶」な「メッセージ」だということである。
また、自らの「肉体」は、たんに「自分」で閉じているわけではない。この肉体は、「先祖」の「精神の霊」との「連続」の中に存在する。
そういう意味では、自分の肉体を傷付けるということは、先祖の「霊」を、傷付けていることをも意味する。

遺伝学の知識をもたなかった古人にとって、子孫の顔が親や祖先に似るのは、不思議なことであった。古代中国人は、祖先の「血気」(血と気)が子孫の肉体に脈々と受け継がれているからだと考えた。先祖崇拝の信仰をもっていた彼らにとって、自分の肉体を傷つけることは、先祖の霊に対する冒涜行為と考えられた。

自分の肉体は、たんに自分のものではない。これは「先祖の霊」にとっての「もの」でもある。だから、自分の肉体を自分で傷付けることは、ある意味

  • 先祖を殺している

とも考えられる。つまり、「切腹」とは、自分の先祖を「殺して」でも、被切腹者に何かを伝えようとする行為ということにもなるわけで、どうだろうか。あまりにも、

  • 壮絶

な意味を備えた行為であることが、だんだん分かってきたのではないだろうか。

古代人は、人は死んでも魂魄は不滅であると考えた。そこで祭礼の日を設けて、祖先の霊を一時的にあの世からこの世に招き、御馳走した。西洋の万霊節も、日本の盂蘭盆会(うらぼんえ)も、中国の招魂儀礼も、基本的な発想は同じである。
亡くなった先祖の霊は、生きている人の目には見えない。どこにいるのもわからない。そこで祝人は祭文を唱えて霊を帰還するように呼びかける。霊は肉体をもたない。一時的にこの世に戻った霊が宿る寄り座しを用意し、祭壇の建物のなかに置く。寄り座しの種類は民族や信仰によって違いがある。植物、神像、位牌、頭蓋骨、ミイラ、生きた人間など、さまざまである。古代の儒教では生きた人間を寄り座しとすることが多かった。これを尸(かたしろ)という。
祭壇に捧げる供物も、宗教によって異なる。日本の盂蘭盆会では、キュウリやナスに串を差して作った馬や牛を供える。中国では、生きた家畜の首をはねて、それを祭壇に供えた。なぜ首かというと、首は生き物の体のなかで最も目立つ部位であり、霊をこの世に誘導する目印として最適だと考えられたからである。

こうやって見ると、日本のお盆の慣習と、中国のお盆に相当する行事と、それほどの意味的な差異はないんじゃないだろうか。お盆とは、私たち東アジアの土俗信仰において、「人は死んでも魂魄は不滅である」ということを

  • 実践

において、示している慣習であると考えられるであろう。
私は、日本の「伝統」が、武士階級が行い続けた「切腹」にある、という表現が嫌いだ。というのは、そもそも、切腹は、武士階級以外には関係ない慣習だからであるし、それ以上になりより、上記にあるような、

  • 土俗の民間習俗

の精神に反している。自らで自らを傷付けることを自分に許すことは、一種の「祖先軽視」ではないのか。
たとえば、三島由紀夫自衛隊で、割腹自殺をする。そこで、彼が主張したのは、自衛隊の国軍化であり、天皇の元首化であった。
私が気になったのは、某ゲンロン憲法草案なるものが、非常にこの三島の主張を意識しているんじゃないのか、ということへの疑いであった。

しかも法理論的には、自衛隊違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。
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日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。
おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
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つまり、某ゲンロン憲法草案は、「三島憲法」なのだ。三島の精神を「保存」してるんですね。しかし、それでいいのだろうか。
例えば、日本の江戸時代に、キリシタンの宣教師が、日本に来る。そして、日本で宣教をするわけだが、秀吉から家康に引き継がれて、キリシタン禁止令が出される。しかし、秀吉や家康は、そもそも、本気でキリシタンを憎んでいたわけでもない。たんに、彼らが自分たちへの大衆の「崇拝」の対象以上に、キリストや教会への崇拝を強めることに危機感をもっていたにすぎない。だから、やるなら陰で「こそこそ」やれ、または、日本から出ていけ、と言ったにすぎない。
ところが、キリシタンにとって、何が「幸せ」か。
殉教なんですね。
キリスト教徒は、そもそも、自殺ができない。ところが、殉教になると、今度は「死んだ後、非常に位の高い天使」になる。つまり、

  • 日本の支配者たちが「蛮族」であるがゆえに、逆に、彼ら海を越えて、はるばるやってきたキリシタン宣教師を
  • 殉教「させてくれる」

わけです。これは、人権思想が行き届いた、西洋の国々では、自分たちが殉教をしたくても、だれもを人権を守って保護するので、殉教をしたくてもできないわけでしょう。
ニーチェではないが、なんか変じゃないか? なにかが、本末転倒していないだろうか?
私は同じような感覚を、三島の切腹に感じるわけである。たとえば、三島が生前に自分が切腹する場面を自演したものの記録が残っているが

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(なぜこんなものを記録するのか...)、そもそも、なぜ彼はこの時期に切腹したのか。それは、自らの「老い」を感じていたからであろう。つまり、彼は長生きして、衰えていく体を恐怖していたわけであろう。
ようするに、キリシタンも、晩年、もう死期も迫ってきて、最後の「殉教」を与えてくれる「日本」に、あえて、留まろうとするわけでしょう。まるで、「殉教」を「求めて」、この野蛮の国、日本に引き寄せられているみたいではないか。
たとえば、近年、問題となっている、日本の「いじめ自殺」を考えてみたとき、私には、こういった切腹と同型なものを考えさせられる。
いじめられっ子は、「自死」をもって、いじめっ子に、

  • 最後

のメッセージを残す。つまり、「最後」という形をとることによって、いじめられっ子に、「無視」された、「どうしても聞いてもらえなかった」、「分かってもらえなかった」、その思いを

  • 伝える

わけです。しかし、このメッセージは「矛盾」でもある。

  • いじめっ子が、もしも、いじめられっ子が、死ぬことがなければ、いじめられっ子が「言いたかった」ことを聞くはずがなかった、という意味で、自死が、始めて、いじめっ子に、いじめられっ子のメッセージを正面から受けとめようとする態度をとらせる

という意味で、「いじめられっ子」が求めていたことを、「実現」することになっていながら、他方において、

  • すでに、いじめられっ子自身が、死んでいるので、いじめっ子の「応答」は、直接の、いじめられっ子に「対して」のなにかとして形となることはない

つまり、この「答」は、いつまでも宙を彷徨うことを運命づけられている。いじめられっ子が、死を「選ぶ」とき、何が起きているのか。それは、

  • このまま自分が生き続けても、いじめっ子に、自分の伝えたいことが伝わることが起きることはない

という絶望感と、

  • 今死ぬことによって、いじめっ子に、自分が伝えたいことが伝わる

という、なんとなく頭に浮かんだアイデアとを秤にかけて、

  • 自分が生き続けることの方に、それほどの「価値」であり「人生の意味」を感じられない

と思った、ということなのである。つまり、三島が、自分の体が醜くなることを嫌がったのと似ていて、

  • 自分が生き続けているという、そのありように、なんの存続されることの価値を感じない(大人になることが、少しも素晴しいことに思えない)

ということなのである。
私がここで思っている「違和感」が、果してどれくらい、人々に伝わるのかは分からない。しかし、ひとまず、ここで問いたいのは、日本の憲法を「自殺憲法」にするのか、ということだろう。
日本人が自殺をすれば、変わる憲法にするのか。それではまるで、日本人の精神はセップクにある、と言っているのと変わらなくないだろうか。日本の歴史には、セップクしかないのか。その他に、日本の精神を表象する、日本の「生活」はないのか。もっと、普通の人たちが、普通に暮らしている中に、日本人のウェイ・オブ・ライフがあるんじゃないのか...。

怪力乱神

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